第14期 #29

ある少年の死のために

 ここ何週間か、終太の心の底には、一人の少年がうずくまり続けている。
 実は終太は、その少年の顔も名前も知らない。彼は、終太の母校で今は勤め先でもある中学校の一年生で、バスケットボール部に所属していた。夏休みの終わる数日前、学校の体育館で練習を終えてから、突然たおれた。介抱し、水を飲ませても、吐き、やがて意識を失った。病院に運ばれて、三日後に死亡した。
 少年には既往症もなく、特に暑い日ではなかったが、熱中症という診断が下された。
 バイト講師にすぎない終太がこの事件を知ったのは、休みが明けてからである。
 始業式の日は会議のため、午前中で授業は打ち切られた。学園祭もスポーツ大会もとりあえず延期された。全校生徒を対象に、消防署員を呼んで、救急法の講習が行われた。事件が新聞に出ると、管理職をひそかに非難する教師がいた。
 校内の狼狽ぶりには無関心を装いながら、終太はその少年の風貌を想像せずにはいられなかった。小柄でまだ子供じみた体つき、内気で真面目な性格……中学で初めて運動部に入り、連日の厳しい練習に身体がついていけないのを、誰にも訴えられないまま、「その時」を迎えてしまったのであろうか……。
 実は終太は、バスケ部顧問であるT教員とは、二年前にいささか関わりがあった。それはある意味、不名誉なものである。
 終太は中一を担当していたが、授業中に時々、学年主任のT教員が、とつぜん廊下の窓をあけて怒鳴り込んでくるのだった。終太から見れば、授業に活気があって許容範囲に思える生徒のざわつきが、彼には見過ごせないのであった。もちろん生徒たちに向かって吼えるのであるが、無言のうちに終太の手ぬるさを攻撃しているようで、彼の細い神経にはだいぶ応えた。
 T教員は、だから生徒たちには鬼のように恐れられていたし、終太も野良猫のようにびくびくしながら日々働いていたが、今回ついにこういう事になると、やっぱり、と腑に落ちる感じがある。
 しかしT教員の、「学級崩壊」を未然に防ぐという大義も、終太には充分に判るのである。お前のやり方で、本当にそういう事態にならないか、と言われれば、自信はないと言わざるを得ない。
 いずれにせよ確かなのは、一人の少年が学校で命を落としたという事実だけである。それも、もっと生きられた命を。彼を犠牲にしたものは何なのか、と考えると、終太はやり切れない思いばかりがこみ上げて来て仕方がない。


Copyright © 2003 青岡薫 / 編集: 短編