第14期 #18

アンリ爺さん

 深呼吸はジェイムズがこのドアを開ける前の儀式だ。アンリの家を出てから随分経つ。もういらないと分かっていながらも、ジェイムズは止める事ができなかった。
 ドアを開けると、アンリの部屋は昔よりも物が増え、昆虫標本の数が増え、ヤニのにおいが強くなっていた。においに引かれ、ジェイムズは煙草と銃を取り出す。
「アンリ爺さん」
「ああ何か用か?」
「パットがしくじって逃げた。爺さん、あんたに責任を取ってもらうよ」
 アンリの目が鈍く光った。
「キングに頼まれたのか?」
「いや、俺個人で来た」
「ハハハ。それは良かった。キングが呆けたのかと思ったよ」
 ジェイムズは眉をひそめた。
「俺の子が『しくじる』ことは無い」
 アンリはテレビをつけた。爆弾テロの映像で音声と画面が震えていた。
「近いな」
「パットさ」アンリが言った。
「なぜパットだと分かるんだ? パットは逃げたんだぞ」
 パットの仕事は盗まれたキングの文書を取り戻すことだった。アンリはお気に入りの昆虫標本を指差した。
「昔、寄生蜂の話をしたことがあったな。寄生蜂は蝶の卵や幼虫に卵を産み付け、孵化した幼虫は宿主を中から喰う。だが、神経だけは喰わない。宿主が死んだら元も子もないからな」アンリの皺だらけで灰色の顔に赤みがさし始めた。「ところが昨今の環境破壊により宿主が少なくなった。困った蜂は思いついた。宿主を意のままに操ればいい。禁域だった神経を犯し、極限まで肥えさせ巨大化させるんだ。そうすれば一匹の幼虫に多数の寄生が可能になる」
「パットとどう関係があるんだ?」
 アンリは小さな金属片をつまんだ。
「俺はキングのためにこれを作った。――蜂は『種の存続』という命を遂行するために宿主を操るシステムを得た――これはキングの命令により神経を喰らう。もうキングの望み以外のことはできない。パットは一番簡単な方法でキングの望みを全て叶えた。それだけさ」
 アンリの回転椅子が軋む。
 カタカタカタと軽やかにタイプ音が部屋に響き始めた。
「俺もそうなのかい?」
「お前が本当に聞きたいのなら教えてやってもよい」
 昔とまったく変わらない口調のアンリに、ジェイムズは苦笑いをする。
「最後の楽しみにとっておくか」
 ジェイムズは煙草の箱をテーブルに置いた。
「さすがキング、仕事が早い」アンリは口座入金の確認を終え、眼鏡を外す。
 アンリの夢は南フランスの片田舎に家を買い、好きな昆虫の研究をすることだ。


Copyright © 2003 斉藤琴 / 編集: 短編