第14期 #17

至福のとき

 「幸福切符」という名を聞くようになって暫く経つ。全世界に年三通だけ配達される幻の切符らしい。名の通りそれが届くと幸せになれるという。何時何所の誰から届くのかは知らないが、単なる噂話だと思っていた。自分宛に「幸福切符」が届けられたこの瞬間までは。
 エンボス加工の封筒に封蝋された小洒落た郵便物は差出人不明でも興味をそそられた。封筒の中にはもう一回り小さい封筒が、その表に「幸福切符」と印刷されていた。中には真っ白い小さな切符が入っていた。
 その日から一週間は何がおこるのか毎日が楽しみだった。夫が出世するとか、子供が偉才に目覚めるとか、宝くじが当たるかもしれないと購入したりもした。でも、特別何も変化はなかった。淡い期待は一ヶ月ほど続いたが、平穏な日常に微々たる変化もないまま過ぎてしまった。二ヶ月目に入る頃には怒りを覚えていた。折角幻の切符が手に入ったというのに、幸せの兆しも見えない事が悔しかった。三ヶ月目に入る頃には諦めかけていた。所詮噂話だったのだと思いながら、まだ微かな期待を捨てきれずにいた。そして半年もする頃には切符の事は忘れ、日常に追われる毎日に一生懸命になっていた。

 その切符を偶然見つけたのは、長女の結婚式が終わって家に戻っていたときだ。留袖を脱いで小物を整理しようと箪笥を開けると、引出しの隅にこっそりエンボス加工の封筒が立っていた。届いてからもう十年以上経つそれを手にして、切符を出してみた。
 一流企業のエリート社員と結婚した友人の贅沢な暮らしぶりや、我が子と同じ年頃の文武共に秀でた子供を自慢する友人が羨ましく見えていたあの頃を思い出した。
 丈夫な体だけが取得の我家の家族。夫は中堅企業でなんとか定年まで勤め上げた。我が子は可もなく不可もなく平凡な学歴を身につけ、夫と同じ様に中堅企業に就職した長男と、同じく似たような経歴の末、自分で見つけてきた相手と結婚した長女。友人のように夫のリストラに悩むことなく、子供の留学費用や結婚に悩むことなくここまで過ぎた日々を思い返していた。
 幸せとは特別な何かを手にすることだと思っていたが、私の半生を振り返ると決して不幸ではなかったのだと今は思える。真っ白な切符に行き先が明記されていないのは、きっとそれ相応の理由があるのだ。
「これからも宜しく」
 私は切符を掌に包み込んで願かけした後、また封筒に入れ直し、箪笥の引き出しにそっと戻した。


Copyright © 2003 五月決算 / 編集: 短編