第14期 #10

旅立ちの子ら

月は水平線上に淡く燃え、夜の海に道を投げかける。
小舟が一つ、凪いだ海面をゆるやかに進んでいく。月へ向かって漕ぎ手もなしに。

――海に星が落ちてる!

舟の上でキリが声を上げた。
歓声と一緒に影が二つ立ち上がって舟が揺れる。
あぶね、ばか、急に立つなと慌てるキリを、赤ん坊のカエが笑う。
水面下のそこかしこに青い炎が明滅し、海と空との区別がつかないふうだった。
ユンは手の届く距離にある灯りにこわごわ手を伸ばし、
眼鏡の奥の聡そうな目をしばたいて、つまみあげたそれを観察する。

――貝に海蛍がくっついてるんだ。月の光を浴びに上がって来たのかな
――何の貝だろ。見たことないや

青い巻貝はキリの手に移されると、植物の蔓に似た首をにょっと突き出す。
はじめて見る生き物にカエの目と口はまんまるだ。

――エスカルゴみたい。こないだ理科の授業でやったよね、昔の海にこんな貝がいたって
――それってアンモナイトのこと?

覚えたての知識を披露するアキにユンが訂正を入れる。
キリは突然興味を失ったように貝を手放し、カエにやった。
甲板へごろりと寝転がり、誰にともなく問いかける。

――なあ。ずいぶん静かだよな。あんなひどい嵐だったのに

カエは巻貝を貰ってご機嫌だ。貝をいじくりむにゃむにゃとおしゃべりしている。
波音の失せた海は月面のようだ。邪気のないカエの声だけが奇妙に響く。

――さっきさあ、大きい波がきたよね

アキがぽつりと言う。

――うん。お化けみたいな黒い波
――あたしたち、あれに呑み込まれたんじゃなかったっけ?

ユンは小さく答えた。

――たぶんあの波はさ、ぼくらの身体だけ持って行っちゃったんだよ。
  身体から自由になると月へ行けるって、じいちゃんが言ってたもの

三人の目線は自然と一つに集まる。
黒い六つの眸の中には月がある。
水平線に乗ったまま、それ以上昇ろうとしない大きな月が。

不意に舟底がぐらりと傾ぐ。
キリだけが素早く動いてカエを抱きあげた。
瞬間、海の奥底からどうと風が巻き上がる。
平らかに広がる気流に包まれて、小舟はふわりと宙に浮かんだ。

飛んでるよとキリが叫び、ユンは驚きを通り越して笑い出し、
カエはなんだかわからずに、ただやあいやあいと貝を振り回してはしゃぎ、
アキは舟の後方で縁をじっと握りしめ、おかあさん、と呟いた。
波を蹴立てる航路が無数の泡を残してたちまち遠ざかる。

舟を運ぶ上昇気流に、子どもたちを呼ぶ祈りに似た悲鳴が一筋、まかれて途切れた。


Copyright © 2003 サトリ / 編集: 短編