第138期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 スマトラのトラ 池田 瑛 999
2 そして母になる ...カラコロモ 477
3 待つ まんぼう 945
4 ねこ tochork 988
5 夜を駆ける なゆら 397
6 子猫のフーガ あお 1000
7 盤面に咲く竜胆 豆一目 997
8 元始天尊現る 吉川楡井 1000
9 ともこ1 岩西 健治 900
10 ソフトボール かんざしトイレ 1000
11 ハイジャンパー 西直 970
12 セックス qbc 1000
13 グーピー アンタ 999
14 追懐 白熊 1000
15 俳句 ロロ=キタカ 1000

#1

スマトラのトラ

「私は最初から反対だったのよ。でも、子供が出来る前だったのは不幸中の幸いかもね」
 荷ほどきが終わっていない、段ボールに囲まれた部屋で、母が先ほど電話口で言った言葉を反芻した。「君はいつだって、冷めていたじゃないか」という言葉同様、忘れられない言葉になりそうだ。

 土地勘を得るために、町を散歩をし、コンビニの場所などを記憶した。駅前の、旅行会社の店先に置いてあるチラシが目に留まった。

『スマトラ島』

 シーズンではないからか、安かった。
 家に戻り、結局使わないままだったパスポートを取り出し、また店に行った。申込者氏名欄は、パスポートの名前に合わせた。強制加入の旅行保険の、保険金受取人の名前を書き間違え、新しい用紙をもらった。そこには母の名前を書いた。


 ジャカルタ経由で、スマトラ島のメダンに到着した。空港の到着ロビーで、私の名前がローマ字で書かれた紙を両手で掲げている旅行ガイドと合流した。彼の持っている紙に書かれた私の名前は、パスポートに記載しているヘボン式じゃないけれど、それはそれで南国らしい大らかさを感じさせてくれた。「Ms.」と書かれているのも、素敵。

 私と同じ年くらいの年齢の男性が、大きな茶色の真新しいトランクを引っ張って、やって来た。ツアーは、私とこの男だけな様で、ガイドは私と彼のトランクを強引に取ると、「Let's go」と言った。私は、ガイドの後に着いて行き、ワゴンに乗った。

 彼は少し迷ってから、私と同じ前列に座った。私は、三人掛けの席の真ん中の空いたスペースにハンドバックを置いた。

 ワゴン車は、ひどく揺れた。牛乳をこの車に置いておけば、バターができそう。綺麗に舗装された道路でこれほど揺れることのできるワゴン車に乗れただけでも、来た甲斐があったと思った。

「すみません。さっきから彼は、何を話しているのですか。言葉なんて、現地に行けばなんとかなると思っていたのですが、どうにもならないですね」
 彼は、そう言って笑った。

「明日行く予定のグヌンレウセル国立公園について説明してくださってます。野生のスマトラトラは滅多に見れないそうです。どうしてもトラを見たいのなら、動物園に行った方がいいと」

「そうなのかぁ。野生の、見れるといいですね」

「ええ」

 スマトラトラが、私達の前に姿を現すという、予感めいたものを私は感じた。膝の上に移動させたハンドバックが、車の揺れで少し飛び跳ねた。


#2

そして母になる

レイプされた。


日常が消滅した。


妊娠した。


中絶をせず産むことにした。


そして生まれた。


無邪気だね。


あたしもこの子も。


軽はずみな考えだなってわかってる。


レイプした男は友達の彼氏だった。


二人しか知らない秘密。


レイプした人、された人。


一番好きだった人にレイプされた。


好きになってはいけない人。


我慢しなくちゃいけない人。


あの日以来、心に雨の降らなかった日はない。


しかしあの子に振り回される日常にあたしのあの日の強烈な性と暴力の匂いが消えていく。


パートの掛け持ちでくたくたの一日も母乳を吸うこの子に吸いとられていく。




日常が母乳色に染まっていく。




あたし少し母になれたかな?


そして母になれるかな?


#3

待つ

 今頃あなたは都会で何やってるのかな?
 あなたが出て行ってどれぐらいかしら……
 今年のお正月はとうとう帰って来なかったね。わたし密かに期待してたんだけどね。

 実はね、お見合いの話が来てるんだ……
 誰もいないなら断れないと思う。――お見合いしてもいい?
 電話しようか、手紙書こうかな。ちゃんと読んでくれるかな?
 わたし結婚するなら若いうちが良いと思ってた。歳取ると色々大変だからね。
 そう、もう若くないから……

 一人でここの寒い冬を越すのは辛いよ。傍に誰か居て欲しいといつも思う……
 しんしんと音も無く降る雪を見てるとこの世にわたし一人の様な気がするの。
 そんな時、嘘でもいいから誰か傍に居て欲しい。

 わたしね、あなたが帰って来てくれる様にお百度参りしたんだよ。
 雪の降る冬に素足で、お参りしたんだ。
 足が凍って感覚も無くなったけど、神さまにお願いを聞いて欲しくてね。
 毎年やっていたの。雪が降る度に…… 
 だって、そんな事でもしなかったら、寂しくて、辛くて……

 ねえ、もういいかな?わたし、もう充分だよね。
 神様、願い聞いてくれる?わたしの一つだけの願い。

 あの時、わたしの方からあの人に言えば良かった?
 それで嫌われたら、と思うと勇気が出なかった。
 泣き虫で、泣くなら勇気を出せば良かったんだよね。
 新しい道が見つかったかも知れないしね。
 結局、肝心な勇気が無かったんだね。

 夜明けの窓を開け、新しい空気を部屋に入れる。
 そう、新しい一歩を踏み出そう。
 そこまで気がつくまで時間がかかったわたし。
「のろまだなぁ?」
 学校でも何時も一番最後だったっけ。これも一番最後なの?
 それは、あんまり…… でも最後でも自分の場所があれば良いですか?

 その時、家の電話が鳴る。朝からだれだろうと訝りながら電話に出る。
 それは、何年かぶりの声で。
「今、駅だ!これから行くから、かならず待ってろよ」
 強引な、それでいて有無をも言わさぬ声。
 なによ、今更、なんなのよ、偉そうに……でも、でも、これは本当ですか?
 わたしの幻覚や幻聴では無いですね。なら、わたしはどの様な顔でいましょうか?

 表にタクシーの止まる音がし、わたしはその時世界が薔薇色に変わって行くのを感じたの。
 もういいのですね……待たなくても……


#4

ねこ

あいかわらず教室でニンゲン扱いされないわたしはお弁当を鞄から取りだして猫姿になって(そうしたほうがごはんがおいしくなる!)ごはんをつっつく。みんな教科書とノートとペンシルを机の上に並べている。わたしのつくえ猫が鎮座しておべんとうたべている!
すごくたのしくなって「なおおおおおおん」と鳴いたらさすがにセンセイに叱られた。
「にゃごんにゃーん」って謝った。
「気をつけてください。猫でも授業の邪魔はいけません」
「にゃん。」
センパイもならって頭をさげた。
センセイが頷いて黒板の方に戻り、淡々と授業が再開される。
クラス・メイトの視線がわたしに突き刺さっていて、得意になっておなかをごろーんとみせつけてやる!
なのにだれもなでにきてくれない!!!
おなかのサバトラ柄はなかなか自慢なんだぞ?

4月8日
わたしはセンセイの眼前で互いを抱きしめる。すぐさまねこすがたに意のままにかわる。わたしは「なやう」と鳴いた。わたしはその場で猫部の成立を承諾してもらった。
部室をいただいた。猫部の根城に、まっさきにゴミ捨て場で拾ってきた毛布を敷いて、座布団と蜜柑を設置した。蜜柑は猫姿で木に登り収穫した成果物だった。

それから、部室はきちゃなかった。背中でずりずりずりーっっと床を掃除したらセンパイの黄金色のせなかがホコリっぽくもわもわしてしまうのでさみしい気分。けれどおへやはきれいになったぞ!
おへやがきれいになったからちゃぶだいにむかいあい、煎茶をいただきながら、ほうと一息ついて、それから部活なのだー! ってきあいをいれるっっ
「猫部ってなんなんでしょうか!」
「ぬあにゃごろーんとする部活だよ!」
「!!!」

「ぬあにゃごろーん!」
「ぬあにゃごろーん!」

毛布のうえでごろーんごろーんしながらさけぶ。
ぬあにゃごろーん!

わたしの部活は大成功だった!
存分にごろーんごろーんしたのだ。ほくほくした気分で最初日の部活動は完遂した。ワタシたちはハイタッチしてニンゲン姿に戻って、成猫にひきぶんの毛むくじゃらになった毛布を目の前にしてぼうぜんとした。
わたしは言った。
「じゃあこれ、もとあったところに返しておきましょうか……?」
「ううん。とりあえず外出て毛をはたこう。それから天日干しして、それでだめそうだったら洗濯しよう」
「この毛布気に入ったのでしょうか」
「きみだって好きでしょ」
「はい」
「だから大切にしましょう!」
「はい!!!」


#5

夜を駆ける

蝶はしんしんと舞い、天空の隙間に潜り込む。眠るための毛布は、その星にかけてある。ママはそれをとってきてくれる、ついでにミルクだ。温めたミルクにココアを入れて、持ってきてくれる。ふかく、深く眠れるように。ママは枕元において額に口びるを合わせ、階下へむかう。そこにはパパが待っている。ふたりでポーカーをするつもりだ。

賭けるものはビスケット3枚。勝った方が2枚食べて、負けた方が1枚。

蝶が眠りにつく頃、完全な暗闇がぬっくと立ち上がった。あくびを殺して、黒猫の首根っこをつまみ上げる。少し振るって砂を落とし、口に放り込む。丸呑みにするつもりだ。暗闇は腹が減っている。黒猫ぐらいでは腹の足しにもならない。次なる獲物を探し這い出す。暗闇の移動に伴い、星ははたはたとついてくる。暗闇と星はひとつ。いつだって、ひとつだから離れるわけにはいかない。

今夜はパパが勝つ。けれどパパはビスケットを3枚ともママに与える。


#6

子猫のフーガ

「いってらっしゃい、フー」
僕がドアを開けて出ていこうとすると、佐和子さんが鈴の音のような声で送り出してくれた。ちりんちりん。
僕の名前はフーガ。
僕の名前には二つの意味がある。一つ目はピアノの曲。
飼い主の佐和子さんはピアノの先生なんだ。僕は佐和子さんのピアノに合わせてステップを踏むのが好きだ。ぽろんちりん、ぽろろんちりん。どう?ステキでしょ。
二つの目の意味は「みやび」。
よくわかんないけど、いい響きだと思う。
ちりん。僕は歩く。
土の上を歩く。風でヒゲがなびく。うーん、くすぐったい。
そうしてぶらぶらと歩いているうちに、川沿いでシロさんと出会った。
「こんにちは、いいお天気ですね」
「おお、チビ助」
シロさんの本当の名前はシロガネっていうんだけど、本猫が嫌がるからみんなシロさんって呼んでる。
僕のこともちゃんとフーガって呼んで欲しいなって思って、一度さりげなく言ってみたことがあるんだけど『お前はチビだからチビ助でいいんだ』って、まともに取り合ってもらえなかった。仕方ない、シロさんから見たら僕はチビだから。年齢的な意味でね。
しばらく歩いて道路の辺りに来たとき、シロさんがこう問うてきた。
「お前は猫生をえんじょいしとるか?死のうなんて考えとらへんじゃろうな?」
「まさか。散歩はたのしい、ご飯はおいしい、ピアノはきれい。こんなに幸せで死のうなんて考えられませんよ」
何故急にそんなことを?僕の表情がそう述べていたのだろう。シロさんは咳ばらいを一つ落とすと、ゆっくりと話し始めた。
「この辺りで最近『飛び出し自殺』の猫が出たのは知っとるか?」
「飛び出し自殺?何ですかそれは」
「馬鹿らしいことじゃが、猫の中には猫生が嫌になって、自ら命を断つ者がおるんじゃ。車の前に飛び出したり、えさを食べるのをやめたりしてな。特に若い者に多いな」
「そんな…」
「猫にも色々おる。好きで猫に生まれたわけじゃない、人間に生まれたかった。そう思う輩がいてもおかしくはない」
「そうですね、そうかもしれません。でも僕は猫に生まれて良かったと思います」
「そうじゃ、それでいい。それでいいんじゃよ」
そう言うとシロさんは僕に頬ずりしてきた。負けじと僕も押し返す。シロさんの頬はほんのり温かかった。
僕は僕でいい。くるくるとみやびに生きればいい。それが僕だから。
ああ、なんだか佐和子さんに会いたくなっちゃった。早く帰って佐和子さんにも頬ずりしよう。ぐるぐる。


#7

盤面に咲く竜胆

 彼は賢い子供だったので、長いこと異常を周囲に悟らせなかった。

 彼女は彼に出会った瞬間、動物的に彼を嗅ぎ分けた。

「あなた私と似た臭いがする」

 18歳の乙女とは思えないほど醜く太り、ニキビで汚れた頬を歪ませて笑った彼女に、12歳の彼は奇妙な興奮を覚えた。

 彼女の唯一の趣味は生き物の瓶詰め。
 彼にとって、生きていても性交できる異性は彼女だけだった。

 つまるところ賢く生きねばたちまち淘汰される側だと解っていた二人は、初めて会ったときから戦友のように気が合った。

 彼女の両親はアル中とヤク中、兄弟三人はその両方で、それでも彼女は家族を愛していたし尽くしてもいた。彼女の性癖を知らないほとんどの人間にとって、彼女は薄汚れた子猫のように息をすることを許されていた。

 彼の両親は裕福で、消毒された白亜の豪邸を持っていた。
 両親は個々に優れた芸術家で、気ままに世界を飛び回り、父や母であることは人生のオプションの一つに過ぎないと考えていた。
 父と母にとっての自宅は次の目的地のための中継地点でしかなく、簡単な引き算により、一人っ子の彼は白亜の城の王様になった。
 彼以外立ち入ることもない部屋の中では彼女が処理した動物の瓶が徐々に増え、とうとう「彼女の部屋」と呼べるほどに瓶が部屋を侵食したころ、彼の両親は飛行機事故で死んだ。
 その数年後、成人した彼と彼女は一緒の家に住むようになる。

 彼女は毎日小さな肉の瓶詰めを作り、彼は彼女の食事に毒を盛った。二人は互いが互いに何をしているか知りながら、穏やかな日々を過ごしていた。


「そういえばあなたのお父さんとお母さんにはとうとう会わないままだった」

 毒の副作用で髪が抜け、ますます醜さに磨きがかかった彼女は、ベッドに横たわりながらそう呟いた。

「彼らはほとんど家にいなくてね。たまに皆で揃って食事すると涙が出そうで大変だった」

「その食事に毒を入れたのね。どうして二人とも気づかなかったのかしら」

 まだらに髪が残った彼女の頭を撫でながら彼はいとおしむように答えた。

「毒より早く、飛行機で逝ってしまったよ」

「それなら今度は大丈夫ね。私、飛行機は嫌いだもの」

「馬鹿みたいだろ、それでも不安なんだ。君がどこかに行くんじゃないかと」

 彼は泣きそうな顔で手にしたノコギリと彼女の下半身を交互に眺める。

「いいわ、私の為の瓶もあるから」

 彼女は微笑み、そうして彼の好きなようにさせた。


#8

元始天尊現る

 地響きだ。灯台のサイレンが唸り、海が荒れだした。割れた波の谷間に突如現れた見果てぬ高さの山の頂上から、空飛ぶ玉座に乗ったなにかが、この国に上陸した。

「救済しましょ、そうしましょ。あちしが元始天尊でござーい」

 艶やかな服、つり上がった目、むさ苦しい髭に奇妙なポーズ。胡散臭い巨大な老人がもろ手を上げたのと示し合わせて、湾岸には波の壁が迫り、陸地はあっという間に飲み込まれた。逃げ惑う人々も家々も土砂と渾然一体となった。

「あんれま、手荒な真似してごめんちょ。けど逃れられない劫なのねん。だってこれするためにわざわざ大羅天から降りてきたっちゅーねん。やらせてやらせて」

 高層建築物の足もとは抉られ、辛うじて残った支柱が上階を支えるに留まった。車は衝突し合い、金属片らしくひしゃげ、流された人々もろとも下流で突っ伏した。

「選挙じゃ闡教に清き一票。麗都もリド、理の道もリド♪」

 鼻歌まじりで上空を旋回する様子は全国中継された。報道ヘリが数機接近したが、為す術もなくことばを詰まらせるだけだった。気を焦らせた警官が発砲したが、銃弾は着衣をかするどころか着弾の瞬間に消失したようだ。

「だめよん。自衛隊だの軍隊だのが来たって無理無理、あちしは常住不滅でさぁ」

 老人は腕を振り、ぽきりと灯台を折ってしまった。

「あぁぁどうして仙術使わんかった、手首が過労死しちまいまんにゃわっ」

 と痛がったかと思えばひとつ咳払い。髪と髭とを整えて、中継カメラ越しにまた口上。

「ええかええか、このぴかーっいうの、まぶしいんよ。夜は暗いだろ、眠るだろ、それが戒律ってものだろよ、違うか。で、これ何使ってんの。デンキ? なんじゃそらそら。こういうのあるからあちしは嫌なのよ。もう容易にデンキとやら作れんように、ハツデン方法に毒まぜたらぁ。おまいたちの体、デンジ波に弱い体にしちゃるけんの」

 波はたちまち引き陸地も戻った。光が注ぎ、町には自然が生い茂った。ビルも車も技術も文化もない。そこには遥か昔の世界が蘇っていた。
 老人は哀愁を漂わせて、こう語った。

「人は常に道を失うが道は人を失わない。人は常に生を去るが生は人から去ることはない、らしいよぉ(ドヤァ きみらまたここから始めんさい。ね、これがあちしの優しいとこ(テヘッ 」

 老人は去った。人々はその背中を見つめていたが、ことばを忘れてしまった原始人たちはそれを理解することができなかった。


#9

ともこ1

 今、煩悩を捨てた。
 わたしにはまだ選挙権がない。わたしが選挙に行ったとしても、この世界は何ら変わらないだろう。
 でも、母は言う。
「だから選挙に行く意味があるのよ」
 救世主を求めているのは皆同じなのか。
 朝のぼやけた頭が熱いブラックで覚醒されて、難しい話題は誰かの頭にまかせておいて、部屋で着替えたら学校へ行こう。四十五分になったら、膝をくずしてほら立ち上がり動くのだ。どうした、わたしの身体よ。七時には家を出る約束だったはず。
(まだ動きたくありません。あしからず、ワタシ)

 今、確かに言える。
 わたしは生きています。だってお腹がすいたもん。
 母は手早く朝食を済ますと、流しに立って洗い物を始めた。
 わたしはわたしで料理コーナーの俳優を見ながら、この人は料理しかやらせてもらえないのか、などと独り言を呟き食パンを胃の底へとおしやった。コマーシャルに入るタイミングで、申し訳程度に新聞を開き、今夜のドラマをチェックして、四コママンガは新聞のためにあるのか、四コママンガのために新聞はあるのかといった哲学を交え、四コママンガを二回続けて声に出して読んだ。まだ寝ぼけたままの頭を覚ますため、母直伝の熱いブラックをもう一杯入れる。わたしはいつの間にか、母と同じ濃過ぎるコーヒーを好むようになってしまった。
 トイレから戻り、キッチンの椅子に再び膝を抱えて座り直し、料理コーナーあとの芸能情報を見る。フリップの重要な見出しを隠し、進行に合わせて司会者がそれを剥がしていく。内容に重さはないが、剥がされるたび、何だかそれが重要な出来事のように思えてくるから不思議だ。ありふれたニュースもセンセーショナルに輝く。これが朝の手法なのだろう。画面は司会者のアップからスタジオ全体の画に切り替わる。相変わらず政治批判の多いコメンテーターは、名前の知らない顔ぶればかりだったが、眼鏡率は高い。
「ともこ、遅刻するわよ」
「これ見てから」
 コーヒーカップ底の冷めた滴を非力な吸引で吸い、好きな占いコーナーの番組に切り替える。結局、家を出るのは十五分になるのだから、自分に約束なんてする意味なかった。
(煩悩いまだ捨てられず、ワタシ)


#10

ソフトボール

 デパートの正面玄関を出て、狭い方の道路を渡ると、交差点の街路樹の間に宝くじの屋台みたいなものが営業していた。宝くじなんて率が悪すぎる、馬鹿な奴がだまされて買うんだ、と先輩に言われてから僕は一度もくじを買っていないのだが、
「当たるなんて思って買うから馬鹿を見るんで。ほんのお遊びだと思ってチップでも渡すみたいに考えれば興をそそらないこともないんで」
と妙なことをささやく売り場の兄ちゃんに誘われて立ち止まってしまった。
 声は少々しゃがれているが年はまだ若いようにも見える。魚屋さんがつけているような黒いつるつるの前掛け。足もとは見えないけど長靴を履いているに違いない。目線の高さが僕と全く同じでどうも居心地が悪い。なんで彼が立ち上がったままなのかちっともわからない。
 十枚の連番を頼んで財布の中から千円札を三枚取り出す。「はいよ」と引き換えに渡されたのはこれまた千円札。つづき番号の十枚の札を握らされていた。えっと思って売り場の兄ちゃんを見ると、目で頷いて、それから俺は忙しいんだと言わんばかりに呼び込みをまた始めた。
 千円札をじっと見る。こんなもので当選したりするものだろうか。ZX441394H。財布に戻して歩き始める。昼間だというのに雑居ビルの三階あたりの縦長に取り付けられた居酒屋の看板がちかちか光っていた。
 電車に乗って自宅最寄りの駅に着く。着いたはずなのに地下入り口の階段を下りている。夜間は閉まる鉄柵を越えて階段が折り返すおどり場の隅に浮浪者が座っていた。伸び放題の髪、ぼろいコートの背中、抱えるようにした真新しい竹刀。僕は千円札を取り出すと紙吹雪を散らすようにその人の頭上に放り投げた。この世界に祝福を。この素晴らしい瞬間に心からの称賛をおくります。
 仕事から帰ってテレビをつけると抽選会の生放送をしていた。何の気なしにチャンネルをそのままにしていたが、ZX44……、と読みあげられる声を聞いているうちに心拍数が上がり、頭に血が昇ってくるのを感じた。当選だ、いやたぶん。確かめなければ。今すぐ確かめなければ。僕は子供のころに買ってもらったソフトボール用の金属バットを握りしめると裸足のままで玄関を飛び出した。
 何としてでも奪い返す。そう、あいつを殺してでも。だが地下入り口はこの時間、すでに閉鎖されていた。真っ暗だったが、鉄柵の向こう側で浮浪者が竹刀を構えてにやりと笑うのを確かに見た。


#11

ハイジャンパー

 利奈先輩は基本的にやる気がない。私もやる気があるほうじゃないけれど、先輩ほどではないと思う。部活は気まぐれに休むし、ダッシュとか腹筋の数をよくごまかそうとする。でも今は、いつもと違って真剣な顔をしていた。

 私は砂場の横で三角座り、斜め前から先輩の姿を見つめている。睨みつけるような先輩の目は、高跳びのバーのほうに向いている。つま先で地面を叩いてスパイクの土を落とし、そのうちに力を抜いて立ち、息を吐きながら俯いて、ためらうような一瞬のあと、走り始める。
 大きな歩幅で地面にスパイク跡をつけていく。高跳び特有の助走。バーの手前で踏み切り、伸び上がるようにして肩から跳ぶ。胸を張り、身体がしなる。肩、背中、腰、お尻、太もも。バーの数センチ上を通過させ、最後に足を抜く。――踵がバーに当たった。
 先輩の身体がマットを叩き、一瞬遅れてスタンドから外れたバーが地面に落ちた。チッと先輩の舌打ちが聞こえた。
 十分ほど前、私は先輩の記録を二センチ超えた。私は先輩よりも八センチ背が高い。陸上の、こと高跳びに関しては長身のほうが有利だとされている。けれども先輩と私はけっこういい勝負をしている。私は背の高さと脚力で跳んでいる感じで、先輩は全身のバネと跳躍センスで跳んでいる感じだ。
 私はときどき先輩の跳躍に見とれてしまう。助走、踏み切り、跳躍、クリアランス、抜き足。すべてが淀みなく流れて、驚くほど綺麗なときがある。すべての動きが高跳びのためだけにあるような……というのはたぶん言いすぎだろうけど。
 バーを戻してから、先輩がまた助走開始位置へと向かう。歩きながら考え込むように右手を口元にやり、腰の前辺りにある左手、その指先が跳躍イメージを表すように動いている。スパイクでつけた目印の場所で立ち止まる。
 先輩がちらりと私のほうに目を向ける。私はちょっと勝ち誇ったように笑ってみせる。先輩は苦笑いを浮かべ、そのまま地面に目を落とした。ためらうような一瞬のあと、走り始める。
 助走から踏み切り。跳ぶ。流れるように、驚くほど綺麗に。

「よしっ……と」
 先輩はマットの上で小さくガッツポーズをした。バーはスタンドにかかったまま、揺れてもいない。私もいつの間にか同じように拳を握っていた。それからはっと我に返って、先輩がこっちを向く前にと、にやけた口元を手で隠した。


#12

セックス

(この作品は削除されました)


#13

グーピー

「おい、豚。」
「んだよ。豚は体脂肪16%とかで俺なんかよりも細いんだぞ。しかも俺と違って本当はきれい好きだし。人間が生ごみとか食わせるから臭いだけで豚は臭くねーし。だから俺と豚を一緒にすんなよ。豚が可哀想だろ!」
「ご、ごめん。」
これが初めて豚というアダ名を返上した日だ。その日は絶対言うぞと決めて学校に行っていたし、事前に噛まないように練習もしていた。その甲斐あってかいじめっ子もタジタジ、そこからヤバいやつと一目置かれるようになった。
以来いじめもなくなり悠々自適な学校生活を送れるようになり、自分にとって豚と呼ばれていた時よりも豚が身近な存在になった気がしたもんだった。

そういうわけあって、大学で入った「動物に愛を持って食す会」が鶏の次に何を飼育して食すのか考えている時に、考えなしに
「豚とかどう?」
って言ってしまったのは僕にとっては自然の流れだった。
大学に入った時はもう人並みの体型になっていた自分を、豚と呼ぶ人はもういなくなっていた。豚とアダ名を付けられていたことも知らない人たちにとってはそれは突拍子もない気がしただろう。
「豚は難しいんじゃない?」
「いや、豚って実は知能高くて、本当はきれい好きだしさ。」
ここぞとばかりに豚知識を披露し、賛同を勝ち取り飼うことになった。
その頃大学内に小屋を勝手に建てて住んでいた。僕たちは豚という新しい同居人を楽しみながら出迎えた。もちろん最終的には食すのだが、それまではちゃんと愛情をもって育てる。それがこの会の鉄則だった。お風呂に入れたり、一緒にTVを見たり、コタツで温まったり。いけないと思いつつ名前をグーピーとした。鶏と違い頭がいいのでどんどん愛情も生まれ、もうこのまま殺さずにここで飼いたいと皆思っていた。

でもある通達が大学側から下された。豚は衛生的にも問題があるから、本当に飼育しているならすぐに大学側に引き渡しなさい。
即座に開かれた臨時会議では、愛のない誰かの手より愛ある自分たちの手で、自分たちが生かされる感謝と愛情をもって最後まで、が叫ばれた。
当初の予定より早いお別れだった。皆の涙は深い愛を語っていた。苦しまないようトンカチで頭を割り、血抜きをし、食した。食用に育てていないので、お世辞にもおいしいとは言えなかった。でも皆のいただきますとごちそうさまは感謝と愛情の言葉だった。
今は豚と呼ばれていたことを光栄に思えた。グーピー。ありがとう。


#14

追懐

 祖父は犬を一匹飼っていた。タロと云った。祖母を先に亡くしていた祖父はタロしか家族が居なかった。
 偏屈なジイさんだった。祖父の家は隣家が百メートルも先にあるような山奥にあった。僕には祖父の記憶がほとんどない。高校生になった今、記憶に残っている事といえば、縁側に腰掛けて山の向こうを見つめるしかめっツラで、その足元にはまだ子犬だったタロが祖父の足に体を寄せて寝ている様子だった。幼い頃そういった祖父が近寄り難く、中学生になるとお盆も祖父の家に行かず家で留守番をするようになった。
 祖父の葬儀中、母はずっと泣いていたが、僕は祖父が亡くなった事実をどう感じればよいのか分からないまま、棺桶は火葬炉の中へと送られていった。
 葬式の帰り、父が「おい直よ、タロをうちで飼う事になったぞ」と、タロを連れてきて車に乗せるよう云った。タロは抵抗もせず、車に乗ってからも僕の腕から抜け出そうとしなかったが、僕の顔を一瞥もしないで窓の外を見つめる目からは、あの縁側に腰掛けた祖父の目を思い出させ、僕はこれは到底懐きそうもないなと思うのだった。
 夏休みの間、タロの世話は僕と母が交代でやっていた。しかし、ある日タロは寝たきり動かなくなってしまった。
「居場所が替わったからな。小屋も一緒に持ってきてやればよかったか」と父は云った。山奥とは違う、夏のアスファルトからくる暑さにやられてしまったのかもしれない。
 タロにとっても家族は祖父だけだった事を思い出した。しかし何も食べずに弱っていくタロを思うと、僕もどうも忍べなくなって湿らせたドッグフードを持って庭のタロの所へ行ってみた。プラスチックのスプーンでそれを掬い口元に持っていくと、タロはゆっくりと起き上がり口に含んだ。夏の夜、僕は虫に刺されながら、暫くの間タロの傍で付き添っていた。
 数日後、タロは元気を取り戻して散歩に行けるまで回復した。散歩から帰ってきた後、庭の日陰で木に実る蜜柑を眺めながら腰掛けていると、タロも僕の足元に寄ってきて腹這いになって涼み始めた。
 タロの頭を見下ろしていると、前を通りかかった母が「直はおじいちゃんと似てる所があるんだろうね」と他意なく云ってきた。僕はなんであんな偏屈じじいと僕が似ているんだとムッとしたが、見上げたタロと目が合うと、改めて祖父が肉親だったという身の近さに気付かされ、暫くの間、木になる蜜柑を眺めながら祖父の姿を思い返した。


#15

俳句

私はただ純粋に俳句に精進したいだけだ。いろいろな句会に顔を出したり、自分でも句会を主催したりして居る。この前のケンシロウ句会は不評な面と好評な面が両方ありました。今後に活かして行きたいと思います
O激怒する犬に草の香思ひ出す シイツ
この句は私の本名の「石川順一」とは著しく違いますが当然「小林一茶」の「こばやしいっさ」の「しいっ」から来ています。「小林一茶」に対するオマージュですね。季語は「草の香」、秋の季語です。
草の香/くさのか

草の香

初秋
草の香(くさのこう)
さまざまな秋の草の香りをいう。春の萌える生命力のある香、夏
の草いきれのむっとするような匂いとは違う、しっとりとした露
けき香りである。

 

ほのぼのと御粧ひや草の香  才麿  「椎の葉」


 あるサイトから季語の説明や例句をそのまま拝借して居ますが、ちゃんと読んで居ます。季語の本意を理解したいのです。
Oコスモスがきれいさっぱり無くなりぬ
 138タワーに行った時の事です。
〒491-0135
愛知県一宮市光明寺字浦崎21-3
開園年月日 平成7年4月29日

Tel :0586-51-7105
Fax:0586-51-7107
 私は背景知識も徹底的に大切だと思っています。ですので全国的に有名ではないかもしれませんが、基本データを大事にします。もちろんこれだけ把握したうえで、決して表面的には句の上には表れないのですが、やはり句作する上でのモチベーションが違います。
コスモスの花に蚊帳乾す田家かな 鬼城

日曜の空とコスモスと晴れにけり 万太郎

過去の作品に対する敬意も忘れません。ちゃんと読んで居ます。(村上鬼城と久保田万太郎)

コスモスの紅のみ咲いて嬉しけれ 石鼎

コスモス見るや鼻に日当る顔向けて 石鼎

原石鼎ですね。

コスモスはもちろん秋の季語です。私は以上の様な自分の勉強記が小説として成立するのかどうか実は自分ながら相当心もとない意識を持っているのです。もっと自然な小説が書けるのであればそれにこしたことはありません。これからそういう方向での小説も書くかもしれないし、書けないかもしれません、とにかく暖かく見守って欲しいのです。(因みに「あたたか」は春の季語で、当季ですね)
Oおなもみに動かぬ声を聞いて居る
季語は「おなもみ」。「巻耳」「蒼耳」とも書く。これも138タワーに行った時の事です。河原でした。

ここで擱筆しますね。


編集: 短編