第138期 #6

子猫のフーガ

「いってらっしゃい、フー」
僕がドアを開けて出ていこうとすると、佐和子さんが鈴の音のような声で送り出してくれた。ちりんちりん。
僕の名前はフーガ。
僕の名前には二つの意味がある。一つ目はピアノの曲。
飼い主の佐和子さんはピアノの先生なんだ。僕は佐和子さんのピアノに合わせてステップを踏むのが好きだ。ぽろんちりん、ぽろろんちりん。どう?ステキでしょ。
二つの目の意味は「みやび」。
よくわかんないけど、いい響きだと思う。
ちりん。僕は歩く。
土の上を歩く。風でヒゲがなびく。うーん、くすぐったい。
そうしてぶらぶらと歩いているうちに、川沿いでシロさんと出会った。
「こんにちは、いいお天気ですね」
「おお、チビ助」
シロさんの本当の名前はシロガネっていうんだけど、本猫が嫌がるからみんなシロさんって呼んでる。
僕のこともちゃんとフーガって呼んで欲しいなって思って、一度さりげなく言ってみたことがあるんだけど『お前はチビだからチビ助でいいんだ』って、まともに取り合ってもらえなかった。仕方ない、シロさんから見たら僕はチビだから。年齢的な意味でね。
しばらく歩いて道路の辺りに来たとき、シロさんがこう問うてきた。
「お前は猫生をえんじょいしとるか?死のうなんて考えとらへんじゃろうな?」
「まさか。散歩はたのしい、ご飯はおいしい、ピアノはきれい。こんなに幸せで死のうなんて考えられませんよ」
何故急にそんなことを?僕の表情がそう述べていたのだろう。シロさんは咳ばらいを一つ落とすと、ゆっくりと話し始めた。
「この辺りで最近『飛び出し自殺』の猫が出たのは知っとるか?」
「飛び出し自殺?何ですかそれは」
「馬鹿らしいことじゃが、猫の中には猫生が嫌になって、自ら命を断つ者がおるんじゃ。車の前に飛び出したり、えさを食べるのをやめたりしてな。特に若い者に多いな」
「そんな…」
「猫にも色々おる。好きで猫に生まれたわけじゃない、人間に生まれたかった。そう思う輩がいてもおかしくはない」
「そうですね、そうかもしれません。でも僕は猫に生まれて良かったと思います」
「そうじゃ、それでいい。それでいいんじゃよ」
そう言うとシロさんは僕に頬ずりしてきた。負けじと僕も押し返す。シロさんの頬はほんのり温かかった。
僕は僕でいい。くるくるとみやびに生きればいい。それが僕だから。
ああ、なんだか佐和子さんに会いたくなっちゃった。早く帰って佐和子さんにも頬ずりしよう。ぐるぐる。



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