第138期 #14

追懐

 祖父は犬を一匹飼っていた。タロと云った。祖母を先に亡くしていた祖父はタロしか家族が居なかった。
 偏屈なジイさんだった。祖父の家は隣家が百メートルも先にあるような山奥にあった。僕には祖父の記憶がほとんどない。高校生になった今、記憶に残っている事といえば、縁側に腰掛けて山の向こうを見つめるしかめっツラで、その足元にはまだ子犬だったタロが祖父の足に体を寄せて寝ている様子だった。幼い頃そういった祖父が近寄り難く、中学生になるとお盆も祖父の家に行かず家で留守番をするようになった。
 祖父の葬儀中、母はずっと泣いていたが、僕は祖父が亡くなった事実をどう感じればよいのか分からないまま、棺桶は火葬炉の中へと送られていった。
 葬式の帰り、父が「おい直よ、タロをうちで飼う事になったぞ」と、タロを連れてきて車に乗せるよう云った。タロは抵抗もせず、車に乗ってからも僕の腕から抜け出そうとしなかったが、僕の顔を一瞥もしないで窓の外を見つめる目からは、あの縁側に腰掛けた祖父の目を思い出させ、僕はこれは到底懐きそうもないなと思うのだった。
 夏休みの間、タロの世話は僕と母が交代でやっていた。しかし、ある日タロは寝たきり動かなくなってしまった。
「居場所が替わったからな。小屋も一緒に持ってきてやればよかったか」と父は云った。山奥とは違う、夏のアスファルトからくる暑さにやられてしまったのかもしれない。
 タロにとっても家族は祖父だけだった事を思い出した。しかし何も食べずに弱っていくタロを思うと、僕もどうも忍べなくなって湿らせたドッグフードを持って庭のタロの所へ行ってみた。プラスチックのスプーンでそれを掬い口元に持っていくと、タロはゆっくりと起き上がり口に含んだ。夏の夜、僕は虫に刺されながら、暫くの間タロの傍で付き添っていた。
 数日後、タロは元気を取り戻して散歩に行けるまで回復した。散歩から帰ってきた後、庭の日陰で木に実る蜜柑を眺めながら腰掛けていると、タロも僕の足元に寄ってきて腹這いになって涼み始めた。
 タロの頭を見下ろしていると、前を通りかかった母が「直はおじいちゃんと似てる所があるんだろうね」と他意なく云ってきた。僕はなんであんな偏屈じじいと僕が似ているんだとムッとしたが、見上げたタロと目が合うと、改めて祖父が肉親だったという身の近さに気付かされ、暫くの間、木になる蜜柑を眺めながら祖父の姿を思い返した。



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