第138期 #10

ソフトボール

 デパートの正面玄関を出て、狭い方の道路を渡ると、交差点の街路樹の間に宝くじの屋台みたいなものが営業していた。宝くじなんて率が悪すぎる、馬鹿な奴がだまされて買うんだ、と先輩に言われてから僕は一度もくじを買っていないのだが、
「当たるなんて思って買うから馬鹿を見るんで。ほんのお遊びだと思ってチップでも渡すみたいに考えれば興をそそらないこともないんで」
と妙なことをささやく売り場の兄ちゃんに誘われて立ち止まってしまった。
 声は少々しゃがれているが年はまだ若いようにも見える。魚屋さんがつけているような黒いつるつるの前掛け。足もとは見えないけど長靴を履いているに違いない。目線の高さが僕と全く同じでどうも居心地が悪い。なんで彼が立ち上がったままなのかちっともわからない。
 十枚の連番を頼んで財布の中から千円札を三枚取り出す。「はいよ」と引き換えに渡されたのはこれまた千円札。つづき番号の十枚の札を握らされていた。えっと思って売り場の兄ちゃんを見ると、目で頷いて、それから俺は忙しいんだと言わんばかりに呼び込みをまた始めた。
 千円札をじっと見る。こんなもので当選したりするものだろうか。ZX441394H。財布に戻して歩き始める。昼間だというのに雑居ビルの三階あたりの縦長に取り付けられた居酒屋の看板がちかちか光っていた。
 電車に乗って自宅最寄りの駅に着く。着いたはずなのに地下入り口の階段を下りている。夜間は閉まる鉄柵を越えて階段が折り返すおどり場の隅に浮浪者が座っていた。伸び放題の髪、ぼろいコートの背中、抱えるようにした真新しい竹刀。僕は千円札を取り出すと紙吹雪を散らすようにその人の頭上に放り投げた。この世界に祝福を。この素晴らしい瞬間に心からの称賛をおくります。
 仕事から帰ってテレビをつけると抽選会の生放送をしていた。何の気なしにチャンネルをそのままにしていたが、ZX44……、と読みあげられる声を聞いているうちに心拍数が上がり、頭に血が昇ってくるのを感じた。当選だ、いやたぶん。確かめなければ。今すぐ確かめなければ。僕は子供のころに買ってもらったソフトボール用の金属バットを握りしめると裸足のままで玄関を飛び出した。
 何としてでも奪い返す。そう、あいつを殺してでも。だが地下入り口はこの時間、すでに閉鎖されていた。真っ暗だったが、鉄柵の向こう側で浮浪者が竹刀を構えてにやりと笑うのを確かに見た。



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