第138期 #9

ともこ1

 今、煩悩を捨てた。
 わたしにはまだ選挙権がない。わたしが選挙に行ったとしても、この世界は何ら変わらないだろう。
 でも、母は言う。
「だから選挙に行く意味があるのよ」
 救世主を求めているのは皆同じなのか。
 朝のぼやけた頭が熱いブラックで覚醒されて、難しい話題は誰かの頭にまかせておいて、部屋で着替えたら学校へ行こう。四十五分になったら、膝をくずしてほら立ち上がり動くのだ。どうした、わたしの身体よ。七時には家を出る約束だったはず。
(まだ動きたくありません。あしからず、ワタシ)

 今、確かに言える。
 わたしは生きています。だってお腹がすいたもん。
 母は手早く朝食を済ますと、流しに立って洗い物を始めた。
 わたしはわたしで料理コーナーの俳優を見ながら、この人は料理しかやらせてもらえないのか、などと独り言を呟き食パンを胃の底へとおしやった。コマーシャルに入るタイミングで、申し訳程度に新聞を開き、今夜のドラマをチェックして、四コママンガは新聞のためにあるのか、四コママンガのために新聞はあるのかといった哲学を交え、四コママンガを二回続けて声に出して読んだ。まだ寝ぼけたままの頭を覚ますため、母直伝の熱いブラックをもう一杯入れる。わたしはいつの間にか、母と同じ濃過ぎるコーヒーを好むようになってしまった。
 トイレから戻り、キッチンの椅子に再び膝を抱えて座り直し、料理コーナーあとの芸能情報を見る。フリップの重要な見出しを隠し、進行に合わせて司会者がそれを剥がしていく。内容に重さはないが、剥がされるたび、何だかそれが重要な出来事のように思えてくるから不思議だ。ありふれたニュースもセンセーショナルに輝く。これが朝の手法なのだろう。画面は司会者のアップからスタジオ全体の画に切り替わる。相変わらず政治批判の多いコメンテーターは、名前の知らない顔ぶればかりだったが、眼鏡率は高い。
「ともこ、遅刻するわよ」
「これ見てから」
 コーヒーカップ底の冷めた滴を非力な吸引で吸い、好きな占いコーナーの番組に切り替える。結局、家を出るのは十五分になるのだから、自分に約束なんてする意味なかった。
(煩悩いまだ捨てられず、ワタシ)



Copyright © 2014 岩西 健治 / 編集: 短編