# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | あたし | まんぼう | 989 |
2 | ありふれたマーチ | みつれもん | 992 |
3 | 手記 | アンタ | 990 |
4 | 処世術 | 群青 | 590 |
5 | 仮面 | 豆一目 | 997 |
6 | ごめんねのなみだ | あお | 831 |
7 | 親戚付き合い | 岩西 健治 | 987 |
8 | コミュニケーション | かんざしトイレ | 1000 |
9 | はいたか夢路 | 吉川楡井 | 1000 |
10 | フィアンセのままで | なゆら | 804 |
11 | 小人の夢 | 白熊 | 1000 |
12 | 最後のデザート | qbc | 1000 |
13 | 評と自作 | ロロ=キタカ | 724 |
14 | 一番安全な場所 | euReka | 1000 |
15 | ブラックアウツ | キリハラ | 1000 |
世の中の事は、ほとんどは時が経つと忘れてしまう。
あたしは、何時もそうだと思って生きてきた。
憎たらしいとその時思ってもすぐに忘れてしまう。
皆は「それはお前が馬鹿だからだ」と言うけれど、大事な事はちゃんと覚えてる。
ちゃんとバイトだって行ってるしね。
安い時給だけど、皆とも楽しくやっているよ。今は何とかやってると思う。あんまり先を考えても仕方ないしね。
でもね、イザと言う時に備えてお金貯めてるよ。満更馬鹿じゃ無いでしょう?
何時も稔は「お前は楽天的すぎる」と言うんだよ。あたしはアマゾン派、そう言ったら「だからお前は馬鹿なんだ」そう言われてしまった。
全く稔の奴、言いたい事言い過ぎだよ。
何回か寝てあげたのに……
稔とは高校も同じ。あまり大学へ行かない学校だった。
卒業しても働く所なんてありゃしない。自然とバイトの生活になった。
稔と寝ても気持ち良いけど、心が切なくなる。
あたしだってそんなにスタイル良く無いけど、稔だって貧弱な体をしている。
「女は痩せた男に抱かれたがるんだ」なんて言ってるけど、女の子としたなんて聞いたこと無い。
だから、あたしとする時はいつも必死、その時は多少は可愛いいと思うけれど……
あたしは男の人を振ったことは無い。いつも振られてばかり、いつも向こうから「別れてくれ」と言われるだけ。
あたしは心の無い人とはつきあっても仕方ないと思うから、いつでも首を縦に振ってきた。
その時は悲しいけれど、直ぐに治ってしまう。だから皆あたしを馬鹿だと言うのかな?
明日はバイトは休みと思ったら、稔からメールが入った。
「今夜行ってもいいか?」だって……きっと今夜もあたしを抱くんだろうな。
別にいいけど、稔としても安心感はあるんだけどな……何か忘れてる感じがするんだ。
稔は何であたしを抱くのだろう?
彼女がいなくて風俗に行くお金が無いから?
だったらもうやらせてあげないんだ。あたしを風俗代わりにしないで……
本当に幼い頃から話していて、あいつが男の子だという事をふと忘れてしまう事がある。
それを思い出させる為にあたしと稔は寝るのかもしれない。
そういうことにしておこう……深く考えても答えなんて無いんだから。
帰りに稔の好きな缶チューハイを何本か買って帰ろう。
一緒に呑んで、たまにはあいつの話を聞いてやるのも悪くは無いかな。
あしたは休み。
稔と二人、目が腐るほど寝てやるんだ……
現実で生きるのは怖い。
誰かは言った。
現実で辛いことがあるからこそ夢は淡く、そして儚く映るのだと。
だけど。
夢で生きるのも、わたしは怖い。
夢はいつかは覚める。わたし達は心のどこかでそう確信している。
誰かに言われた訳ではないが、何故だかそう思っている。
では、もし夢がいつまでも覚めなかったとしたら?
夢と現実の区別がつかなくなったとき、わたしは生きる意味を失う気がした。
そしていつしか眠ることがとても恐ろしい行為のように感じるようになった。
眠るということは何か無防備なもののように思えてならない。
暗闇のなかで息を潜めているなにかに自分をさらけ出しているような。
今すぐにでもその柔らかい首筋に爪を立てて引き裂かれてしまうような。
わたしはただ自分の存在を確立したくないだけなのだ。
覚めない夢、だなんてそんな甘い響き馬鹿げている。
「皆都合のいいように夢と現実を行ったり来たりしている」
その中で必死に自分を見つけ出して留めようとしている。
そうでもしないと人は境界線が無くなり人としての意義を失う。
お互いが依存し、緩い繋がりで抱きしめ合いすがりつこうとしている。
いつかはそれも切れてしまうかもしれないのに。
人はなんども修復して結びつける。
「ひとは本当に疲れるいきものだ」
存在を認めてしまえば誰かと繋がざるおえなくなる。
ひとりは楽にちがいない?
「ひとりは別に悲しいことじゃない」
ただ自分を客観視できないだけ。
それゆえに傲慢になってしまう。
「だから、やがてひとりになる」
孤高の王様のようにただ孤独の玉座に座るだけならどんなに気が楽だろう。
残念なことに機械とは違い人間には感情が存在する。
悲しみ、虚しさやがてそれは自己を狂わせてしまう。
本当に人間という生き物はややこしい。
言葉では辛いと他人を拒否しつつも本当は誰かの助けを必死に求めている。
優しい手のぬくもりを感じたい。
それだけで人は自分の存在を確信する。
「現実のあなたは夢のあなたとは違う」
それは常に隣り合わせだが、一番遠い位置にある。
決して交わってはいけない。
それは意思であり自分ではないのだから。
夢はいいものだ。
現実を忘れさせてくれる。
だが終わらない物語はないように夢にも必ず終わりがある。
夢にいつまでも浸っていたら、それは死んでいるも同然だ。
人は他者がいなければ存在出来ない。
それは至極当たり前のことだ。
「血を通わせているのは、『あなた』なのだから」
手記はとてもぎこちない一行から始まっている。
「僕は本音を述べてみるべきだろうか」
そう始まった手記はこう終わる。
「僕はすっかり書き上げたこの瞬間もこれを書き留めたことが正しかったのかどうかわからないのです」
手記は本棚の本の後ろに隠した。
そうして僕の本音を知る存在がひとつ増えた。
その日から僕の心はいくばくか軽くなったように感じた。
親しい友人はよく笑うようになったなと微笑んだ。そうかなと答えた僕の心にはあの手記のことが浮かんだ。心ではなく紙の上にあの本音を移したことで僕にかかる重力が月並みになったのかもしれないとそう思っていた。
その年に僕は一人の女性と恋に落ちた。手と手が触れ合うこともないままお付き合いを申し込むと「私でいいんですか」と小さく答えた女の子だった。
僕らは秋には紅葉の絨毯を歩き、冬には雪の降る空を眺め、春には花の匂いを楽しみ、夏には汗だくの体を海に沈めた。
彼女はこんなつまらない僕と一緒にいることを本当の幸せのように語ってくれたし、本当によく笑っていた。
まるで三歳児の子供のようにもなるし、わがまま息子を持つ母親のようにもなる変幻自在な人だった。
そんな彼女を本当に愛していたし、一緒に住もうと口からでたのは自然な流れだった。引っ越しのときにあの本棚を動かすまで、僕らはシミの一つもない真っ白なシーツのような関係だった。僕らの間に落ちた一冊のノートに二人とも目を奪われた。僕は一瞬で彼女の顔を見る。すると彼女もこれはなにかと問うような顔で僕を見た。
「懐かしい。授業のノートこんな所にあったのか。」
僕の舌は非常に下手な言葉を並べる。そもそも本の後ろに隠してあるのはモロにわかるだろうし、授業に使うにはあまりに薄過ぎる。
そんな僕にも彼女は優しかった。
「そうなんだ。よかったね見つかって。」
いつもの柔らかな声が僕の脳裏に今でも残っている。
「あのノートなんだったの?」
後日聞かれたこの言葉とともに。結局僕は彼女を安心させれるような嘘もつけなかった。
シーツに初めて落ちた一滴の墨汁だった。でも白いシーツの上ではよく目立つ。見てるとだんだん大きくなってるのか?ってぐらい気になる。
僕はシーツを洗濯するために手記を彼女に見せるべきなのか。それとも見せることで彼女が去る可能性を踏んで見せないべきなのか。
僕は未だにどちらにするべきか決められないでいる。手記の最後はそう綴られていた。
誰だって考えたことがあるだろう死することの意味。
死を逃避だと謳う者もいれば救済だと比喩する者もいれば勝利だと揶揄する者もいる。そのどれもが正解で、そのどれもが不正解である。なぜなら、個人の価値観というものがあらゆる抽象的な議論を水泡に帰すことのできる絶対方程式であるからだ。価値観は思想といってもいいだろう。しかしながらこんな指摘は全くと言っていいほど幼稚だ。なぜならこれぐらいのことは皆が考えたことがあるからだ。
死に意味がないとは言わない。世界が憎いなら人に迷惑をかけずに死ねばいい。しかし生きている以上、迷惑をかけずにはいられないことは、1度死のうとした人間ならば、1度だって死のうと考えたことがない人間でも容易にわかることである。つまるところ世界は、少なくとも1つの家族に生まれ落ちた時点で、生きることを課すのである。懲役100年だ。絶大な強制力だ。しかしながら世界から自殺は消えない。それは「自分は不完全だから、人に迷惑をかけるのは当たり前だ」という価値観が、思想が蔓延っているからに他ならない。迷惑をかけながら生き続けるのなら、迷惑をかけながら死ぬ方がいい。私は幼稚で、不完全だか
私がここまで言うと、父親は私を殴り飛ばし、「出ていけ」と呟いた。この時の父親の表情は、今にも弾けそうなトマトのように死にそうだった。
正論だけでは生きていけないことを父親も私も知っているのだ。
町村市子という名前の子が転校してきたと知ったとき、私は複雑な気持ちになった。
学校のクラス替えも済み、娘も落ち着いてきたと思った頃から、食卓の話題にその子の名前がよく上がるようになった。
町村さんって変わってるんだよ、町村さんがこんなこと言ってね、市子ちゃんって面白いの。
「町子はその市子ちゃんって子と仲がいいのねえ。クラス別なんでしょ?」
「うん、でも移動教室と部活が一緒なんだ。だから大体毎日一緒だよ!」
楽しそうな娘に、妻がにこにこと相づちを打つ。
私も曖昧に頷きながらテレビの画面に目をやった。
テレビの中ではアナウンサーが7時30分を告げる。町子は「ごちそうさま」と手を合わせて食器を下げると、慌ててテレビのチャンネルを変えた。賑やかな音楽と共に画面はアニメに切り替わる。娘の目は早くもテレビに釘付けだ。オープニングの映像はいつも同じで、別に多少遅れてもどうということもなさそうなのだが、娘にはこだわりがあるらしい。
食後に妻が入れた茶を飲みながら新聞を開く。紙面に目を通しながら、心には別のものが浮かんでいた。
学級新聞と共に配布された新しい連絡網、そこに記載されていた町村市子とその母親の名前――町村真知子。
真知子は、十数年前に付き合っていた女だ。その頃の私は、ゆかり、今の妻とも付き合っていた。今となっては若気の至りとしか言えないが、美人でキビキビしたタイプの真知子と、おっとりして庇護欲をそそるゆかりの、二人の間で揺れる自分を楽しみたかったのだと思う。
やがてゆかりが町子を妊娠し、色々あったけれど、私は、結果的にゆかりを選んだ。
真知子は私の二股とゆかりの妊娠を知った数日後、何も言わずにいなくなった。
それで終わりの筈だったのに、十年以上も経って、同い年で似たような名前の娘を連れて、真知子はこの町にやってきた。偶然だろうか? きっとそうだと思いたい。名字が変わっていないことには少し驚いたが、離婚したということも考えられる。
どちらにしろ昔の話だ。終わった話だ。
テレビに目をやると、目の大きい少女二人が悪役とおぼしき怪人に説教をしているところだった。最近はアニメも非暴力的でなければ放映できないのだろうか。
お茶を飲み終えて席を立とうとしたとき、ふっと妻が呟いた。
マチコって素敵な名前よね。
町子が振り返り、不思議そうに呟く。
「なに、なんでお母さん笑ってるの?」
あたしは桜井美野里の涙が大嫌いだ。
美野里の教室の前の廊下を通り掛かったときだった。
なんとかカオリのグループの子たちの話し声が聞こえたのは。
「美野里、あんな子とつるむの止めて、あたしらのグループ来なよ。
そんで、一緒にカラオケとか行こうよ」
そんな言葉が聞こえても他人の言葉への関心が薄いあたしは、怒りも悲しみも感じることはなかった。
ただひと息ため息がこぼれた。またか。
あたしは無音のイヤホンを耳に刺しこんだ。
よくよく考えてみると、さっさと立ち去って聞かなかったことに
すればよかったんだけども。
なぜだかその場から足が離れなかったということは、
なんだかんだいってもあたしも動揺していたんだろうか。
うん、きっと動揺してたんだろう。
「ちょっと顔がいいからってツンツンしちゃってさぁ。
何様ですかぁって感じ」
かん高いカオリの声だけが響いて、美野里の小さな声は聞こえてこない。
そのことに少しだけ安堵している自分からそっと目をそむけた。
「えぇ?もう、美野里は優しすぎるって。
まぁ、そういうことならしょうがないけど」
その声と同時にがらがらと扉が開く音がしたので、あたしは咄嗟に
耳に髪をかけながら歩き出した。
「やば、今の聞かれたかな」
「イヤホンしてるし大丈夫じゃん?」
後ろで行われているやり取りに、上手く誤魔化せたようだと
胸をなでおろした。
でも美野里は覚えているかもしれない。
私が耳が痛くなるからイヤホンが嫌いだってことを。
心なし早足で廊下を歩きながら私は思う。
あたしはこんな言葉なんか、あんな目線なんか全くなんてことないんだ。
これは強がりなんかじゃない。
でも、だけど。
それらにあたし以上に傷つく美野里を見ることが、死んでしまいたくなるくらい嫌で嫌でたまらなかった。
美野里の涙を見るたびに、くり抜きたくなるくらい胸がずきずきと痛んだ。
でもあたしは「あたし」の傍にいてくれる人のことを手放すことができない。
だから今日も美野里は泣いて、私はそれにつっけんどんに返しながら。
心で泣くのだろう。
家康は最寄り駅近くの人妻と関係を持った。もちろん彼女は家康の妻の妹である。家康は妻と娘、息子の四人で三十年ローンで購入した四LDKのマンションに住んでいた。駅を挟んで自宅マンションと対をなす区域には商店街があり、商店街を通り過ぎた辺りからは乾いた景色が続いた。乾いた景色とは元々その地に住んでいた人間の住処のことであり、新築の艶っぽい建築ではなく、半ば崩れかけた建物も含め区域全体が乾いて見えたのである。妻の妹はその乾いた場所にいた。家康との関係はもっぱら隣町近くのファッションホテルであり、妻の聡子もそのことに薄々感づいてはいたが、聡子自身も町内の本屋亭主と関係があったので、夫婦はお互い表面上の関係を保っていられたのである。
聡子の娘、康子はそんな両親の存在を疎ましく念い、読書好きな弟の信長に愚痴をこぼしていたが極度の騎乗位好きであった。もちろん彼氏一郎よりも一郎の弟との関係の方に興奮した。そしてバイブレーターも好きである。
信長はそんな姉に対して一瞬嫌悪感を示すも、まあ親も親だと半ばあきれてリビングでのマスターベーションにいそしむのである。これから四回目の射精で、ペニスには既に痛みがあった。信長は駅前のパチンコ屋の換金所の女が信長のような高校生を貪り食うことを知っている。換金所の女であるから顔は見えない。歳も分からない。もちろんこれは都市伝説的な想像でもあったが、そして大学にいったら堂々と換金の際、女に自身のアドレスを紙片で渡すのである。顔が見えない分、想像はどうとでもなり結句は三十代後半の流行女優のものに落ち着いた。女と関係を持って果てる前、やはりペニスは痛いままなのである。残尿感のように果てた瞬間を手で受け止め、やがて換金所の女に扮した女優の顔に靄がかかりはじめ、もうやめようと昨日と同じく射精後に思った。
次郎と信長は同学年である。中学は一緒だったものの、同じクラスにはならなかった。高校は別々である。次郎は本屋の次男である。次郎は信長の従兄弟である。次郎の母は信長の母の妹である。次郎の父は読書好きの寡黙であったが、次郎は活発であり、それは母に似たものだと考えていた。しかし、実際の母、佳子は内向的な傾向が強く、顔は聡子と瓜二つである。佳子は家計を支えるためパチンコの換金業者で週三日のパートをしているが、自身はパチンコをしたことがなかった。
紗江美は今日も座れなかった。朝はいつも、出勤時間をずらして少し早めの電車に乗る。それでも座れるほどではない。帰りはたいてい残業になり、少しの残業であればラッシュに遭わなくてすむ。でも繁忙期に入れば毎日終電で、そうなるとやはり混んでいるのである。
「ただいま」
リビングの電気をつけて冷蔵庫から取り出したハンバーグをレンジで温める。ハンバーグは最近夫がはまっている料理である。まずくはないが、こう何度も食べていると飽き飽きしてくる。
修治と結婚して四年。仕事がうまくなかったのだろう、だんだん愚痴っぽくなり、一年前にはとうとう会社を首になった。子どももないのに、「専業主夫になる」といって職を探そうともせず、専ら家事の上達を趣味のように楽しんでいるのだった。
物音で起き出した修治は、ソファでぼんやりとテレビを見ている紗江美の横に座った。肩をガツンとぶつけてくる。修治は体格のよい男である。結婚前には度々、昔はよくけんかしたもんだなんて武勇伝を聞かされた。「拳と拳で分かりあう」などと真顔でいう。その体格で肩をぶつけられると痛いのである。
紗江美はとりあえず黙ってテレビを見ていた。こちらからも肩をぶつけたり、おでこを小突いたり、お互いにじゃれあうことを修治は望んでいる。だが紗江美は疲れていた。会社で怒鳴られ、客先で冷や汗をかき、ようやく帰ってきたのだ。修治には遊びでも華奢な紗江美にはダメージが蓄積する。苦痛であるのは厳然たる事実である。いちいち付き合ってなどいられない。
修治は紗江美の肩を叩いていたが、反応がないことに苛立ち、徐々にその力を強くした。そのうち止めるだろうと思っていた紗江美も平然と無視してはいられなくなった。
肩を押さえて身を固くした紗江美を、修治は殴り続けた。これではじゃれあうどころではない。紗江美は立ち上がり、寝室とキッチンの方に向かった。修治は、「おい逃げるのか」と後を追ってきた。紗江美は追い詰められた。
「何だ、腕力で敵わないからってそんなもの持ち出すのか」
包丁を握った紗江美の両手は震えていた。防衛本能で息が詰まった。振り回した包丁の刃が修治の左腕をかすめ、血が舞った。
修治はふんと鼻を鳴らして玄関を出ていった。冷却期間を置いたら戻ってくるつもりだろう。それでいい。紗江美は冷却期間が欲しかった。ただそれだけなのだ。疲れがどっと出て紗江美はその場にへたり込んだ。
梵字のように飛び立ったというがいいか、舞い落ちたというがいいか。
籬をぬけて、屋根さえ越えて、露でしめった桜の花片が腿をかすめて、ようやく我が身、地を発っていることに気がつく。煤まじりの細め雪こそ、本所の風物。……誰がいったか、颯と寒風。真冬の空の曇りの濃淡をひしと味わい昏れているうち、とうにことばは音とあいなる。台詞は流され、手水場で花咲く談義の声がみな吸い、寝くたれのあさがおにゃ鉄砲水。打ちつけるように女房衆、笑う。
梯子のてっぺんに腰を据え、目をくるりとさせているうち、徐々に昔を忘れていくようだった。半鐘が鳴っているがなんの報せだか、葉陰に伸びる長屋を出てきた、すらりとした坊主とそのあとにつく娘に見入ったが、はてどこの芸姑だったか。
解せぬが哀れ、されど瑣末にも思い起こせぬ。
朱地に映える金銀糸で、桜と鯉と几帳を縫った鹿子絞りの振袖も、面影こそあれ思い出せない。ちょい、ちょい。見返り賜りたくて囀るも、さながら夜鷹、年増の呼び声。せめて草笛めく軽やかな声は出せないものか。
近う寄れ、近う寄れ、節をつけて詠う声。
夕べのことであるような、はるか昔であるような。行灯を消すやわい吐息は感じだせるが、面差しは宵の暗がりに溶けて見えない。
ちょいちょい、ちょいちょい。
哀れさ弥が上にも、懲りずに囀れど時遠く心わびしく。
あしゆびを梯子から離したとたん襲い来る烈風。娘の唄に傾きぬ耳孔に突き刺さる、霜溶けてなお凛々とした風で、くるりよく回る景色もじきにか細く、ついには遠く、婀娜めく容色その幻影も、燃やして濡れた比翼の先で雫となりしたたる。
――葬礼の片寄せてゆく鷹野かな
冷気が肺臓に吹きこんできて目がさめた。擦半鐘と人の声やかましく、はだけた羽織をはらって外にでる。ばっと軒先に赤火が起ったかと思えば、一変、夕映えの路地。向こうでは、裾に桜と鯉を泳がせた朱の振袖が嫋やかに去る。いずくから笛の音、拳ほどの一羽の灰鷹が凄い勢いで横切る。灰色斑のつぶては丸帯のうえを滑って、娘のうなじに嘴を刺す。
墨を散らしたかのように黒々とにじむ視野を睨めれば、凍みた蟀谷が汗ばんだ。空つんざける悲鳴聞きつつ、自ずから背負う火柱で、今宵だれの葬式かようやっと思い出す。黒無地羽二重は影もなく、娘は振袖、参ってはくれなんだ。
軒からしたたる霜解けの水、煤だけ仰ぎ呑んで思うは、はて。
どこの芸姑だったか。
すわって靴下を脱ぐときに、上体を曲げて手で靴下を引っぱり剥ぐ行為が好きだ。身体の固いわたしは気合いを入れて手を伸ばさないと靴下の先に届かない。運動した方がいいよ、と姉は言うが、運動ではなく、柔軟ではないだろうか、と変なところに引っかかり何もしない。片一方ずつ靴下を剥ぐ。それをぽい、ぽい、と放る。靴下は脱ぎ散らかすべきものだ。床にてん、てんと落ちていることが靴下の、自由度をあらわしているのだ。つまり、靴下をはいで、そのままその辺に放置することが、靴下の靴下たる所以で、それがなければただの布と成り下がるのだ。例えば下着だったらそんなに無闇に脱ぎ散らかしてはいけない、すごく卑猥な印象を与える。例えばコートだったら場所を取る。パジャマだったら存在が大きすぎてなにかどんよりとした気分になる。けれど靴下だったらちょうどいい。脱ぎ散らかすのにちょうどいい大きさと存在感だ。と姉が言ってたので、それはこじつけだよと嗜めながら靴下をはいた足でのどをそよそよしてやる。姉はこそばゆそうに目を細める。ああもう珈琲を点てよう、もっと現実的なことを話したい。親戚へのあいさつはいつ、旅行の費用はいくら、貯金はいずれ尽きてしまう。生活費を稼ぐ必要がある。電気や水道はすぐに止められるんだ。靴下にかまっている暇はない。フィアンセがもうすぐやってくる。きっとわたしを抱くのだろう。姉の前で抱くのだろう。姉はかまわず鳴くにちがいない。あんた、遊ばれとるんよ、本当に大事なんなら、日曜の深夜に来んわ、と囁いている。でもそれはくっそ忙しいからだし、最初は少し乱暴だけど射精した後はすごくやさしくしてくれるし。まったく都合のいい女や。きょう、フィアンセに聞いてみよう。靴下を脱ぎ散らかしていいかどうか聞いてみよう。もちろん、いいよ、と言ってくれる。フィアンセのままで、わたしの点てた珈琲を飲んでくれる。きょうは朝までいっしょにいてくれる。
私は両手を広げて仰向けになっていた。掌に乗る程の裸の小人が自分の周りで動いていた。五人か、六人か。五十センチもありそうな、大きな包丁を持った者が三人、四人。皆同じ、じじいの顔で、鷲鼻に細い眉と目を顰めて、口はへの字で貼り付いていて、口としての機能は持っていないようだった。生まれてこの方同じ表情で、同じように作業を繰り返す、それが彼らの役割なのだろう。
小人がその包丁で、私の丁度、あばらの下の胴を切り落とした。またもう一人が左肩の付け根を切り落とした。切り落とされた腕は、付け根から五センチ程に輪切りにされていった。神経の切り離された腕は他人のようで、段々と短く形を失っていく。神経は繋がっていないが、痛々しい。手首を切られると掌はぶつ切りに。下の方では左脚も同じように切られていて、右足に取り掛かるところだった。
――ここで夢は終わり、目が覚めた。雨戸の閉まった暗い部屋と天井があった。暫くベッドから出られず、頭だけが動いている。
自分の体は何でできているのだろう。食べた物だろうか。今の自分は、どういった結果、どういった産物なのだろう。
外は雨が降っている。雨の叩く音が、誰かの足音のように聞こえる。日は過ぎていく。濃度の薄いスケジュール。年末まであった仕事はもうない。
大掃除に、ベッドの下にあった過去の物を選別して大分ゴミに出した。余計な過去の物は捨てて、色々な重みをなくそうとした。捨てる時、確かにあれはゴミだった。しかし年を明けてみれば、ゴミを捨てた結果、何もなくなった自分がここにある気がした。物以外の積み重ねてきた経験も、また同じゴミだったのだ。
布団から這い出てベッドに座る。切られた両腕と両脚は残っていて、痛みなく動く。居間に降りるとストーブの前で手術した足を揉む母がいた。
「体が不便なく動く事は大変有難い」というのが、最近の母の口癖だった。
オリンピック、ワールドカップ……。華やかな言葉の陰に住む。ぽっかりと黒く塗り潰された過去の上に、今の自分の歳が乗っている。積み重ねてきたと思っていた物も、ゴミのような物だった。自信のなくなっているのが要因だとも分かっている。ならば、自信を持つことができれば解決できるのだろうか。
自分の頭と動く体があるのなら、低賃金でも、将来に繋がるのか分からなくても前に出てみようよ。前に出る一歩。それは体に付いた脚ではなく、心のことなのだろう。
山彦に桜の声の加はりぬ 大串章
季語は「桜」。「桜の声」とは現実逃避ではあるまい。「山彦」とうまく呼応して居る。
眼の中にキリン駈けたる花ざかり 岡井省二
季語は「花」。俳句で「花」と言えば桜の事。(古今和歌集でも「花」と言えば桜だが・・万葉集では「花」と言えば「梅」)
此処まで評して私は思い出していた。
O旅前(たびまえ)に濱田省吾を聞いて居る若狭敦賀はどんな地だろうか 自作
じゅぶじゅぶと水に突っ込む春霞 岸田稚魚
季語は「春霞」。「霞」とだけ言えば秋の季語。「春霞」が水の中へ?これも非現実的な感じがしなくもないが、むしろ気体と液体の共演と考えれば興趣も湧こうか。
斧嚙ませたるまま春の樹となりぬ 大石悦子
季語は「春の樹」。どうでもいいが「村上春樹」を想起した。「斧嚙ませたるまま」とは凄い。全然具体的なシチュエーションをイメージできぬまま凄いと思って仕舞った。夏か秋か冬の林業がほのかに想像されるが、例えば枝打ちや、間伐など、何れにしろ、すさまじいまでの作者の感情とマッチングしたのでは詠んだのではないかと思われる。
春逝くやダルマカレイになるもよし 桂信子
季語は「春逝く」。「ダルマカレイ」なんて魚居るの?と思って仕舞った。後で詳しく調べて報告したいと思います。とにかくこの俳句だけに専念すれば、「なるもよし」と言う表現など掟破りの様なすごい表現だと思いました。破天荒な感じがむしろ成功した稀な表現ケースなのではないでしょうか。こう言う試みは真似して頂きたいし私も真似居したいと思う反面、やっぱりちょっと引いちゃう感じが強いよなと言う感じです。
ここまで評して来て、評しながら自作をなしいて行くのは少し困難を感じるのであった。
神様に名前をもらった夜、私は朝がくるまで星の数を数えた。
「新政府は、現日本政府に失望したすべての日本国民を受け入れ、われらとわれらの子孫のために、放射能被曝の脅威から人々を救済し、再び戦争の惨禍へと国民を導かんとする国家ファシズムの暴走を断固阻止することを決意し、ここに、生存を求める権利がすべての人々に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
テレビは昼間から風の谷のナウシカを放送している。チャンネルを変えるとACジャパンのCMが繰り返されたあと、やはりこちらでもジブリの風立ちぬが始まった。
「そもそも人間社会は、そこに暮らす一人一人の信頼により成り立つものであって、その秩序は一人一人の善意に由来し、その正義はより弱い立場の者のためにこれを行使し、その利益は一人一人の幸福のためにこれを享受する。これは人間社会を存続させるための原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の国家体制及び政治勢力を拒否する。」
私は冷静にテレビを消し2週間ぶりに部屋の窓を開けた。ネットの情報では絶対に窓を開てはいけないことになっていたが、空がよく晴れていたので私は1分だけ窓を開けることにした。
「新政府に集うわれらは、未来を生きる人々の存在を常に考え、今生きている人々と同じように、彼らにも未来において生きる権利があることを想像しなければならないのであって、そのように続いてきた人類の営みを肯定し、われらと未来の人々の生存を保持しようと決意した。」
私はディズニーランドに行ったことはないが、核ミサイルが落ちた場所はその辺りだという。近所のスーパーは、白マスクをした客が増えたこと以外はたいして変わらない。多少品数は減ったような気もするが、必要な物を揃えるには十分な量だ。くまモンの牛乳や、くまモンの殺虫剤まで置いてある。
「注意:本剤を人に向けて噴射してはいけません」
アイス売り場の冷凍機の中には小さな子どもが横たわっていて、アイスの山に埋もれながら静かに夢を見ている。もしくは既に死んでいるのかもしれないが、子どもの考えではここが一番安全な場所なのだ。
「注意:本剤を過って飲み込んだ場合は、速やかに医師へ相談するか、または後悔して下さい」
私は精肉売り場でアメリカ人の肉と日本人の子宮を買ってスーパーを出た。中国人の眼球も沢山あったが、私は眼球の調理法など知らない。
小雨の上がった駐車場に猫が姿を現した。三毛、白、白、キジトラ、錆、茶トラ白の六匹。いずれも気の強そうな眼差しを、人間に見えない中空のあれやこれやに向ける。
隣家の老婆が用意した餌は、食べ残しても良いようドライフードばかり。小分けが多く、大袋は買わない。何しろ猫の好みは一晩で変わる。ペットショップは猫餌に関してのみお薦めを言わない。
白二匹がいち早く餌皿に駆け寄る。兄弟なのか、尻尾の形以外で見分けることは極めて難しい。いつでも二匹で行動するおかげで傷痕は少ない。野良猫の世界は全てが生死に直結する。
キジトラはチータのすばしこさで脇から餌を狙う。しかし彼は幼い外飼いの猫であるため、争いに勝った試しがない。筋力や体格以上に執念、気迫が物を言うことを彼はまだ知らない。
三毛はでっぷりした身体を揺らして様子を窺う。彼女は左右あらゆる角度から腰の入ったフックを繰り出すハードパンチャーである。いつでも餌にありつけると知っているし、あさましい態度はむしろ迫力を削ぐ。
錆猫は白の片割れと鼻を合わせ、場所を空けてもらう。縄張りが広い代わりか、基本的に争いを好まずどこからでも餌を手に入れる。聞いた話では定食屋の主人が長く外飼いにしている。臆病と慎重、勇猛と無謀の境目を見分ける術に長けている。
彼らが食事を終える頃、長毛種の茶トラ白が動く。五匹は蜘蛛の子を散らすごとく後ずさり、大きな輪を作る。数え切れない名を持つ茶トラ白は、齢二十を超えても若々しさに満ちており、十年前に比べればくたびれた毛並も、あちこちの傷痕と相まって野生の鋭さを体現する。
キジトラがちょっかいを出そうとにじり寄り、一睨みで撃退される。白二匹は遠巻きの姿勢を崩さず、攻撃的な三毛ですら錆と身を寄せ合って彼の表情に目をこらす。
地域の猫は、例外なく彼の手にかかった。野良、飼いを問わず近寄る者を引っ掻きまた噛み付き、再起不能の傷を追わせる事も多々あった。去勢されていないにも関わらず、一度として交尾に及ばない孤高の存在である。犬ですら彼を避け、睨まれれば血迷ったように吠える。
五匹は彼の知り合いだが、関係は良くない。友人には遠く、手下の信頼もない。むろん家族にはなり得ない。
一帯に六匹以外の猫は存在しない。部屋飼いはいるかもしれないが、町で猫と言えば茶トラ白、あと五匹。彼らが死に絶え、猫文化は終わる。歴史は閉じるところである。