第136期 #5
町村市子という名前の子が転校してきたと知ったとき、私は複雑な気持ちになった。
学校のクラス替えも済み、娘も落ち着いてきたと思った頃から、食卓の話題にその子の名前がよく上がるようになった。
町村さんって変わってるんだよ、町村さんがこんなこと言ってね、市子ちゃんって面白いの。
「町子はその市子ちゃんって子と仲がいいのねえ。クラス別なんでしょ?」
「うん、でも移動教室と部活が一緒なんだ。だから大体毎日一緒だよ!」
楽しそうな娘に、妻がにこにこと相づちを打つ。
私も曖昧に頷きながらテレビの画面に目をやった。
テレビの中ではアナウンサーが7時30分を告げる。町子は「ごちそうさま」と手を合わせて食器を下げると、慌ててテレビのチャンネルを変えた。賑やかな音楽と共に画面はアニメに切り替わる。娘の目は早くもテレビに釘付けだ。オープニングの映像はいつも同じで、別に多少遅れてもどうということもなさそうなのだが、娘にはこだわりがあるらしい。
食後に妻が入れた茶を飲みながら新聞を開く。紙面に目を通しながら、心には別のものが浮かんでいた。
学級新聞と共に配布された新しい連絡網、そこに記載されていた町村市子とその母親の名前――町村真知子。
真知子は、十数年前に付き合っていた女だ。その頃の私は、ゆかり、今の妻とも付き合っていた。今となっては若気の至りとしか言えないが、美人でキビキビしたタイプの真知子と、おっとりして庇護欲をそそるゆかりの、二人の間で揺れる自分を楽しみたかったのだと思う。
やがてゆかりが町子を妊娠し、色々あったけれど、私は、結果的にゆかりを選んだ。
真知子は私の二股とゆかりの妊娠を知った数日後、何も言わずにいなくなった。
それで終わりの筈だったのに、十年以上も経って、同い年で似たような名前の娘を連れて、真知子はこの町にやってきた。偶然だろうか? きっとそうだと思いたい。名字が変わっていないことには少し驚いたが、離婚したということも考えられる。
どちらにしろ昔の話だ。終わった話だ。
テレビに目をやると、目の大きい少女二人が悪役とおぼしき怪人に説教をしているところだった。最近はアニメも非暴力的でなければ放映できないのだろうか。
お茶を飲み終えて席を立とうとしたとき、ふっと妻が呟いた。
マチコって素敵な名前よね。
町子が振り返り、不思議そうに呟く。
「なに、なんでお母さん笑ってるの?」