第136期 #4

処世術

誰だって考えたことがあるだろう死することの意味。
死を逃避だと謳う者もいれば救済だと比喩する者もいれば勝利だと揶揄する者もいる。そのどれもが正解で、そのどれもが不正解である。なぜなら、個人の価値観というものがあらゆる抽象的な議論を水泡に帰すことのできる絶対方程式であるからだ。価値観は思想といってもいいだろう。しかしながらこんな指摘は全くと言っていいほど幼稚だ。なぜならこれぐらいのことは皆が考えたことがあるからだ。
死に意味がないとは言わない。世界が憎いなら人に迷惑をかけずに死ねばいい。しかし生きている以上、迷惑をかけずにはいられないことは、1度死のうとした人間ならば、1度だって死のうと考えたことがない人間でも容易にわかることである。つまるところ世界は、少なくとも1つの家族に生まれ落ちた時点で、生きることを課すのである。懲役100年だ。絶大な強制力だ。しかしながら世界から自殺は消えない。それは「自分は不完全だから、人に迷惑をかけるのは当たり前だ」という価値観が、思想が蔓延っているからに他ならない。迷惑をかけながら生き続けるのなら、迷惑をかけながら死ぬ方がいい。私は幼稚で、不完全だか



私がここまで言うと、父親は私を殴り飛ばし、「出ていけ」と呟いた。この時の父親の表情は、今にも弾けそうなトマトのように死にそうだった。


正論だけでは生きていけないことを父親も私も知っているのだ。



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