第134期 #11

小川家の井戸

 夜に妹が言った。
「井戸に物を落としたの。だから底に降りて取りたいの」
 うちは江戸時代からこの土地に暮らしている。家自体は建て直して新しいが庭に古い枯れ井戸があった。
 父に妹が訊ねた。
「どうやって?」
「業者に頼む」
「バカ言え。金がかかる」
 妹は口をアヒルのように尖らせた。拗ねて黙った。二五歳の社会人の行動ではない。
 その後、父の酒に付き合わされた。父が言った。
「井戸の件をどう思う」
「面白くないです」
 父は顎髭を撫でながら「同感」と頷いた。眼光を鋭くした。
「長男のお前だから言うが、家族に見られたくない物はすべて井戸に放ってきた」
「俺もです」

 金曜。俺は恋人の家に泊まる。
「死体でも捨てたの?」恋人に嘲られた。
「バカな。家族に見られると信用を失うものだ」
 恋人は色々と想像を巡らせているようで暫く沈黙した。口を開く。
「いずれにしろ家族に嫌悪感は持たれたくないね」
 恋人は近く妻となる予定だった。憎まれた息子に嫁ぐ女は気不味いものだろう。
 恋人が俺に妙案を囁いた。

 日曜。家族が集められた。
「風水的に悪いそうだから井戸は塞ぐ」
 父が言った。
 金曜の晩に恋人に囁かれた時には善いと思えたが、いざ父が口にすると間抜けに聞こえた。父を抱き込み、父に言わせたのが失敗だったのかもしれない。
 家族は直径一mの井戸を囲んでいた。祖母、父母、俺、妹。恋人も居た。この後に婚約宣言し、井戸の件を有耶無耶にする目論見がある。六人で、家族で、井戸を囲んでいた。みな井戸を覗き込んでいる。冬晴れだった。仮に井戸の底にカメラがあるとする。そこから映したならば、家族の顔が円の内縁に並ぶ映像が撮影されただろう。
「嫌だ」
 妹が父を睨んだ。誰もが黙った。父が言った。
「しかし風水的に」
「バッカじゃないの。占いなんて」
 祖母は背後に気を取られていた。背後では知己の土建屋がコンクリートを練っていた。彼は寡黙だ。
 母は笑顔だった。
「ほうとう、出来てるのよ」
 母は自分の手料理を早く家族に振るまいたいのらしい。特に俺の恋人に。恋人は母に愛想笑い。
 俺が言った。
「何が落ちた」
 妹は躊躇った。が、答えた。
「卒業証書」
 妹は一流大学を卒業した。妹は時折、深夜、井戸に向かって卒業証書を読みあげていたらしい。安心するのだと言う。
「証書なんて大学事務に言えば幾らでも再発行できる」
 たぶん、できる。妹は瞳を輝かせた。井戸を塞ぐことが決定された。



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