# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 自転車操業の自転車屋さん | ...カラコロモ | 287 |
2 | もう一回、チャンスをください | mmoe ★ | 384 |
3 | 蜻蛉(とんぼ) | STAYFREE | 999 |
4 | アンドロイドはバスタイムの夢を見るか? | まんぼう | 962 |
5 | 煙 | アンタ | 1000 |
6 | 面倒な女 | 豆一目 | 997 |
7 | ハイ・ファイ | なゆら | 615 |
8 | 四年ぶりのデート | 岩西 健治 | 953 |
9 | 通学路 | tochork | 870 |
10 | ロックンルージュ #69262 | 金武宗基 | 232 |
11 | どうかわたくしに!! | あかね | 1000 |
12 | トンちゃん | qbc | 1000 |
13 | 無題 | フジイ | 594 |
14 | アイス | 西直 | 1000 |
15 | 時の踊り子 | 白熊 | 1000 |
16 | 生意気なマキ | euReka | 1000 |
父は這いつくばって生きていた。
自転車を盗み、色を塗り替え三千円で売る。
これが父の仕事だった。
父はこの仕事に誇りを持っていた。
駅前に置いてあるのは全部、放置自転車だ。
俺に持ってってくれと言ってる。
だから持って来るんだ、色を塗るんだ、売るんだと。
その父が死んだ。
そして今、僕が駅前の自転車を持ってきて、色を塗り替えて、三千二百円で売っている。
二百円値上げしたのであまり売れない。
自転車操業なのでとても困る。
父は這いつくばって生きていた。
僕は漂いながら生きている。
桐月藍斗(きりつきあいと)を小3になって初めて同じクラスになったとき、好きになった。話すのも楽しい、いつも一緒に何かをしてるのが当たり前で…。でも、そんな楽しい日々も今日でおしまい。「桐月は家庭事情により他の県へいくことになった。明日の朝には出るそうだ」この発表があってたら、正直焦った。今日の間に気持ちを伝えなくっちゃ!………… 結局、夜に…。
チャンスをください。もう時間がないんです。と強く願ったとき−
「おーい!」えっ!?慌てて窓から外を見るとそこには藍斗が…「なんで!?なんで来たの?」「来ないわけにはいかねえだろ。今日ずっと悲しそうな顔してたよな。」「うん。だって、だって、あんなこと言われたら…」涙が溢れてきた。「泣くなよ。俺だって……それよりお前のことが好きだ。降りてきてくれねえか?」「あっ、うん!」ガチャ
「あっ」私が出てくると目の前には藍斗が……
蜻蛉が排水溝の蓋の下で羽をばたつかせて、もがいていた。
うだるような暑さの日々が終わり涼しい風が吹き始め、セミの鳴き声も少なくなってきたようなそんな日の午前中。
両脇につつじの植え込みがある緑道の四角い升の排水溝。普通ならだれも気に留めないような、そんな場所で蜻蛉が、排水溝の網の目になっている鉄の蓋の下でジリジリという音をたて、羽をばたつかせているのだ。
蓋の網の目は小さくて、蜻蛉は外に出ることができない。この排水溝の水で孵化して成長したのだろうか? だとすれば蜻蛉は生まれてから一度も外の世界に出ていないことになる。
僕は蜻蛉の様子をじっと見ていた。状況は変わらない。蜻蛉は外に出られずに空しい音をたて続ける。
携帯電話の着信音が鳴り、僕は歩き出した。通話を終え、あの場所が気になり振り返ってみた。一瞬だけ、蜻蛉の羽の音が聞こえたような気がした。
次の日も排水溝の中をのぞいてみた。蜻蛉はやはり外に出ようと必死に羽をばたつかせている。何とかしてやりたいと思うが、排水溝の鉄の蓋は重くてとても開けることはできない。
僕は蜻蛉の様子をじっと見るしかなかった。蜻蛉は引きずり込まれそうな薄暗い底から逃れるように必死に太陽に向かって羽ばたいている。
しばらくして僕は歩き始めた。三十メートルほど歩き、昨日と同じように振り返ってみる。近くの道路を救急車がけたたましくサイレンを鳴らし、通り過ぎて行った。
次の日も、また次の日も蜻蛉はがむしゃらに必死に羽音を響かせていた。物理的な常識など関係ない。ただ自分は外に出るのだと、そんな意志が伝わってくるような音だった。
一週間、二週間、日を重ねても蜻蛉は諦めなかった。そして一か月後、排水溝に目をやると蜻蛉は外に出ていた。蓋の下には何もいない。間違いなくあの蜻蛉だろう。
「よく頑張ったな……」僕は蜻蛉にだけ聞こえるようにそうつぶやいた。しかし返事はない。何の音も聞こえてこない。
息絶えている――蜻蛉はもう羽をばたつかせることはない。
どうやって外に出たのだろう? でも、蜻蛉は確かに排水溝の外で最期の時を迎えたのだ。
一滴の水滴が零れ落ちた。それは排水溝の網目をすり抜け底にある水に落ち、波紋を作った。道路際に並んでいる街路樹から大きな枯れ葉がひらひらと舞い降りてくる。
枯れ葉は風に吹かれて排水溝の方に飛んできて、横たわっている蜻蛉の上に優しく被さった。
およそ、近年に置いて最高発明は家庭内アンドロイドの出現だろう。
何しろ、およそ家庭内で人が行動するあらゆる作業をこなし、その知識はインタ-ネットを通じて無限の教養を誇り、またその器用さは人の及ぶ処では無かった。
そして、その姿は年々改良され、今では本物の人間と区別がつかない様になっている。只、声だけは合成音声であり、その点だけは改良が許されていなかった。
だが闇社会ではより人に近い音声に変えるプログラムが取引されており人気の声のプログラムは高値で取引されていた。
そして裏社会ではこれらを、性産業様に改造していたのだ。
いわゆる、セックスアンドロイドである。
政府はこれを取り締まる為にアンドロイドGメンが組織された。
宏はこの組織のメンバーの募集に応募したのだった。
彼は元々アンドロイドの技師だったが、その仕事に疑問を持ったのだ。
彼にとってこれは天職だった。
いわゆる「蛇の道は蛇」と言う事で、次々と業績をあげて行った。
その結果、社会からセックスアンドロイドは一掃されたのだった。
宏の忙しかった仕事もやっと一息だ。
「ただいま、今帰ったよ」
「おかえりなさい!ご飯にしますか?お風呂にしますか?」
愛妻が聴いてくれる。
「風呂にする」
そう言うと風呂の温度を調整し着替えも用意してくれる。
「一緒に入ろう」と愛妻を誘うと
「はい」と短く言って浴槽に入って来る。
「防水は大丈夫だろうな?」
そう訊くと愛妻は
「大丈夫です。パッキンは新品ですから。自己管理プログラムは正常に動作しています」
「そうか、なら安心だ。さあおいで」
宏はそう言うと見事な肢体の愛妻を抱いたのだった。
「愚かな人間どもよ。こうして己のみの楽しみのみにして於けば良いものを……そして、セックスアンドロイドを駆除しても人口減少問題は解決しない……」
宏はそうつぶやきながら、己の楽しみに没頭する。
「ご主人様、今日はお仕事大変でしたか?」
「ああ、大変だったけど、お前とこうして楽しんでいると、全て忘れてしまうよ」
「それは嬉しいです」
そう言ってアンドロイドは唇を重ねてきたのだった……
「うん、どうした?」
「はい、最近は自分がアンドロイドだと知らない者もいるみたいですね」
「ああ、改造業者も技術が上がって来ているからな」
そう言いながらも宏は「自分も明日パッキンを替えよう」と思うのだった……
飲むとよく手のでる父だった。
母も僕も殴られた。
土下座で泣いていた母を今でも思い出す。
そんな母を見ても父は手を止めなかった。
手を振りあげた時の恐ろしさ。
部屋の明かりを遮り、シルエットだけが目には焼きつく。
壁まで吹き飛ばされ、ただただ涙と嗚咽しかでなかった。
父が冷たい目で見下ろしているのが目を開けずともも想像できた。
普段の父は優しかった。
よくおもちゃやお菓子を買ってくれた。
僕は普段の父にもびくびくしていて、自分から物をねだることはなかった。
母はいつも笑うように務めていたんだと思う。
ガラスのような空気を子供ながらに感じていた。
どんなに普通を演じても恐怖が底に。
幸せそうに食卓を囲む僕と母はいつもどこかに青あざができていた。
食後に窓際でおいしそうにタバコを吸う父。
煙を吹きかけてきて僕がむせるのを笑っていた。
他人が見れば人懐っこそうに笑っている父も僕には。
父は交通事故で人を殺している。
雨のよく降る夜に赤信号で飛び出してきた車。
相手の運転席に座っていた男性は病院に運ばれ死亡。
助手席に座っていた女性と父は無事だった。
相手のカップルは若い新婚だったそうだ。
それ以来酒を飲む量が増え、だんだん別人になっていった。
母もなぜ父が酒を飲むようになったかを知っているから何も言えなかった。
自分が支えなければと思っていた。
線香の煙は手を合わせる僕の顔にまっすぐのびた。
珍しく風のない日だった。
ガンで死んだ父はベットに横たわって「タバコは絶対吸うなよ」と言った。
そんな父の言葉に僕は黙って頷くことしかできなかった。
父の死は自分の中で随分と扱いづらいものになった。
憎悪と悲しみと喜びといろんなものが膨らんで僕を内側から圧迫した。
父が入院しても母はよく看病をしていた。
母親は青あざのない体になり、時間を取り戻すように心から微笑んでいた。
父はすぐ死んでしまったけど随分苦しんだ。
苦しむ姿を見るのは僕はとても苦手だ。
誰に対してでもそうでありたい。
二十を過ぎた僕はお酒を口にしたことはない。
人の苦しむ姿を見たい人になるといけないからだ。
タバコに火をつけ口にくわえた。
母は父と同じお墓に入れられたのを喜んでいるだろうか。
僕は土下座する母も病室で父と微笑み合っている母も覚えている。
わずかな記憶だけど信じたいのは笑ってる顔だった。
僕はささやかな抵抗と膨らんだ思いを煙に込めて吐き出している。
煙は線香の煙と一緒にまっすぐ空へのぼった。
頭の中にしか無い地獄に私はもうこれ以上耐えられない、と血で書いた遺書を僕の妻である彼女が残したのは実はそれで四回目で、それこそ初めは死への躊躇いと甘えが交互するような手口で生き残っていたけれど、けれど回を増すごとにやり口は激しさと確実さを増し、最終的には夜中に不法侵入した三十五階建てのビルから飛び降りることによって頭蓋骨を粉砕し、とうとう彼女なりに成功を果たしたとはいえ、それでも死にきらずにその後数日スパゲッティ状態で、そして彼女はこの世から永遠に退席した――彼女は憎悪と恋情と愛着で僕を散々えげつなく切りつけておきながら、最期は清々しいほどためらいの無い一撃で僕の心に深く暗い穴を開け、そのまま彼女の脳内よりはマシな地獄まで一人勝手に落ちていったものだから、彼女のほかには誰も支えてくれそうにない穴ポコな心を片手で握り、両親義理両親を筆頭に親戚やら友人やらの同情だとか憐れみだとか、あるいは憎しみや好奇の視線をもう片方の手でどうにかこうにか遮って、使えない両手と残った両足だけで重たい泥の中を這うように葬式や四十九日や一回忌を乗り越えるのがどれだけ大変だったかなんて自分以外の誰にも分からないだろうし分かってもらおうとも思いやしないが、しかし文字通り死ぬほど大変だったことも事実で僕は結果的に彼女の死後から一ヶ月程で十五キロも痩せ、これはきっと彼女があの世に持っていった肉の不足分を僕が払わされた、いや実際に死んだ彼女の方が楽だったんじゃないかと思うくらい、いや、死んだ彼女はあれはあれで苦しみから解放されたのだと、そう思えるくらいに時間が立ったあとも彼女がぶち抜いた心の穴は相変わらず真っ黒に僕を誘い込み、しかしそれとは別に淡々とした月日は流れ、僕は空っぽの体でも食事をして排泄をしてそしてたまには笑うようになって、やがて白い月が迂闊にも美しい光を彼女の位牌に投げ込む晩が訪れたときにその位牌がもはや僕を詰ることも振り回すことも僕の心を削り続けることもないのだと気がつき、彼女がとった方法はあまりにも最悪だったけれど僕がこれからの毎日をゆっくり眠りながら過ごせるようになるためには最良の方法でもあったことに気がつき、そのときあの穴の正体、彼女が開けた穴の正体に、僕は、ようやく彼女が僕のために作った不器用極まりない穴の暗がりの奥に、穏やかな眠りが用意されていたことに気がついて泣いた。
ごめんなさい、今週の最下位は乙女座のあなた、仕事上のトラブルに気をつけて。でも大丈夫、乙女座のあなたのラッキーアイテムは七面鳥をじっくり焼いて醤油、オイスターソースなどをあわせた特製のたれを塗りさらに焼いたテリテリの皮の部分を、まずはナイフで切って香菜を包んで口に運び、思い切り噛むでもなし、ゆっくりと舌でもてあそぶように舐り噛んだときに、その上質の油分がじゅるんと染みでてきてやや、舌上の魔術師の異名を持つ彼と対面する。おぬし、何者なりと怒鳴り声を上げるのは七面鳥で、彼は我こそは味覚なりと応える。雷は空高く、鳴り響き、大粒の雨が頬を伝い落ちていく。七面鳥は旗を振り上げて、攻撃開始の合図を送る。怒号とともに駆け出す七面鳥の群れ、こっこ、こっこ、こっこ、とくちばしでもって味覚をつつくつつく。たまらん、と逃げ出す味覚。逃げ場所はもうなく、うしろは断崖絶壁、これぞまさに四面楚歌よのお、と余裕を見せて味覚、口笛を吹いている。なんだ、追いつめられてなおその余裕はなんなのだ、と七面鳥の群れとしても不気味に感じて、一旦停止。味覚は深く息を吐き、ぴょんと飛び上がる。ちょうどやってきていたヘリから垂らされた縄梯子につかまってあれよ。さらば七面鳥よ、これがわしのやり方じゃい、と味覚は瞬く間に小さく小さく豆粒ぐらいになっていく。まま、あっけにとられて七面鳥、追え!追え!と言うもむなしくその羽をはたはたとふるわせるのみ、いってらっしゃい。
本屋向かいの飯屋では、天丼一〇〇杯の出前依頼が本気なのかどうかにあたふたしている店主を尻目に、パート連中は昼のかき入れ時を過ぎた時間帯、おしゃべりはもっぱら四年ぶりにデートをする青年の話題になっている。
夜の校舎、暗い廊下、自分を含め四人の人物、親しい間柄だと信じているが誰なのかはいまいちはっきりしない。そのうち二人は鏡に姿が写らないから既に死んでいると判明している。その死んだ二人に対しては、悲しみが強いのか、恐怖が強いのかと言えばやはり後者の方だが、生きている一人には、自分が薄情な人間なのだと思われたくない一心なのである。ただ、この生きている一人が自分の親しい誰だったのかを思い出せずにずっともやもやしたままでもあった。
これは昨日青年が見た夢の内容の抜粋。
青年はこのような内容を深夜二時頃に、ソーシャルメディアに書き込んで忘れないよう記録した。脳が活性していないのでキーボードを頻繁に打ち間違えている。
本題は四年ぶりのデートのことで、歯を磨いた後に手で口を押さえ吐いた息の匂いを確認すると卒倒してしまう。または歯間ブラシで左下の奥歯からぎこぎこやって匂いを嗅ぐと卒倒してしまう。一〇数本の歯間ブラシと三度の歯磨きで口の中が鉄の味になった。パンツは下ろしたてのものを履く。
飯屋の向かい、本屋の店先、平積み週刊誌の山、四年ぶりのデートを早くも嗅ぎ付けたパパラッチは、青年が実際にデートをする前に情報を出版社に売り込んだ。青年は週刊誌の表紙を見て、自分が四年ぶりのデートをしなければならなくなったことに気づく。
そりゃあ、気になってはいるが。
(まだ多少めんどくさいところもある?)
まぁ。
「○○さん、今度飯でもどう?」
「○○さん、今度ご飯食べに行きませんか?」
「ねぇ、今度二人で飲みに行こまいよ」
青年はデートに誘うセリフのパターンを口の中で反芻した。誰を誘えばいいのかは週刊誌の記事を読めば分かったが、古典的過ぎる自分のワンパターンなセリフにはほとほと嫌気がさしてしまう。反芻を繰り返せば繰り返す程、言葉に意味がないもののように思えてくる。
本当にこんなんで成功するのだろうか?
青年は本当は不思議に思っている。自分は有名人ではないのになぜ週刊誌に載るのかと。これも昨日見た夢の抜粋なのかと。
わたしは陸上部が終了してようやく着信に気づいた。十九時だった。
すぐにかけ直した。
「もしもし。今野です」
「はい。加藤です」
「こんばんは。いま部活が終わったとこ。連絡おそくなってゴメン」
「いえ。大丈夫です。いままだ学校ですか?」
「うん。部室からかけてる」
「自分も学校にいるので、会ってもらえませんか」
「いいよ」
校門で待ち合わせて、電話を切り、わたしを待っていてくれた友達に謝った。灯と千代はしょうがないから校門までいっしょにいこうと切り出した。まさにそこで待ち合わせですとも言いだせなくてうなづいた。
加藤くんがいた。
下駄箱前の段差に腰をおろして、状態を左にひねり、わたしたちの歩いてくる様子をうかがっていた。私を見つけて立ち上がる彼。
ため息がもれた。
「ねえ、ふたりとも。あそこに男子がいるでしょう」
「うん」
「いるね」
「わたし、あいつを振ったんだ。そしたらもう一度だけ会ってほしいって言われて。どうしようあそこまでいきたくない」
千代が呆れているのがわかる、背中をこぶしでぐりぐりされる。
ふつうに痛い。
「親切キャラなのに悪女ってなにしてるのよ」
「だって」
「勘違いされるようなことしたんでしょ」
「気づいたら勘違いされてたけど……」
灯にもため息をつかれる。
「かわいそうだから。最初から脈ナシだったとは言わないであげて」
「言わないよそんなこと。ちょっといいかもって思ったりしたし」
「ええ。ひどい。かわいそうだよ。朝も謝らないと」
灯がすごく正しくてうなだれてしまう。
そしたら頭を撫でてくれる。
ちょっとうれしい。
ふたりから「がんばってねー」投げやりな応援を頂戴する。
明日から千代にどんな目で見られるんだろう。
内心すでに胃が重たいのに、笑顔でふたりに手を振っていて、とうとう加藤くんと対面しなければいけない。彼もこちらに接近していた。
喪失した表情をしていて、言葉が堰を切る手前なのだとみてとれた。
いや、ここでやるのはマズい。
「駅までいっしょにいこう」
「はい」加藤くんが頷いた。
声音が棘だっていた。
ふたりで並んで歩いている。
@ ピュアピュアリップ、気持ちはイエス。
ひび割れた唇の刻まれたシワ、声、そしてキスマーク。
いつまでもきれいな風と翼で
羽の中を吹きぬける口笛。
ふわりと浮揚してさわりと着地、ビスケット。
無明を打ち破る音声(じょう)と打ち鼓、そして雷音(ライオン)。
あなたのが欲しいねキスマーク、鬼に金棒。
地図とルートを確認黙視、ラリーまたこの地まで。
ルーツとサークルワーク、巡礼。そしてキスマーク。
お還りなさい。
ところで永世中立と同じくらいのインパクトだな
#9条
市の広報誌に掲載されていた「良妻賢母講座」の講師紹介の先生の写真に私は一目ぼれしてしまいました。
私があんなにときめいたのは、結婚3年後に出会ったドラマ「愛してくれとは、云えなくて」の主演俳優を目にした時以来だったと思います。あのときも私は、俳優さんが画面に登場するや否や、俳優さんに一目惚れしてしまったのでした。たしかあのドラマの放送終了後、あの俳優さんは、相手役の女優と電撃結婚して、二人して芸能界を引退してしまったのでしたっけ。なんでも相手役の女優の実家の温泉旅館を継ぐとかどうとかいって。当時、連日ワイドショーで面白おかしく取り上げられていたのを、今、思い出しました。先生は、どこかあの俳優さんに似ていらっしゃるかもしれませんね。あの俳優さんが年齢を重ねて、渋みが加われば、ちょうど先生のような感じになるのではないかしら?今、ふとそんな気がしています。
実は、今まで私は、先生のお名前を声に出すことも文字にすることもできませんでした。なんだかとても、はしたないことをしているような気がして、どうしても、どうしても、できませんでした。先生のお名前は、いつも私の胸の一番奥に大切に仕舞いこんでおりました。そして、時々、先生の講義を拝聴しながら、心の中だけでお名前をお呼びしては、こっそり頬を赤らめたりしていたのです。それは、それは、私にとり、何よりも何よりも幸福で愛おしい時間でございました。
しかし、時の経つのは早いもの。講座は、今日の「良妻賢母たる携帯電話の使い方」が最後になってしまいました。ということは、先生にお目にかかれるのも今日で最後。
ですから、先生、私は心に決めたのです。
今日のロールプレイングでは、なんとしてでも、なんとしてでも、先生と携帯電話でやりとりする良妻賢母役を勝ち取りたいのです。まっさきに手を上げ、その役を買って出るつもりです。もし、希望者が私だけでなく、他の誰かとその役を奪い合わなければならなくなってしまったとしても、私は、けして自分からは譲らないつもりです。正々堂々と闘います。たとえ相手が、日頃から主人が大変お世話になっている鈴木営業課長の奥様でも、永沢管理部長の奥様でも、今回ばかりは譲れません。ただ、ただ、じゃんけんにもつれ込まないことだけを祈るのみです。
誰にはばかることなく、堂々と、先生のお名前を口にしたい。
最初で最後に、先生のお名前を。お名前を。
私は今まで人を騙して生きてきた。それは騙すことにより自分が必要とされている気分になるからだ。
沢山本を読み、小説家にないたいと思ったことが何度もある。
ただ人が読んで面白いと思う文章を書く自信はない。
伝えたいこともさほどなく、ただ時間があるとノートに何かを書いてしまう。私は綺麗な字が書ける。それだけが唯一の自慢。
誰かを惹きつける能力があれば、もっと楽に効率良く稼げるのではないか。基本的に私は働きたくない。一生何もせず楽してくらしたい。
でも、人生はなかなかそう簡単にはいかず、どこか無理して嫌々ながら上司に理不尽に怒鳴られ給料をもらって生活するのだ。
ただ、私にはそれは出来ない。何かに縛られるのが苦手で、ましてやその中で頭を下げ給料をもらうなんて1ミリもできる自信がない。その前に私を採用する会社はないだろう。
私には特別な夢もなく野心もない。普通が一番よ!と言いながら普通以下の暮らしをしている。それを恥ずかしいと思うこともないし、自分の人生を悪いとも思わない。
こんな私の小説を誰か読みたいと思うのだろうか。
世の中には変わり者が結構な割合でいるから、もしかしたら私にもチャンスが巡ってくるかもしれない。
まずはどうやって小説家になれるにか調べよう。出来るだけ楽な方法で。
私が用意できるものは、書き味のいいボールペンと安いノートだけだ。
誰か私に騙されてくれないか。とにかく楽をして金を稼ぎたい。
アイスはチョコミントだった。その食べ物とは思えない色は、高架下の灯りに照らされて、うっすらとオレンジに染まっていた。その色が食べ物らしいかというと微妙なところだけれど、緑がかった水色よりかはましな気がした。別にチョコミントが嫌いなわけでもないけれど。
私はコンクリートの壁を背もたれに、パーカーの裾をお尻に敷くようにして座り、サッカーボールが往復するところを眺めている。バスン、バスンという鈍い音が、高架下通路の中で反響する。倉庫のシャッターが連なる高架下は、埃っぽくて、落ち着く空間だった。
犬井が蹴り損なったボールが、楠木の右横を抜けていった。
「ごめん」
楠木にそう言いながら、彼女は私のほうに歩み寄ってくる。女子高に入学してから半年が経った今でも、犬井は男の子っぽい性格のままだった。むしろ女子高だからかもしれない。モテそうだ。女子に。
木のスプーンで掬ったチョコミントを差し出すと、犬井は歯と唇でスプーンからアイスを削いで、ぺろりと唇を舐めた。
「あんがと。アイスてるよ」
……ダジャレか! おっさんか! 脳内で激しくツッコミながら、私は「どうも」と短く応えた。
「……冷たい」
楠木が戻ってきて、またボールの往復が始める。
私は中学からだけど、犬井と楠木は小学校のときからの幼馴染だ。男女なのに、二人はどこか似ている気がした。遊んでいるところを見ると、犬がじゃれ合っているような印象があった。
私は二人よりも勉強ができてしまったので、三人の中では一番遠くの高校に通っている。今の私の印象は、「何だか疲れてる」といったところだろうか。
私はチョコミントを空にして立ち上がり、パーカーの裾をぱたぱたとはたいた。
「どしたん?」
犬井がボールを止めて、小首を傾げる。
「んー、コンビニ」
私は応えながら自分の行動を決めた。
「じゃあ俺もアイス……というか、一緒にいくわ」
「あ、じゃあ」
一緒の行動を取ろうとする楠木と犬井を押し留めて、私は一人、薄暗い高架下から外に出て、夕暮れの明るさに目を細めた。
「ガリガリ君と、スイカバー」
頼まれた物を呟きながら、近くのコンビニに向かう。途中にあるマンションの壁が、陽に当たって明るいオレンジに染まっていた。
薄暗いオレンジの灯り、高架下の埃っぽさ、じゃれ合う犬のような二人も、往復するボールを眺める時間も、案外嫌いじゃない。
なのでまあ、なるべく早く戻ろうと思う。
恋愛は耐える事が肝要だとは、大方外れてはないだろう。
しかし、一生に一人で十分だと心に決めた彼女とも別れてしまった。遠距離恋愛だったため電話やメールではお互い真意が掴めずに、凌(しの)いで続けたやり取りも、とうとう水が溢れる様にして簡単に崩れてしまった。暫く連絡が途絶えた時も、相手を信じて待っていたのだが……。
切り出された別れ話は彼女から。話がまとまりケータイを切った後、どちらの方がよく辛抱していたのだろうかと、取留のない事をぼんやり考えていた。
日も暮れた町の中、一人電車に乗って繁華街を歩いていた。商都へ一人働きに出ている今、彼女の居る地元がここから離れた孤島の様にも思える。どうも酒が飲みたくなって一人飲める処を探した。大通りから入った路地裏でうまくバーが見つかった。
道から一段下がった入口の、ノブを回し扉を押し開いてみると、奥からクラシックギターの演奏が聴こえてきた。扉の向こうの階段を幾つか降りて中に入って見てみれば、小さなステージに黄色のドレスを着た女性が一人、白いライトの柔らかな光の中で踊っていた。ステージの隅にはジャケットを着た男性が一人、ギターを抱えて奏でている。私はカウンター席に腰掛けた。
曲は「ラ・ジョコンダ」の“時の踊り”。幾分落とされたテンポに合わせる彼女の手と指の表現が印象的だった。店を包み込む一本のギターの演奏と、グラスが触れ合う音の中、他の客の会話から、ステージの上で踊る彼女は耳が聞こえないという話を私は耳にした。しかし、男の演奏と彼女の踊りにそんな思いを抱かせる様な隙は幾分もない。その話は本当ですかと、私は前に座っていた初老の男性に訊いてみた。
「男の方が彼女に合わせて弾いているのですよ。彼女の踊りを一つ一つ掬(すく)う様にして演奏している。しかし、彼女の中では、確かに彼の奏でる音が聴こえているらしい」
視線を戻せばそれは跳ねる綿毛の様、何を信じてか彼女は笑みを浮かべて踊っている。演奏が終わると拍手が起きた。ライトの中の彼女は拍手に答えるようにしてお辞儀をし、笑顔で小さく手を振った。
ステージに立っているのは今初めて見た聾唖(ろうあ)の一人の踊り子なのだが、私の脳裏には確かに女性の普遍の像を得ていた。それは男の演奏によって完成させられていて、なぜ私も彼の様に掬えなかったのだろうかと、暫くの間、出されたグラスに口を付ける事もできなかった。
月猫駐車場。
一蚊月20円也。
尚、無断駐車につきましては発見ししだいタイ焼きの空気抜かせていただきます。
「ごちそうさまでした」
当駐車場にご用の方はまず、季節の変わり目に気づかぬまま弛んでしまったご自分の靴ひもを結び直し、次に月猫の沿線を走っている国道“3月に生まれた子供たち”を決して振り返ることなく横断していただきます。
「めしあがれ」
そして一番注意してほしいのは、生意気なマキに遭遇しても知らん顔をするということ。しかし万が一マキと目があった場合はそれまでの知らん顔はやめ、まるで百年ぶりに会ったような、時間が止まったようなフリをして、君の名前は思い出せないけど一緒に爪切りをした縁側で時間が終わったあとは何が始まるんだろうって話を君としていたら庭のバッタが言ったよね、時間が終わったら一番好きな人と一緒になれるんだけどその人が誰なのか時間が終わったあとではもう何も思い出せなくて初めて会ったのになぜか懐かしく感じるのは既に時間の終わった世界を生きている二人の間にかつての失われた時間が存在したという確かな証拠なんだよとと昔話をして下さい。
すると生意気マキは生意気に「マキはマキだからマキだもん」と反駁を試みてきますので、いったんマキの言葉に耳を傾けてみましょう。
「だってマキは3月に生まれた子どもなんだからね。誰もマキの3月を奪えないんだからね。3月に生まれた子どもは何かを失おうにも失う暇さえなかった。会いたくて会いたくて痛くて死にそうなのに会えなかった。手足が5本生えていたり目が1つしか貰えなかった子どもは母さんの暗いお腹の中で殺された。マキはその死んだ子どもたちを集めて3月を作ったの。だからマキは3月に生まれることにしたの。誰もマキの3月を奪えない」
そう言い終わると生意気なマキは、道路の真ん中にしゃがみこんで一枚の写真を差し出すでしょう。そこにはかつて存在した月猫駐車場や国道の姿が写っています。当時はまだ月猫ではなく月極でした。しかし駐車する車も居なくなり、草は生え放題で蚊と猫の棲みかになってしまったのです。
「かつては国道を挟んだ月猫の向かいにタイ焼き屋があってね、駐車場はタイ焼き屋の主人がやっていたの。きっと未来は人も絶え、何もない草原に月だけが浮かんでいるのでしょうね。ご用のある方は、ただ国道を横切ればよかったのよ……。この看板を立てたのは生意気なマキでした」