第132期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 赤い浴衣の女 yasu 999
2 つぶやきつっても所詮妄想やろが なゆら 996
3 拾ってきたネコでネコカフェ ...カラコロモ 174
4 風船 三浦 1000
5 虚無の方程式 岩行 健治 987
6 大人 藤舟 998
7 海星 長月夕子 908
8 仮想野点 Y.田中 崖 1000
9 鈴虫達の祈り 白熊 1000
10 ムーンウォーク 戦場ガ原蛇足ノ助 988
11 ちくわ祭 qbc 1000
12 もどきの空箱 あかね 1000
13 怪物 アンタ 991
14 一面赤い花畑 豆一目 997
15 世界は救われました euReka 995

#1

赤い浴衣の女

 カナカナと蜩が鳴き始めても、気温は下がろうとはしなかった。沿道を埋めつくす人の多さに正比例して、さらに上昇しているのかもしれない。この地方の晩夏の風物詩として毎年数万規模の人出で賑わう祭り会場では、大通りを囲むように色とりどりの灯りに照らされた屋台が軒を連ねていた。
 男が、女を見掛けたのはほんの一瞬だった。止めどなく滴り落ちる汗を拭おうと、首に巻きつけた手拭いを額にあてようとしたときだ。人違いかもしれない。幾重にも行き交う人々の中で、数メートルも先を歩いていたのだから。だが、男が見間違えるはずがなかった。あの女を忘れるわけがないのだ。
 
 恋は盲目。男は、女のあざとさを見抜けなかった。女の欲しがるものは何でも買い与え、女の行きたいところには何処へでも行った。だから女が妊娠を告げたときは、安堵の気持ちの方が大きかった。ところが、次に女が口にしたのは意外な言葉だった。
「別れましょう。私、結婚するの。この子の父親と」
 女は忽然と姿を消した。程なくして、女が男の口座から預金を引き出していたことを知る。やむを得ず会社の金を横領した男は、数年にも及ぶ刑務所暮らしを余儀なくされた。そこで知り合った仲間のつてで、露店商として各地の祭り会場を転々としていたのだ。天板の上で沸々とたぎる油を見つめながら、男は確信していた。女はきっと現れる。もっと、近くに。

 男の首に巻きつけてある手拭いはびしょびしょになり、既に汗ふきとしての機能を成していなかった。相も変わらず人の波はとどまる所を知らない。
「三個ちょうだい」
 少年は右手に小銭を握りしめ、男の屋台の前に立った。左手では、鮮やかな原色が交差した柄の描かれたヨーヨーをバシャバシャと動かしている。そして、傍らにいたのはーーあの女だった。
 この少年があのときの子なのか。そう考えると少年の無邪気な笑顔は、まるで男を嘲笑っているかのようにも見えた。男は俯いたまま、つとめて優しい口調で応えた。
「ちょっと待ってて。燃料が切れそうだから補充するからね」
 男は、側にあったガソリンの充満した携行缶のキャップを開けた。すると、炎天下に晒され内圧の高まっていた携行缶から勢いよくガソリンが吹き出し、否応なしに辺り一面に振り撒かれる。「きゃあ!」驚いた女が男を睨みつけると、男はにやりとほくそ笑んだ。次の瞬間、女は断末魔の叫びと共にこうこうと炎につつまれてゆくのだった。


#2

つぶやきつっても所詮妄想やろが

春子@haruko
すれ違った年寄りが私の腰をみて言う、そのパンツは見てよいのだな?これ見せる用下着なので可と答える。年寄りは破れた部分をぺろぺろやってきて、じじいこら、なめてええ言うてへんやろが。いや見てるだけ、ほらこうやってべろん、としつこいから、母性本能を発動させじじいの額をなでた。

蝿@hae
神様がご褒美だと、1時間だけ無学な年寄りにしてくれた。それぐらいが限界、と神様は言った。歩いていると女がいた。見る、と、舐める、の違いがわからず、教えてくれた女に母のぬくもりを感じ、もう死んでもいいと思うと蝿に戻った。仲間を連れいやらしい臭いのする方へ。

ユキオ@yukio
女は帰り、かわりに蝿が俺に群がってくる。これから次の女がやってきて、かなりの確率でセッキス。蝿に気をとられては愛撫もろくにできない。ひとまず蝿を叩き落とし箸でつまみ、ビーカーに乗せ顕微鏡で見てやろと、立ち上がるとたんに腰がぽきんと鳴って蝉時雨ほどのやかましい痛み。

豚ニート@buta_neet
ユキヲに天罰っ!神頼み、神頼み。直接言うのはムリムリー、ボクはか弱い豚ニート。神様お願い、ユキヲは乙女心と乙女身体を弄んでは捨てる。なのに乙女らはその偽りのやさしさにメロメ。ああうらやましす。なにこの格差、この願いを叶うなら、ボクはなんでもやります。ぜひともユキヲに天罰!

神様@kami
蝿の次、え、ほんまか、自分を犠牲にしてまで、天罰を与えたいなんざ。ええやろ、その心意気買う、わしそんなん好き。叶えたろ。男の腰は一生つかいもんにならんようにと。で、その代償ね、うーん、そうやな、よし、今日からお前は宅配便のあのマークや。皆にふんどし姿を指差されるんや。

宅配男子@takuhai
本社からの指示でマークの変更、といいつつ同じふんどし男、小太りで髪が薄い。たぶん役員の気まぐれかなんか。面倒くさ。急きょ用意したらしく、シールのつき悪い、剥がれそう。気になって走行中急ブレーキかけたら、うしろで崩れる大きな音、運んでいるエアコン壊れてないことを祈る。

なつ@sexless
せっかくつけたエアコン壊れてる最悪。真夜中なのに気温上昇。我慢できず服脱ぐ。隣の夫も寝苦しそう。下着外す。恥ずかしくもない。ただ暑い。裸の私は丸くなり、夫の手をにぎる。夫は目覚め、服を脱ぐ。汗まみれのセックスは気持ちのよい。本日排卵。女の子の予感、春子と名付けよう。


#3

拾ってきたネコでネコカフェ

悪趣味だ。

拾ってきたネコでネコカフェなんて!

抗議のために行ってみた。

楽しめた。

さらに悪趣味だ。

拾ってきた犬でイヌカフェなんて!

抗議のために行ってみた。

犬臭さかった。

心地よい。

そういえば、僕は犬臭い女が好きだったけ。

来週から僕もイヌカフェをはじめよう。

全部、柴犬の。


#4

風船

 肩車をしてもらい、壁と天井の角っこにいじけている風船を捕まえた。部屋に連れて帰った風船は時間をかけてしぼみ、やがて着地した。犬のように連れ回すと至るところの埃をまとって地を這う雨雲のようだった。
 嵐が続いた。低い道はみんな川になった。時折顔を出す鯰のような魚の数を数えに近所の男の子たちが毎日集まった。
 音は川の流れに呑まれ、私は男友達の部屋で肩車をしてもらった。笑い声がよく跳ね、しかし行き場もなく弾けて消えた。
 嵐が過ぎても川は引かなかった。男の子たちは毎朝死んだ魚の数を数えて学校へ行った。
 上京する男友達の軽トラックを見送って山に登った。両親の墓を掃除し終わる頃には嵐の背中も遠くなり、きつい日差しが雨のように降り注いだ。
 町の様子は蝉時雨と霰のように落下する蝉とに移り変わって、男の子たちは毎朝蝉の亡骸を抱えて学校へ向かった。
 風船が壁と床の角っこに居心地悪く揺れていた。音は蝉時雨に呑まれ、川だった道は川だった形をきつく残したままひび割れていた。
 小さな雨雲を連れて歩いた。嵐の頃の悪習で朝から酒浸りの男たちの声はよく乾いていた。反響する度ひとつひびが増えた。
 町の上に暗雲が帰って来た。小さな雲のような雪が川だった道をそっと隠した。その上に軽トラックの轍ができた。
 男友達は可愛い人を連れて来た。吹雪が家と家とを一塊にした。灯した蝋燭が大きく風船の影をつくった。風船はだいぶしぼんでいた。
 雪崩が起き、三軒が呑まれた。男の子たちは雪原となった道で毎夕雪と戯れた。
 半紙に墨がぽつんぽつんとあった。向こうの喪服の肩に白い雪がかかっていた。白い雲に貼りついていた凧は雪に呼ばれて引き剥がされていった。たまたま他に誰もいなくなる瞬間に彼がこっちに来て、大丈夫かと声をかけた。すぐに人が戻って来て彼は外へ出て行った。
 風船はちょうど船に似た姿で待っていた。男の子が一人訪ねて来て蝉の脱け殻をくれた。痛みを堪えるみたいに胸を張っていた。
 嵐が近かった。まだ道でしかない道に男の子たちは集まって川の流れと流されていくものについて遅くまで語り合っていた。
 嵐は日付の跨ぎと共にやって来た。川が瞬く間に現れて桟橋をつくった。脱け殻を乗せた船は上手に尾根を渡り町を出て行った。
 男の子たちは毎朝川を監視したが流れて来るものはなかった。勢いは相当なものだが川は空を映して青く澄んでいた。雲ひとつなかった。


#5

虚無の方程式

 高架にある駅のホームから見える景色の半分が防音シートに囲まれて、今秋リニューアルする駅ビルの工事がいつの間にか始まっていた。防音シートの巡らされたのが一ヶ月前だったのか、三ヶ月前だったのかがいまいちはっきりしない。それ程に自然と工事は始まっていた。
 リズムを刻む振動が僕の心臓のくぼみに反響して、空虚がぽっかり空いたこぶし大の塊なのにその奥深さはとてつもなく広くて、とても僕の頭の中だけでは把握しつくせなかった。何を言いたいかといえば、虚無の方程式は存在するのかといったことだった。
 外見から察するには、大きな声で叫んだり、奥歯を噛み締めたり、貧乏ゆすりが有効ではあるが、それだけでは心の奥の闇はつかみ取れないとハナから分かっているのである。何を言いたいかといえば、このイライラに原因はあるのかといったことだった。
 さすがにこれは耐えられまいと、鼻から吸って口から吐く深呼吸をゆっくり繰り返し、しかし、いつしかこの方法だけでは解決できなくなってしまっていた。狂気の沙汰はガラスの破片を想像して、リストカット用にカッターナイフを常備させた。何を言いたいかといえば、誰でもか? といったことだった。

 次の駅。車両は半ば唐突に停車して、僕は「ヘタだな」と呟きつつ吊り革の持ち手を変えた。
 発車間際に盲人がぶつくさ呟きながら乗り込んでくる。白杖を手に持ってはいたが使っている素振りは見せなかった。慣れ親しんだ車両の中では、視覚がそれ程役に立たないことを僕は知った。
 障害者は常に低姿勢でなければならなかった。健常者は障害者に声をかけなければと思うこと自体がそもそも間違いで、常に優位にあるのではないと自覚する必要がある。しかし、白杖でテリトリーを守る盲人がトランシーバーのようなもの(たぶんラジオであるが、無線機のように何かを語りかけている)を取り出しとたんに周囲の空気は他を排除するといった動きを超え、盲人のいる場所がぽっかりと空いた、シカト以前の虚無に近い状況を迎えていた。
 本来は障害のあるなしに関わらず、無言の車両で意味のない言葉を向かう相手もなく喋っていれば、そこに虚無の方程式は存在するのかも知れなかった。
 僕は次のようなことを考える。仮に僕がこの盲人を切りつけたとしたら、盲人は僕が犯人だと証明することができるのであろうか。もちろん誰もいない場所でのことではあるが。


#6

大人

 夏だった。土曜日の午前中の授業が終わって友達と帰宅途中、
 「今が楽しければ良いと思わない? 」
と言われて小学生の僕は考え込んでしまった。
一五年経ったが、未だに考えている。
友達は今ニートをやっていて、僕は休みに実家に帰ったら必ず遊びに行く。
 「お土産ありがとう。なにこれ? 」
包装を剥きながら友達が聞く。
 「ゆかりだけど」
会社がある名古屋の名菓。
 「ゆかり? ってなに。ってエビ? 」
 「うん。えびせんだね」
 「俺エビ嫌い…… 」
そんな事全く知らなかった。
 「まあ家族が食べると思うから、もらっとくよ」
 「そうしてくれればいいよ」
友達は台所に缶箱を持って行った。一人、部屋に残されてから、小腹が空いていたので少し失敗したなと思う。
 しばらくして、友達がお茶とカステラをお盆に載せて戻って来た。
 「ゲームでもやる? 」
 乱雑にいろいろな者が詰め込まれた本棚をあさる友達の背中をみていると、あの頃と全く変わっていないなと、思う。
 大人という言葉が実体の無いものだと看破された瞬間に、実体としての大人もいなくなった。だから僕らはいつまでもあの頃のまま。
 「相変わらずゲーム弱いなあ、お前」
 ゲーム機を買ってくれるような家では無かったので仕方が無い。でも嫌いというわけでは無い。ただ家でやりこんでいる人と比べると上手くないというだけのことだ。
 外で鳴いていた蝉の声が聞こえなくなったと思ったらいつの間にか雨音へと変わっていた。
 「いつまでこっちいんの? 」
 ロード中に友達が聞く。
 「お盆休み結構長く取ったから、今週末まではいる予定」
 「明日はちょっと用事有るから、明後日とかどっか遊びに行こうか」
 「いいよ」
 「親の車出せるし、あれ? お前免許持ってたっけ?」
 「持ってる。ずっと前から」
 「マニュアル?」
 「うん」
 「じゃあ安心だな」
 何が安心なのか分からなかったけど、ロードが終わったのでそこで会話は途切れた。
 翌々日。
>どこ行こうか?
 >決めてなかったの?
   >まあとりあえず車に乗ってから考えようや。
    >じゃあ、今から向かいます
 友人の親御さんの車は古ぼけた藍色のステーションワゴンだった。家族揃って出かけていた様子が目に浮かぶ。
 ほこりっぽい助手席に座ると少しヤニ臭かった。
 「マニュアルじゃ無い」
 「今頃マニュアルの方が珍しいだろ」
 「……」
 「どこ行こう。とりあえず出すか」


#7

海星

 真昼の太陽が焦がしたこの砂も、ぬるく体を包んだあの海も、もうすっかり色を落としてしまった。
 少年の体もあせて、全てが黒く沈む。くすぶる炎の名残を吹き消すと、ランタンは冷たい闇をその身に溜める。
 少年は砂浜に寝転ぶ。静かな波の音を反芻しながら追いかければ、鼻には潮の香りが満ちる。しんとする胸の中、闇に目が慣れてくるころ、星が。
 空から滑り落ちる光に、またあの子の言葉を思い出す。
「願いをかけられなかった流れ星は、海に落ちてヒトデになるの」
瞬きもせずに、星の落ちていく先を目で追うのに。
「海に落ちた流れ星は願いをかけられるまで、暗い海の底でいつまでもその時を待ってるのよ」
21個目の流れ星に21回目の願いをかける。
「もう一度あの子に会いたい」なんて最後まで言えなくて
「もう一度あ…」
までのヒトデがいっぱい明日の海にいるんだろうな。

 ほわほわと宙から降りてくるものに目を凝らす。それは近づくにつれさらにゆっくりと、足元へぽとんと落ちたようだ。耳を澄ませば、それらがほとほと舞い降りてくる気配を感じる。
 けれど、音も光もないこの場所でそれを見つける事は難しい。
 たとえそうであったとしても、少女はこの日に決まって宙を見上げてしまう。この中に少女への手紙が灯っているのを願って。
 夜明けが光を連れ込んで、一面の青が少女とこの世界を染め上げた時には、もうあの柔らかい星形は、散り散りに、思い思いの場所へ去ってしまうだろう。
 せっかく光の届いた青磁の世界の、浅葱の砂の中からのその一つは、見つけ出せそうにもない。
 だから手さぐりで星形をたどる。あの少年が、太陽をいっぱい吸い込んだその手で、少女の頬をたどったように。
 少女は知らない。少年の世界を滑る流れ星というものがどれだけの速さで海に落ちていくのかを。ふわりふわりと舞い落ちるその姿しか知らぬ少女の胸を悲しませるのはただ、世界の違いであるという事を。

 濡れた体はいつしか乾き、砂のようにかさかさと崩れていく。やがてそれを波がさらって、海の底へたどり着く日もあるかもしれない。
 けれど、天体現象である流れ星は星型動物亜門である海星にはならない。故に二度と出会うことはない。 


#8

仮想野点

<空間
言語=日本語
容量=100*100*100
種類=箱庭の浜>
<風景>
 日の傾きかけた午後。よく晴れた青い空とそれを写す海が広がっている。猫の額ほどの砂浜に波が打ち寄せる。背にあたる斜面はやや急で、草がぼうぼうと生い茂っている。
<音景>
 絶え間ない波音と少し強めの風の音、海鳥の鳴き声。

<<ログインユーザ ID=1 名前=ベティ>>
<<ログインユーザ ID=2 名前=リッキー>>

 二人の少女が斜面を下りてくる。
 ベティはデニムのハーフパンツにカーキのウィンドブレーカを羽織り、左肩から大きな袋を提げている。茶色がかった髪は伸び放題だ。どこか気だるげな表情で草をかき分けて進む。
 続くリッキーは、白のブラウスに紺のプリーツスカートというこざっぱりとした格好。黒髪を後ろで一つに結んでいる。足を滑らせながら、なんとか転ばずに斜面を下る。
 浜に着くとベティは振り返り、にんまりと笑んだ。リッキーも笑みを返し、ゆっくり景色を眺めてから遠慮がちに潮風を吸いこむ。
 ベティが落ちていた木の棒で砂の上に線を描く。少しいびつな正方形。描き終わると袋に手を突っこんだ。

<<プログラム実行
抽象オブジェクト:野点(継承:茶室)を実体化
アイテム:野点傘をビーチパラソル、毛氈をビニール敷物で上書き
――実行完了>>

 赤い毛氈の上に正座する二人。ベティが美しい所作で茶を立てて差し出す。
「いただきます」
 リッキーは茶碗を手に載せ、押し頂いてから口をつけた。
 ベティの髪が風で煽られる。空に橙が混ざり始めた。

<<プログラム実行
プライベートメソッド:わび・さびをコール
波音、流木、貝殻、夕焼けを引数に設定
戻り値=
――実行完了>>

 宙を舞う海鳥は木の葉に、木の葉は蝶に、蝶は雲に形を変えていく。全ては遥か彼方へ流れ、同時に此処に在る。
「閉じた宇宙に風を吹きこむのも良いものだ」リッキーが言う。「たとえこれが夢幻でも」
 ベティは曖昧に微笑む。
「我もまた電子の海の上で揺らぐ蜃気楼に過ぎぬ。断絶を見出すに囲いは不要なり」
 正方形の角が波によってかき消される。ビニール敷物の上で、二人の少女の膝が砂だらけになっていた。
「蜃気楼であれピクセルの集合体であれ、我々はまた出会おう。いつか、どこかで」
「ではまた、いつか、どこかで」

<<ユーザログアウト ID=2>>
<<ユーザログアウト ID=1>>

<音は消える>
<風景は消える>
<空間は消える>


#9

鈴虫達の祈り

 この鬱屈した気持ちを紛らわそうと本を開くと、文字が一瞬にして羽虫に成って、暗い外へと解けていった。
 先日、学生達の中に、あなたを嫌っている学生がいますよと言われ、「そうですか。でも、しょうがないですね」と答えはしたものの。それ以来、頻繁に思い出すようになり、次第に気持ちは塞いだものへと成っていったのだった。
 毎晩寝る前に、今この時、亡くなろうとしている人、生まれてくる人、辛い思いをしている人、幸せの中にいる人、自分と同じような人、それぞれに安らぎが訪れればと、祈ってから眠る癖が付いていた。世界中には自分がたくさんいると考えるようになった。
 今日、物資の購入に出掛けたけれど、もしこのまま嫌われていったなら、この街にいられなくなる、そんなことが頭をよぎった。もう訪れなければよいとも言えるが、そんな場所を作りたくなかった。
 通り掛った露店の前で、売り子が僕に声を掛けてきた。以前まで違う場所でよくしてくれた、女の人だった。
 どこか印象が違い、黒髪で小柄な彼女を、最初は学生の一人かと思った。控え目な人だけど、この時は彼女のほうから声を掛けてきてくれた。声を掛けてきてくれたことが嬉しかった。
 二つ三つ話し、その場を後にした。ただ、声を掛けてくれてありがとうと、感謝の気持ちを伝えることが出来なかった。
 僕はただ「ありがとう」と、祈ることにした。祈ることで、何か彼女に力が作用するかは分からなかった。ただ、彼女の心の安らぎを願った。また会えるかどうかは分からない。最後になる可能性のほうが高い。次の日からも、時々彼女のことを考えるようになった。
 もし彼女も、あの時、塞ぎ込んだ気持ちを持っていて、偶然通り掛かった僕を見つけて、声を掛けてきたのなら。塞ぎ込んだ気持ちを、その時だけ内に隠し、僕に笑顔を見せてきたのなら。彼女も僕と同じだったのなら。僕の存在も、少しは意味があったのかもしれない。
 僕が去った後、再び込み上げてくる、悲しい気持ちに包まれていたのなら。僕の去った後ろで、その視線が少し、俯いていたのなら。やはり彼女も、僕と同じだったのかもしれない。
 部屋の外では、もう光を失った闇の中で、鈴虫達が鳴いている。誰にでも、どこにでもあるこんな話は、鈴虫達の声のように、絶えず生まれては、空へと消えていくのだろう。
 彼女の幸せを願った。口から洩れた僕の声は、鈴虫達の鳴く暗い闇へと解けていった。


#10

ムーンウォーク

 かつて夏休みがどのように始まっていたか、もはや知る術はない。今の私にわかるのは夕方まで寝てしまったということだけで、それですら、枕元の携帯電話の表示を鵜呑みにした結果に過ぎなかった。氷が溶けて薄くなったコーラが好きだから、自分が希薄になるのも悪くないと思った。
 半日ぶりに目を開けてしまうと、それ以上は眠れそうになかった。予定はなかった。しかし、私ももういい大人だから、何か嫌なことがあるとすぐ「もういい」と言って俯いたきり何時間でも押し黙っている大人だから、休暇の過ごし方は用意してあるわけで、つまり、かねてから興味のあったムーンウォークに取り組むべく、ワオ、と一声発して、二十分ほどかけてベッドから脱出した。人類にとってはシングルなベッドだが、私にとっては大きな一歩だった。
 体がべとべとした。眠らなくてもべとべとにはなるが、眠った後のべとべとはダンチで、それはもう大変にべとべとする。まずはシャワーを浴びることにした。ところで、寝起きでいきなりシャワーを浴びては脱水症状を起こすおそれがあるから、先に水分補給をしなければならない。
 冷蔵庫の扉を開けて、シュークリームがあることを思い出した。手にとってみると、そこには確かにクリームの重さが感じられた。程よい重さだった。
 これはけしからん、と包みを破ってシュー生地に噛みつくと、頬の内側がいい仕事をして、飛び出した粘着質の物体を受け止めた。口腔を内側から包み込むかのようにクリームが花開いた瞬間だった。
 原始的な喜びというのは儚いもので、ああ甘い、おいしいな、と喜んでいるそばから、たちまちどうでもよくなっていった。だがその儚さこそがムーンウォークや月面着陸といった偉業を人に強いる結果となったのであろうと考えた私は、自分が人類の歴史を一気に駆け抜けようとしていることに気付いて、身の引き締まる思いがした。
 今や指先までべとべとであった。一刻の猶予もない。水を飲んで、トイレに行って、浴室に向かった。廊下に糸くずが落ちていた。しばらく前から落ちているような気がしないでもなかったが、糸くずは本来不安定な存在だという風にも思ったので、そのままにした。
 キュッとしてザーッとシャワーを浴びた。
 着替えた。
 疲れたのでベッドに戻った。
 後ろに進めてこそいないが、少なくとも前には進んでいない。初日としては快調な滑り出しだった。


#11

ちくわ祭

(この作品は削除されました)


#12

もどきの空箱

「6」
と、妻がサイコロキャラメルの空箱を転がす。

「残念。2だぞ、はずれ」
と、心なしかうれしそうな夫。

「ほないくで、3」
と、今度は、夫が、サイコロキャラメルの空箱を転がす。

「げ、また2かよ」
 
深いため息をつく夫を見て、ふと、妻は思う。 

こんなことを繰り返して、いったい何の意味があるのだろう?

と。

夫婦は、サイコロキャラメルの空箱を振って、出る目を当てるという遊びを、さっきから数え切れないほど繰り返していた。経済的事情からどこにも出られず、ひどく時間を持て余している日曜の昼下がり。

この遊びに対して、夫婦が「楽しい」という気持ちになれたのは、最初のほんの数回だけ。
今、この夫婦に残されているのは、「一度くらいは、出る目を当ててから終わらせたい」という子供じみた執着だけ。

「これって、2が出やすいんじゃないのか?さっきから2ばかり出ているような気がする。そのくせ2にすると、見事にはずれる。」
と、妻が思っていたのとほぼ同じことを、夫が口にする。

「ほんまもんのサイコロと違うからかなあ。ほな、今度こそ、1」
空箱は、「1」を示す。

「やった。1や、1やで、ほら、やっと出たわ。ようやく当たった!」
大げさに喜んでみせる妻。
夫は、一瞬、羨望のまなざしを妻に向けそうになるが、ぐっと堪え、闘争心むきだしで、空箱を振る。
「今度こそ、2」

「残念!1や」
本心とは裏腹に、妻は残念がってみせる。

「なんでなんだよ〜ちっくしょ〜」
夫は、空箱を床に叩きつけたくなる衝動をかろうじて抑え、サイコロキャラメルの空箱を妻に手渡す。

その刹那、妻は、ようやく気づいたのである。

中身はとうの昔に食べられてしまい、なんにもつまっていない。永遠にサイコロになれないサイコロもどきの空箱。

この空箱に詰まっているものがあるとすれば、あるとすれば、それは、それは、

ああ、なんという空虚!

「おい、さっきからサイコロ持ったまま、何、固まってるんだよ。早くしろよ」
妻の異変に気づかずに、せかす夫。

夫のその一言により、妻の中の一番大切な部分が、損なわれてしまったのだった。

「こんなん、サイコロと違う。サイコロもどきのキャラメルの空箱やん!もうええわ、ほんまにもうええわ。あほらしーてやっとられんわ!」

妻は、思いっきり空箱を床に叩きつけた。

空箱は、1を示したまま、ぐしゃっとつぶれる。

妻はそのまま、家を飛び出して行ったのであった。

妻の行方は、妻も知らない。


#13

怪物

うおおおおおおおおおお
バスの中で叫ぶのは僕一人。皆は知らない顔してる。目の前でイヤホンをしている人もいるけど、他の人も気づいていないのか。
僕は腕に爪をたてて興奮する心を痛みで抑えようとする。なんとか平常に近づけようと。まっすぐに突きたてられた爪は腕の皮を傷つけ、その痕には血の赤がじんわりと浮かんできた。
高まる呼吸は自分の耳にもよく聞こえる。歯を食いしばり衝動を押さえる。よだれが口から垂れるがそんなことを気にしている余裕はない。
あああああああああああああ
溢れ出る力を拳に込めて前の席を殴る。それでも前の人はイヤホンをつけたまま窓ガラスに頭をもたれかけて外を眺めている。
もはや言葉ではない。金切り声をあげる。自分の頭を窓ガラスにぶつける。まるで子供が駄々をこねるように手足は周りの物むちゃくちゃにぶつかる。
うるせーようるせーようるせーよ
小声でつぶやく。
自分の頭を殴る。内から沸き上がる声。それは記憶の中から聞こえる。
うるせーよ
頭をまた窓ガラスにぶつける。
それでも記憶から聞こえる声は静かにならない。
あああああああああああああああ
もう声はかすれている。
涙が自然にあふれる。頭を抱えて髪の毛をくしゃくしゃにする。もうやめてくれ。もう許してくれよ。
疲れた体と心は倒れるようにバスの床に落ちていった。

降りるとすぐバスは走り去った。
イヤホンをはずし鞄にしまいこむ。
コンビニで晩飯を買いアパートへの帰路につく。住宅街の夜は蛍光灯が思い出したように照らす道路と時々聞こえるテレビの音、人の声。星は見えない。厚い雲の向こうに月は見える。
脇を走り抜ける自転車。気付かない内に道の真中を歩いていた。でもこの時間は車なんて通らない。
自転車が乱雑に並べられたすぐ隣りの階段をゆっくりのぼる。
部屋の鍵をまわすと閉めきった部屋特有のねっとりとした空気が流れる。靴を脱いですぐ部屋の窓を開け放つ。
スーツを脱いでテーブルの上に弁当を置いてからテレビをつけた。
テレビから流れてくるニュースは突然切りかかった男についてだった。
頭のおかしい人でしょ。テレビの人が顔でこんな奴とは違うと言っている。
自然とバスの中のもう一人の自分を思い出す。あれをもし表に出したら俺も頭のおかしい人。昨日まで嫌悪感をもって見れていたニュースを今日は恐怖をもって見ている。もし抑える込めることができなくなったら?
あいつと俺の違いってなんだよ。


#14

一面赤い花畑

 ある国に、他所からとても美しい女性がやってきました。たちまち国中の男が彼女に夢中になりました。
 恋に落ちた男達の中に、国一番の金持ちが居ました。金持ち男は品の良いスーツに身を包み、彼女に恭々しく頭を下げました。
「私を貴女の夫に選んでいただけるなら、望みをなんでも叶えましょう」
 彼女はふわりと笑って答えます。

「私は何も望んでいません」
「金貨の山でも、何百もの美しいドレスでも、贅を尽くした食事でも、なんでもどれでも差し上げます」

 彼女は微笑んで答えます。
「どれも要らないものですわ」

 金持ち男は諦めず、彼女を誘い続けました。しかし彼女は質素な家に住み、金持ち男の誘いを撥ね付け続けました。
 金持ち男を嫌う人はそれなりに多く、国の人々は彼女と金持ち男の実のないやりとりを、密かに眺めてニヤニヤ楽しむのでした。

 ある日、その国に他所から若い男がやってきました。男は彼女の噂を聞き付けてやってきたのでした。若い男は金持ち男の話を聞くと、小馬鹿にしたように笑いました。
「金で人の心をどうにかしようなんてどうかしてる。僕なら金貨一枚使わなくても彼女の願いを叶えられるのにさ」
 若い男の軽口は、たちまち国中に広がって、金持ち男の耳にも入りました。金持ちの男は若い男を呼びつけ怒鳴りつけました。
「私にできないことが、どうしてお前にできるもんか」
「あんたにできなくても、僕にはできるさ」
 若い男があまりに軽く返すので、金持ち男は憤慨して言いました。

「よし、そこまで言うならやってみろ。できたらいくらでも金をやろう。その代わり、できなかったらどうなるか、分かってるな」

 へらへら笑いながら若い男は頷きました。そして人々が見守るなか、彼女の住む家にスタスタ向かっていきました。
 若い男は何の準備もなく家の扉をノックしました。そして出てきた彼女の驚き顔に、にっこり微笑みかけました。
「やあジェニファ、久しぶり。何かして欲しいことはある?」

 彼女の答えは簡潔でした。

「今すぐ消えて」
「お安いご用さ」

 若い男はくるりと振り向き、扉をバタンと閉めました。
 呆然としている金持ち男と聴衆に向かって、若い男は軽やかに笑いました。

「そら、簡単だったろ? 僕の勝ちさ」

 その瞬間、金持ち男はハッとした顔になり、それからにやりと笑いました。

「私ならもっと完全に彼女の望みを叶えてやれるさ」

 そしてその日、若い男は完全に消えました。


#15

世界は救われました

「鳥がゴミのように燃えてる」とチビ太は言った。
 私はチビ太の手を引きながら、真っ赤な夕日に溶けていく神様の群れに紛れ国道を歩いていた。チビ太は頭から黒い液体を垂らしている。本当は大変なことが起こっている。
「君は心配しなくていい。チビ太すこし疲れただけ」
 神様の群れは、よく見ると神様ではなかった。男とも女とも区別のつかない者達が、腕や顔の皮膚をぼろ布のように垂らしているから、私の知ってる人間のようには見えなかっただけだ。
「チビ太しってるよ、人間じゃないひと」
 私はチビ太に喋らせたくなかった。
「つまり人間じゃないひとって影がないもん。喋ったり笑ったりしてるけど、ほんとは死んでるんだ」
 私は、それ以上言ったらあなたを殺すしかないのよとチビ太に警告した。
「わかったよ。チビ太もう言わない」

 私は国道を離れ、歩き疲れたチビ太を眠らせたあと心臓の中に入れておいた母子手帳を取り出した。
「名前:リトルボーイ(チビ太)。
 体重:4t。
 身長:305cm。
 心臓:ウラン235。
 棄てられた日時:1945年8月6日、午前8時15分。
 迷子になった場所:広島市細工町29番2号。
 絶望した高さ:地上580m。
 絶望の威力:神様を殺せるくらい。
 秘密:黒い液体に触ったり、または口に入れたりしてはいけません。絶対に。」
 夕日はいつまでも沈まなかった。
 国道の群れからはぐれた若い女が、よろけたり倒れたりしながら私たちのところへやってきた。
「あのう」と女は言って背中の赤ん坊を見せたが、その赤ん坊にはもう首が無かった。「この子にお乳を飲ませてくれませんか。あなたにも子どもがいるみたいだし」
 誰かに助けを求められるなんて思いもよらなかった。でも私は何も言わず、眠ったチビ太を抱いてその場から逃げた。
「ねえ待ってよ。あたしの赤ちゃんが死んでることくらい知ってるわよ。でもね」
 私は振り返らずに歩き続けた。チビ太は黒い液体を海のように流しながら眠っていた。
「でも嘘だったらいいなって思ったの」

 ふと立ち止まると黒い液体は空まで満たされ、辺りは夜になっていた。チビ太は私の腕から消え、黒い夜だけを残していった。私は遠くに小さな明かりが見えたので再び歩き始めた。近づくとその明かりはテレビ画面だとわかった。
「繰り返しお伝えします」とテレビは言った。「つい先ほど、最後の一人まで世界は救われました。次は天気予報です」


編集: 短編