第133期 #6

面倒な女

 頭の中にしか無い地獄に私はもうこれ以上耐えられない、と血で書いた遺書を僕の妻である彼女が残したのは実はそれで四回目で、それこそ初めは死への躊躇いと甘えが交互するような手口で生き残っていたけれど、けれど回を増すごとにやり口は激しさと確実さを増し、最終的には夜中に不法侵入した三十五階建てのビルから飛び降りることによって頭蓋骨を粉砕し、とうとう彼女なりに成功を果たしたとはいえ、それでも死にきらずにその後数日スパゲッティ状態で、そして彼女はこの世から永遠に退席した――彼女は憎悪と恋情と愛着で僕を散々えげつなく切りつけておきながら、最期は清々しいほどためらいの無い一撃で僕の心に深く暗い穴を開け、そのまま彼女の脳内よりはマシな地獄まで一人勝手に落ちていったものだから、彼女のほかには誰も支えてくれそうにない穴ポコな心を片手で握り、両親義理両親を筆頭に親戚やら友人やらの同情だとか憐れみだとか、あるいは憎しみや好奇の視線をもう片方の手でどうにかこうにか遮って、使えない両手と残った両足だけで重たい泥の中を這うように葬式や四十九日や一回忌を乗り越えるのがどれだけ大変だったかなんて自分以外の誰にも分からないだろうし分かってもらおうとも思いやしないが、しかし文字通り死ぬほど大変だったことも事実で僕は結果的に彼女の死後から一ヶ月程で十五キロも痩せ、これはきっと彼女があの世に持っていった肉の不足分を僕が払わされた、いや実際に死んだ彼女の方が楽だったんじゃないかと思うくらい、いや、死んだ彼女はあれはあれで苦しみから解放されたのだと、そう思えるくらいに時間が立ったあとも彼女がぶち抜いた心の穴は相変わらず真っ黒に僕を誘い込み、しかしそれとは別に淡々とした月日は流れ、僕は空っぽの体でも食事をして排泄をしてそしてたまには笑うようになって、やがて白い月が迂闊にも美しい光を彼女の位牌に投げ込む晩が訪れたときにその位牌がもはや僕を詰ることも振り回すことも僕の心を削り続けることもないのだと気がつき、彼女がとった方法はあまりにも最悪だったけれど僕がこれからの毎日をゆっくり眠りながら過ごせるようになるためには最良の方法でもあったことに気がつき、そのときあの穴の正体、彼女が開けた穴の正体に、僕は、ようやく彼女が僕のために作った不器用極まりない穴の暗がりの奥に、穏やかな眠りが用意されていたことに気がついて泣いた。



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