第131期 #12

さる

 会社のみんなでお酒を飲む席だった。先輩が酩酊の赤い顔で言った。
「さるがお前の好きなアイドルをレイプするぞ」
 意味が分からなかった。だが僕は嫌な気分になった。さるがそんなことをするわけがない。けれど言葉というのは怖いもので、言ったその場から頭の中に先輩に言われたその様子を思い描いてしまうのだった。
 先輩は続けた。
「お前はそれを救えるのか?」
 起きてもいない災厄を僕がは救えるのか。分からない。

 実際は大して好きでもない、メディアの中のアイドルが誰かに凌辱される。そんな状況を想像しながら夜道を帰った。その時、僕は彼女の近くにはいない。むりだ助けられない。
 助けるには彼女の仕事の関係者にならなければならないだろう。僕はその為の努力をしただろうか。そのアイドルのことについては、いつか先輩に、まあ好きなほうですね、の一言くらいは言った気がする。僕はそういった言葉を守れないような人間なのだ。と思うと大げさに言って人生に対する意欲が委縮するような気がした。胸を張って、世間様を歩くことが許されない。そんなような。

 僕は、父親から他人の物は盗むなと教えられてきたが、先輩は僕の金をよく盗む。盗むというか、ジュースの自販機の前で、小銭貸してと言って、百円二百円の世界でしょっちゅう金を借りて返さない。
 ただそんな先輩にも善行がないわけでもない。昨日のことだ。
 僕たちの会社は、海外から輸入した銀色の掃除機を、老人の家を訪問しては不当な利益を乗せて売りつける商売をしていた.その営業の道すがらのこと。道の向こうから女の子が泣きながら歩いてきて、先輩がどうしたと尋ねると、ゲームを買うお金を落としてしまった、と。先輩はすぐに僕に金を出すように命令し、僕はさっと先輩に渡した。それを先輩が女の子に渡した。女の子は喜んでいた。

 それから数か月後、先輩から四〇歳の女性を紹介されてその人と僕は結婚することになった。ただ、彼女が言うには、実は先輩と肉体関係があって、先輩の子供を妊娠していて、そのことを先輩に相談したら僕との結婚を斡旋されたのだと言う。驚いた。
 ただ、僕は例のアイドルのレイプの話で、たったの先輩の言葉で、勝手に想像をして不愉快になった人間だ。もしかしたら彼女の言っていることはウソなのかもしれない。いったい、どれが本当に起きた現実のことなのか判断するのは、かなり難しいことなんじゃないのかなと思った。



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