第131期 #10

空っぽの鼻

 ある夜、僕は公園の木の下で、大して仲良くもない女の子から告白を受けた。一体どこが好きなのかと聞くと、彼女も僕の鼻の形を気に入っていると答えたので僕はうんざりした。周りの知り合いは、しばしば僕の鼻を見て形がいいと褒めた。僕はそれが嫌で堪らなかった。
 僕は昔から酷い蓄膿症であるために、鼻での呼吸がとても難しい上に、匂いをかぎ取ることがほとんどできないのだ。治療をしてもなかなか治らず、煮詰めて凝縮させた羞恥の塊のような僕の役立たずの鼻は、形が良いと言われれば言われるほど、僕の顔の上でむず痒さを増すのだった。
 女の子の鼻は少し潰れているが、蓄膿症ではないようだ。それは唇を見ればすぐに分かった。蓄膿症の人間は口で呼吸をするから、必然的に唇が厚ぼったくなる。彼女の唇はどちらかといえば薄く、清潔感があった。
 僕の唇は例にもれず厚ぼったかった。加えて唇の圧迫を受けない前歯たちが飛びだし気味で、僕はそれらを醜いと思っていた。全ては機能不全の鼻のせいだった。
 君は僕の鼻を綺麗だと言うけれど、僕の口を見てよ。どうして君はこの口の汚さを見ても、僕を好きだと言えるんだい?
 口のことを気にしているのは、あなただけじゃないかしら。くすくすと自信ありげに、そして可愛らしく笑いながら、その女の子は答えた。よく見ると確かに出っ歯よね。でも私は気にしないわ。鼻が好きなんだもの。あなたが気にするなら、矯正でもすればいいのよ。
 そうじゃないんだ。僕は癇癪を起しそうだった。(君が好いているのは僕ではないじゃないか。)
 矯正をするくらいなら、と僕は苦々しく言った。美容外科に行って、鼻をむしり取ってもらうよ。
 女の子は酷くショックを受けた顔をし、次に悔しそうな表情になって、僕を睨んだ。しかし何も言い返さないその応答に、僕は仄かな愛おしさを抱いた。
 彼女は、僕をどこまで理解してくれるのだろう。その可能性に僕は手を伸ばしかけたが、女の子はまもなく泣きながら俯いて僕に背を向け、歩き去ってしまった。
 女の子がいなくなって、初めて僕は周りの景色を見回した。しかしそこには遊具も、砂場も、ベンチも、何も無いのだった。また、そばの木は良くみれば枯れていた。上を向くと、枝は葉が占めるべき空間だけを残して闇に沈黙している。
(週末、外科へ行こう。)
 鼻の中が疼いたが、手持ちのティッシュは使い切っていた。頭痛がし始めるのを僕は感じた。



Copyright © 2013 霧野楢人 / 編集: 短編