第130期 #8
「まるで相合傘ね」
女の言葉に、無精髭の男は皮肉な笑みを浮かべた。
「嬢ちゃん、よく見ろ」
電脳世界の漆黒の空から降り続ける光の雫は、男が展開させた半球体の表面を滑り、色を失う。注意深く観察した女は表情を強張らせた。
「氷(ICE:侵入対抗電子機器)?」
「そのお洋服(ファイアーウォール)じゃ、一瞬でフラット・ライン(脳死)だな」
「人に向かってこんなもの使うなんて」
「そろそろ奴さんも本気なんだろ。脱落してった嬢ちゃんのお仲間は、離脱(ジャック・アウト)できただけでも運が良かったのさ」
「……黙夏(サイレント・サマー)」
女は天まで届かんばかりの壁を睨みつける。壁面を駆け抜ける様々な光が描き出す複雑な幾何学模様は、非力な人間達を嘲っているように見えた。
「何故悪名高いコンピューター・カウボーイが私達、政府機関の依頼を受けたの?」
「金さ、新円(ニュー・イェン)。他に何があるんだい? 嬢ちゃんこそなんで政府の犬なんかやってるんだ?」
「父よ、ジョセフ・モーリス。名前くらい知ってるでしょ。遺志を継ぎたかったの」
「名捜査官殿の御息女か、結構なこった」頬をゆがめて男が言う。
「あなたに何が分かるって言うの!?」
女の剣幕にも不敵な表情を崩さない男のHMD(頭部装着ディスプレイ)に、隠れ家への侵入警報が映し出された。
「ま、奴らは信用するなってことさ。急ぐぞ」
たどり着いた壁にあてた男の手から氷破り(アイスブレーカ)が展開され、目まぐるしい速度で防壁を突破していく。
巧妙に仕掛けられたトラップによりその数を減らしながらも、侵入者達は着実に近づきつつある。没入(ジャック・イン)した男の体があるその部屋へと。
小さく舌打ちした男の氷破りが開けた防壁の穴から、眩い光が漏れた。
「ここから先は嬢ちゃん一人だ」
「あなたはどうするの?」
「ガキのお守りはここまでだ。ご指名は嬢ちゃん一人だからな」
男はぶっきらぼうに女の頭を撫でる。その手に覚えたどこか懐かしい感触に、女が首を傾げた。
「行け」男に促された女は、何度も振り返りながら光の向こうへと消えていく。
「まるでヴァージンロードだな」侵入警報が鳴り響く中、男は呟く。「クレア……」
隠れ家の起爆プログラムの実行命令を下す。
「叶和圓(イェフーユェン)で一服やりたかったんだがな」
無精髭の男は、皮肉な笑みを浮かべた。