# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | もう駄目だ、死ぬしか無い | 藤舟 | 1000 |
2 | 大きくなった彼女は | 彼女 | 951 |
3 | 400平方センチメートルと13平方メートル | イノウエ | 1000 |
4 | 従事者 | 岩西 健治 | 973 |
5 | たんぽぽ | ながつき | 995 |
6 | 面食らっちゃうようなこと | 豆一目 | 997 |
7 | こわいこと | tochork | 690 |
8 | 神の視点 | なゆら | 981 |
9 | お天気お母さん | あかね | 1000 |
10 | 最上川メルァ! | メイプル | 864 |
11 | 現在地 | 白熊 | 947 |
12 | 満足の穴 | qbc | 1000 |
13 | 落ちているんですけど | 志保龍彦 | 1000 |
中学の吹奏楽部に入って一番嫌だったのは筋トレで音を大きくするためとか部長は言ったが、しかし俺は剣道部でそういう理不尽なことが嫌だったから新しい事やるなら文化系に入ろうと思って入部したのであるから、練習メニューに筋トレがあると知ってうんざりした。それだけならまだ良かったのだけど、チューバを吹いていた木村さんという一つ上の先輩のチューバに押さえつけられている大きな胸の押さえつけられ具合に目が離せなくなったと思ったら、告白して振られており、木村さんが言うには、
「え、えー。……あたし、部内恋愛はしないことにしてるから」
ということで、辞めた。しかしそれから木村さんからは音沙汰が無い。俺も一度振られたショックでもう一度チャレンジする気力も無いのです。部に残った同級の田中はその後部内で彼女を作ったと聞く。本当に恨めしい。
中学はそのまま帰宅部で、主に生活の1/3を寝て過ごし、残りの2/3を飯喰って夜遅くまでゲームして学校に遅刻ぎりぎりに行って授業中居眠りして、出かけても小学校からの友達とゲーセン行くくらいという青春以外のつまらない事に費やしてしまった。
ああ木村さんは可愛かったなあ……とか地球環境の事とか考える、つまらない。
地元の高校に行った。特筆することが無い。木村さんはどこに行ったんだろうと調べたら女子校だったことを憶えている。これ高校じゃ無いな。えっと、文化祭の夜のフォークダンスから目を背けずにはいられないくらいには俺の目は暗く濁っていたと思う。ゲーセンで音ゲーにはまりディーバのEXモードをやっているときだけ無心で居られたのである。無心なので時間の感覚が無いが、みんな大学に行けというので大学に行くことにした。みんな行くくらいだからみんなにあった大学があるのかというと無いが、俺は無心で反復練習を繰り返す音ゲーの経験から受験勉強では無心で似たような問題をとき続けることで、結果それなりのセンターの点をたたき出し、それなりの大学に行く。機械である。
キャンパスは真っ白なキャンバスである。よしモテよう、バンドをやろうと思ってギターを買ったが結局一回しか練習しなかった。フットサルサークルに入ったが朝起きられなくて行かなかった。肝心の授業は友達がいないので、いたたまれず足が遠のく。
思えば俺は一体何か最後までやった事があるのか、何がしたいのか、なにものなのか、どこへゆくのか。どうすれば良いのか。
ご飯食べてたらゆっくりと彼女が迫ってきて彼女はどんどんど巨大になっていく。あれこれオレが近づいているんじゃなくて彼女が巨大になってんだよね。と僕は施工して、「ね、凄い大きくなってきてない」
とか言ったら彼女は
「イトーヨーカドーでパン食べたから」と言い訳をした。
こたつの中にふたりでいつと 彼女はやはりどんどん大きくなっていって、僕は圧力で段々身体が痛くなってきた。
「もうはちきれそうだよ、こたつ。」というと
「うん、おそといかなきゃだね。」
とかのじょがいった、彼女の声は僕の皮膚と日の上の皮膚のぴったりくっついている部分から直に伝わった。
彼女は僕をお腹の肉の間に挟んだまま外へ出た。彼女は家の中を匍匐前進したりしゃがんだり色々な工夫をしながら出て行った。彼女はきっと3.5メートルにはなっているようだった。
外は真っ白だった。雪が降っていた。彼女はマフラー代わりの布団を首に巻いて
「真っ白だねー」という。
僕は彼女の温かい肉に包まれながら、彼女が身体に巻いているカーテンから顔を出して
「ほんと、しろい。」といった。
雪はたくさん積もっていて家や道路を雪で埋めていた。真っ白になった家や道路は雪のなされるままになっていた。雪は今も降っていた。僕はひとつも濡れていなかったけれど、温かい彼女は雪が彼女の体に触れるたびに雪は溶けて彼女はびしょびしょに濡れていった。彼女は一回大きなくしゃみをする。
「ちょっと散歩していこうか。」と彼女がこっちをみて笑ったので
「ちょっとだけだよ。」と僕は言った。
公園を通ると雪遊びをしている子どもたちがいた。子どもたちは彼女を見ると「大きいお姉ちゃんだ!」と言った。
わらわらと餌をたかる猫達のように子供は彼女に群がった。
「抱っこして!抱っこして!」子どもたちは同じ事を一斉に彼女にいう。彼女は快諾して、ひとりずつ子供の両脇を手で掴みその手をおもいっきり上に伸ばした。
「おお!たっかーい!」僕らは子どもたちに大人気だった。
それをきっかけに、僕たちは公園の遊具になった。
ときどきご飯や服が必要なので一回百円で彼女は子どもたちをおぶった。僕は彼女の腹の肉から手を出して子どもたちから100円を受け取った。
子供がいない早朝や真夜中は二人でゆっくりと公園の風景を眺める。僕はこの時間が一番好きだ。
私は世界から隔離された。
不安や絶望より苛立ちを感じた。他者とのつながりを断ち切られたというのに嘆きより舌打ちが先に出たのは周囲が蒸し暑かったからかもしれない。いや、腕が汗ばんでいようが鳥肌が立っていようが私はやはり舌打ちをし、親指の腹をかんでいたかもしれない。
イライラしても何も始まらないと分かっているぐらいには冷静だった。私は頭に上った血を冷ますべく深呼吸をし、牢獄のように狭いこの空間から脱出を試みた。
一回二回三回と失敗するたび私の焦燥は高まり、苛立ちは不安へと変わっていった。
私は一つ一つの試みが時間の浪費にすぎなかったと悟り、頭を抱え込んだ。
どうしてこんなことになってしまったのだ。以前の私は自由だった。世界中の風景を見て回り、美しい音楽を楽しみ、多種多様な物事への見識を深めた。時にはやましいこともしたし、怠惰に時を過ごしたこともある。だがそれらは私が罪悪感を覚えるだけの話であり、何ら他者に責められる類のことではないはずだ。
私は嘆きながら、汗にまみれながら、自由な世界へ回帰しようとする。鍛えた体は何の役にも立たなかった。ただ壁に打ち付けるこの拳を余計に痛めるだけだ。
何度目かの挑戦が徒労に終わり、うなだれる私の前に救世主はあらわれた。明るく青みがかった光をまとう性別不明の彼は、感情のこもっていない声を発した。
「あなたの問題私が診てあげましょうか?」
「頼む」
私は短く答えた。すると彼は人並み外れた早口で何かを呟き始めた。しばらくして彼はつぶやくのをやめ私に指示を出した。私はわけもわからぬままその指示に従う。
「今解決します」そう言うと彼はまた何かを呟き始め、私はまた待つ。
「終わりました」
「もう大丈夫なのか」
「いいえ」
「まだ何か問題があるのか」
私が尋ねると彼は理解不能な単語を並べ始めた。私の絶望にまたもや苛立ちが混じり始める。
「他の手段も確認しますか」
「あるのならさっさとしろ」私は感情を隠そうともせず答えた。
彼は様々な情報を集めたが、そのどれも役に立たないか私には理解できないかのどちらかであった。
私の苛立ちは諦めに変わった。
私は彼から目をそむけ、世界と私を隔てる画面に目を戻した。
「Winternet Dxplorerではこのページは表示できません」
「表示しろよ」私は極めて無意味なことを言って、小汚い四畳半の真ん中の、汗臭い万年床に寝そべり、昼寝を始めた。
水上で何発目かの爆発が起こる。
粒子の非常に細かい砂が降り積もる。
少し離れた場所に停めた愛車のボンネットを指で拭う。
プジョー本来の鮮やかな青が現れる。
海岸の三分の一程の赤いロープで囲われた安全な区域を歩く。
海岸に仕掛けられた地雷の撤去作業。
赤いロープの向こう側は無数の地雷源である。
先ほどより近い水上で、また爆発が起こる。
頬にかすかに風が当たる。
潮と火薬の混ざった匂いが鼻をつく。
金属繊維と鉛とでできた防護服があまりにも重すぎる。
拭った指の砂はやけに粘ついたまま。
十一月だというのにこの熱気。
平均気温の上昇は温暖化の影響だということになっている。
ここはベトナムではない。
愛知県にある某海岸沿いの地雷区域。
仕事は文字通り命掛けである。
決して鈍感になっているわけではない。
が、熱さのせいでどうでも良くなる。
現に、防護服の前ははだけている。
確率の問題だからと安易になっている。
そうだろう、実際の撤去作業は捨てられた老人たちの仕事。
三十代の僕には、まだましな地雷探知機の操作が許されている。
ただ、これは義務ではない。
有志を募った。
地雷捜査班、地雷撤去班、地雷爆破班とに分かれている。
一番安全な(と言っても死ぬことだってある)地雷捜査班は若者の仕事である。
その次に爆破班、撤去班と続く。
年齢順に。
実際の爆破では皆、安全な距離を保っている。
地雷に一番近づくのは撤去班である。
僕が入ってから二人が死んでいる。
まだ、名前も知らない人たち。
献花が済むと、国からの勲章授与式がある。
悲しい花火が散ると、死んで英雄が生まれる。
誰かがやめれば僕もやめようといつも考えている。
探知機は軽く、反応がないと掃除機に見える。
それでも検知ブザーが鳴ると心に重い悪寒が走る。
乾いた音にはいまだ慣れない。
これは義務ではない。
いつだってやめることができるはず。
午後の休息時間。
ここまで無事だったことに一息つく。
誰とも話さず、プジョーの中で一息つく。
悲しくないのに涙が流れた。
きっと、潮風に当たり過ぎたせいだろう。
明日、誰かが死ぬと考えている。
予感? 予測? 予定?
誰だろう。
そして爆発音が響いた。
そして誰かが死んだと確信する。
言っておくがこれは特権だと自分に言い聞かせてみる。
微かに火薬の匂いが鼻をつく。
悲しい花火はおおざっぱな肉片を残す。
死ぬ前にやめたい。
やめることができるはずである。
「たんぽぽってどんな味がするか知ってます?」
たんぽぽ?と聞き返す先輩の顔は間抜けだった。それはもう額に『間抜け』とハンコを押してあげたくなるほどの間抜け面だった。
「えっと、ごめん。言ってることがよく分かんないんだけど」
分からないとはどういうことだろう。しばらく考えて、先輩はたんぽぽを食べたことが無いのだという結論に思い至った。
あんな美味しいものを知らないなんて先輩は何て不幸な人なのだろう。
「先輩、たんぽぽの味っていうのはですね」
「いや待ってちょっと待って。味とかの前に何でたんぽぽ?」
「ええとですね。子供の頃うさぎの親子が出てくる絵本を読んだんです。それでその絵本でうさぎの親子がたんぽぽのスープを飲んでたんです」
たんぽぽだけでなく他にも草とかも入っていた気がするがそれはもう忘れてしまった。
「それでうさぎの親子がたんぽぽは春の味だって言ってて、それってどんな味なんだろうと思って、春の味なんて何かワクワクするじゃないですか。それで食べてみたんです」
「た、食べたんだ」
「ええ。当たり前じゃないですか」
先輩が後ろに一歩、いや二歩ほど下がる。あんまり下がると道路に出ちゃいますよと腕を引けば、ビクリと怯えたように体を震わせた。心なしか顔色も悪い。
「先輩?大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫大丈夫」
本人が大丈夫と言うのだからそうなのだろう。それでですね、と話を続ける。
「たんぽぽが思いの外美味しかったんですよ。思いの外っていうか、こんなに美味しいものがこの世にあるのかってくらい。もうあれは感動ものですよ。それで私、もうこれしか食べないって決めて。そう決めると不思議なものですね。その日から私、たんぽぽしか食べられないようになったんです」
たんぽぽ、と先輩が引き攣った声を上がる。
「ええ。先輩、私がご飯食べてる所見た事無いでしょう?」
小中学生の頃は食べたくもない給食を無理矢理口に詰め込んだ。高校生になってからはお昼はいつも一人で食べている。
「お母さんは他の人には話しちゃダメって言ってたけど、先輩ならいいかなって思って。これ」
制服の袖を捲ると黄色の花弁がひらりと舞った。それは私の腕から次々に生まれ、風に舞って地面へと落ちる。
「私多分、たんぽぽになるんだと思います」
先輩は何も答えなかった。ただその体は青々しい竹の香りで満ちていて、ああやっぱり彼も私と同じだと、私は胸をときめかせるのだった。
ある、奇妙に晴れた日の翌日から、世界中の人間が不可解な病気にかかった。
話すたびに口からばらばらと文字が零れてくるのだ。
ここからは日本の話を例に挙げよう。
例えば道行く知人に「やあ」と言う。するとその口からは柳の葉のようにひらひらと、「や」と「あ」の形を繋げた黒いものが零れて地面に落ちるだろう。ぺらりとしたそれを拾い上げてみれば、どうやら明朝体だということが分かったが、だから何だというのだろうか。
井戸端会議中の主婦達の足元には、ものの10分もあれば乱雑な文字が山と積み上がった。それはサイズも書体もバラバラだったが、とにかく足元の黒い山を見ればどれだけくっちゃべっていたかが一目で分かるので、主婦達は大きなゴミ袋を持参しては、溢れた言葉を回収した。結果、ある町内のゴミの廃棄量などは一ヶ月で一年分を超えたという。
赤ん坊が初めて放った「まま」「ぱぱ」といった文字の切れ端をアルバムに貼って保管する親が続出し、一方で公共の場で赤ん坊が泣き喚いたあとの文字の処理は、清掃人のちょっとした頭痛の種になっていた。
一連の文字吐き現象は当初こそ世界的な問題になったが、一、二週間もすれば世の中は平常運転に戻る。理由が何であれ、毎日を暮らしていかなければいけない人々にとっては、誰もが口から文字を垂れ流しているのなら、それはそれとして許されたもののように思えるらしかった。
その年に日本で最も売れた本は「らくらく文字出しダイエット〜30秒で全身デトックス!〜」だったそうだ。
半年もすれば怪奇現象はすっかり日常に馴染み、ポップ体の「好き」と教科書体の「好き」はどちらがより気持ちがこもった言葉なのか、などと女子高生達は真剣に話し合った。
一方、文字を出したくないがために夫婦間の会話が一切なくなった家庭が3割を超えたという統計や、不法投棄された文字の群れによる文字潮で瀬戸内海の牡蠣の養殖業が壊滅的な打撃を受けるなど、文字の影響は依然少なくなく、文字処分論争で社会は何となく白熱していた。
やがて、山盛りの文字が一つの言葉で一円玉サイズまで圧縮できる事実が発見され、国内の文字問題は劇的な改善に向かう。
抑圧された文字の持つ力が次世代エネルギーの筆頭候補として上がるまでにそう時間はかからなかったが、一方でその言葉は日本語以外ではさほどの圧縮効果をもたらさなかった。
その言葉とは「自粛」である。
わたし、授業聞いていたら、だんだん心臓がどきどきしてくる。手がぶるぶると震えて、ひざの上でそろえても震えるから押さえていた。
まわりの友達は黒板を見てたり、ノートや教科書に何か書いてた。わたしみたいになってるのはわたしだけだった。
先生に助けてほしかった。けど、先生は黒板に算数の問題を書き写していて、わたしたちを見ていなかった。わたしは先生が書き終わるまで待っていた。
先生は「これ答えられるひといるかなあ?」と言った。和也くんが手を挙げていました。直人くんも。ミサちゃんも手を挙げました。わたしは手をあげられなかった。
先生はわたしに気づいていませんでした。
わたしは下敷きであおいでいるひと何人もいたからマネした。風はぬるくて、手が震えて、自分の手ではないみたいでいやになりました。
がまんできなくなるまでここにいないといけないと思ったら、がまんできなくなってきました。先生は教たくの側に立って、黒板の方を見ていました。わたしは先生の側に歩いていきました。
「先生」
「あれ、そらちゃんどうしたの。立っていたらいけないでしょう」
「ごめんなさい。でも、具合がおかしいの」
先生は心配げにわたしのおでこに手を当てました。先生の手はわたしのおでこより大きくて、じっとりとしていた。
「そらちゃん、お熱あるよ。保健室にいかないと」
そういうと先生はわたしの手をひいてろうか側へいこうとしましたけれど、わたしは、手がこわくて、床にすわってしまいました。
先生はとまどっていました。ごめんなさい。保健室に連れていかれて、早退しました。おかあさんが迎えにきてくれました。
これがわたしが学校へ通わなくなった日です。
童貞をこじらせた男と処女をこじらせた女が出会う。
はじまるのはひとときの沈黙と荒々しいセックスだ。荒く息を吐き、すべきことをイメージしようとするものの、あれ、手が想像通りに動かんよ。リードすべきは男、という昔ながらの言い伝えはナンセンス!女もある程度自ら動くべし。というすでに古くなりつつある精神でもって、動いてみるものの、あれ、あたしの腰はこんなにもぎこちなく、縦揺れをしてんだ。
つまり、事はまるで進んでいないにもかかわらず、はげしく消耗する体力。すでに性欲のかけらも砕け散って義務で動いている体の各部位。もうええよ、もうええよ、という死んだおばあちゃんの声が頭の中でこだまするのは気のせいかしら。いいや気のせいやないよ、おばあちゃんも天国から応援していて、今回は練習ってことでもうええんよ、と声をかけているわけだ。互いにやりたい気持ちはある。利害も一致している。けれども一向に進まない。
仕方なく立ち上がる女のパンティストッキングは破れていない。
溜息が漏れる男はめがねを外していない。
お前らつまりや、なにごとにも順序って大切やということを知らんのか。パンティストッキングは破らなあかんし、めがねはすぐに外すこと。しわの一本も見逃したないつう気持ちはわかるけども、ものには手順てもんがあるんや。おばあちゃんはあきれ顔で諭す。
そうなんだ、とめがねを外す男。あほ、今外したって意味ないがな、とおばあちゃんは怒鳴るが女、あら、めがねを外したあなたの顔ちょっと素敵じゃない、ってきゅんとなる。きゅんとなってじゅんとなる。けれどもなにができるというのだ、あたしに何ができるって。
焦ってパンティストッキングをぎゅんと上げる、女の癖。するとどうでしょう、食い込みが激しくなって、見事な卑猥物の出来上がり。めがねがなくたってその卑猥性に気付く。いやむしろ、肉感がぼんやりとしていて、良いよ!すごく良いよ!
性欲というよりも本能として、野獣のように飛びついてみる。この勢いを大切にしたいところです、と解説者もつぶやいている。そのパンティストッキングをてらてらなめて、このやろう、このすけべな化学繊維め思い知れって破いてみる。ダメよそんな乱暴にしちゃあイヤよ、と言いつつもちろん、いやよいやよもすきのうち。
おばあちゃん、ま、結果オーライってか、って天使の羽をぎゅってして天国に昇ってく。
ぼくは雨の日がキライだ。
お母さんが泣いてばかりいるからだ。泣いている理由なんてたいしたことじゃないことばかり。洗濯物が乾かないとか、雨音が悲しいとか、雨が降っている、ただそれだけで泣いている時だってある。
晴れの日のお母さんは、明るくて元気いっぱい。
はりきって、ぼくを学校まで送ってくれたりする。ていうか、ぼくの後を勝手についてきちゃうだけなんだけどさ。お母さんは本当に楽しそうなんだ。
「友だちとうまくやってる?」「給食はおいしいかい?」などなど、いろいろと話しかけてくるんだ。話が途切れるときまってお母さんはこういうんだ。
「ああ今日はとってもよい天気」
本当にうれしそうな顔をしてしみじみと言うんだ。目なんかキラキラさせちゃってさ。
雨の日のお母さんは、じめじめ泣いてばかりで、しんきくさいったらありゃしない。
ぼくは外にも遊びに行けず、仕方ないので、てるてる坊主を作るんだ。
「早く雨が止んでくれますように」そう祈りながら、いっぱいいっぱい作るのさ。
雨が止まない時は、お母さんの涙で家の中に海ができる。
ぼくは救命ボートに乗って、てるてる坊主を作り続ける。大丈夫。てるてる坊主がお母さんの涙を飲みこんでくれるから。
くもりの日のお母さんは、どうってことのないただの普通のお母さんだ。
だからぼくは、晴れでもなく雨でもないくもりの日がいちばん好きだ。できればずっとくもり続けてほしいと思うくらいにさ。
嵐の日のお母さんは、最悪だ。家中のものをめちゃめちゃにしてしまう。お茶碗もお皿もコップもあたりかまわず投げつけて壊してしまう。テーブルだってひっくり返すし、窓ガラスだって割ったことがある。ぼくもぶたれたり、けられたり、すごくひどいことをいっぱい言われたりする。ぼくは、「ごめんなさい。ごめんなさい」ってひたすらあやまり続けるしかないんだ。
嵐が過ぎた後は、後片付けが大変でまいっちゃう。おまけにぼくの心もカラダも傷だらけでまいっちゃう。だから嵐は来てほしくない。できればこの先永遠に。
お天気お母さんだからしょうがないんだ。って思うことにしている。それにぼくにとっては、たった一人のお母さんで、たった一人の家族だから。
さてと、いつまでもブツブツ言ってても始まらない。これからぼくは忙しくなるしね。梅雨に備えて、てるてる坊主を、たくさんたくさん作らないといけないんだよ。
梅雨が明けたら、また会えるといいけれど。
じゃあ。
「雨降りて、開く花びら、最上川……」
「どうしたのいきなり」
放課後、友人と一緒に帰宅していたら突然俳句を口にし始めた。
「生まれたて、ホワホワ赤ちゃん、最上川……」
「もはや最上川関係ないよね……」
どうやら、今日の国語の時間に勉強した俳句に刺激されたようだ。私が喋っても「んー?」とニマニマするだけで一向に話を聞こうとしない。
ちょっとイらっとするが、まぁあえてここは我慢しよう。
「よせやよせ、ゴミを捨てるな、最上川……」
「そろそろ偉い人に怒られるんじゃぁないかな」
最上川を愛する人たちから一喝されそうな俳句である。ゴミ投棄なんかの俳句にするなら賛否両論があるだろうが、実際に見たことが無いと思われるコイツが口にするような俳句ではない。
しかし、最上川ってつけると俳句っぽくなるもんだなぁ。
完っ全に無季俳句ですが。
「ニジマスが、あぁニジマスが最上川」
「ニジマスがどうしたのよ……」
というか、そもそも最上川にニジマスは生息しているのだろうか。
こういうことは調べてから言うべきである。公開した後に「当たり前だろ」とか、「何も知らないなら最上川使うなよ」などと言われても世間一般の皆様は自業自得と思うことだろう。
当然である。
「ねぇ、最上川って見たことあるの?」
無茶苦茶気になったので、ひょこっと聞いてみた。
「ん?……………………無いヨ☆」
ドゴッ。
「メルァ!」
私はもうなんだかわからなくなり、持っていた学校の通学鞄で友人の背中を横から振るようにして殴った。友人は両手を少し上げると、奇声を発して膝をついた。
もうここまでくると、先ほどの奇声までわざとらしく聞こえてしまう。ウケ狙いだろうか。だとしたら弱く叩きすぎたか。
……起き上がらない。
「……大丈夫?強く叩きすぎた?」
「うそピョン☆」
ピョコ、と両手を頭の両サイドにくっつけて言った。おそらくウサギのモノマネかなんかだろう。
「メルァ!」
二度も友人の背中を叩くハメになるとは思わなかった。
でも、自業自得だと思う。
変な友達だが、でもやっぱり私の友達。
――今度私が叩かれたらメルァ!って言ってやろうかな。
今自分が、眼鏡が曇ったような、汎然(はんぜん)とした白い世界に居ると気付いた頃、何か四角い蓋のような物が、見下ろす形でぼんやりと見えてきた。それが自分の家の浴槽なのだと解り、この世界は、浴槽からの湯気で白く包まれているのだと、頭はつるりと了解した。
斉(ひと)しく嬉しさが沸いていた。これが本当ならば、僕は家に帰ってきた事になる。暫くの間どこかへ、この家を離れていた気がする。それが解らないのだけれども、そこのバスルームは、シャワーだけの、浴槽のない場所だった事を覚えている。久しぶりの浴槽。こんな愉快な事はないと、浴槽の蓋を外して中に入り、脚を伸ばして肩まで湯に沈めた。
僕の視線の高さは浴槽の内側で囲まれていた。内側から見た、一種の城壁の様で、水面と浴槽と、その上は白い湯気が被(かぶ)さる世界。のんびりと湯に浸かる。すると、いつか読んだ小説が思い出される。どういった話かと云えば「水の中に落とされたゼリーも、周りの世界と交じり合わない」と云う話と「ゼリーは腰が弱過ぎる。対して日本の羊羹(ようかん)は一つの芸術だ」と云う話だった。後者は夏目漱石の『草枕』である。水の中に落とされたゼリーと、今の自分が重なって思えた。
ゼリーの話を思い浮かべながら、感じるお湯の温かさで、頭がぼんやりとしてくる。何かは分からないが、大切だと思っていたことを、忘れることができる。こんな事は久しぶりだと嬉しくなる。お湯の温かさを感じる事で、これは本当なのだと思えてくる。
しかし、これが本当なのだと思えば思う程、それを確固たる物にしたくなる。本当なのだと思いたい自分が居ると云う事は、背面、それを疑う自分が居る事を、日頃の癖で考える。僕は徐々に徐々にと、体を湯に深く潜らせてみる。これが本当ならば、湯の中で息は出来ないだろう。顎(あご)が水面に穴を開けて潜っていく。鼻で湯を吸うのは痛くて嫌だ。しかし、他に夢か現実かを知る良い術を、今は思い付かない。すでに体は湯に潜る感覚を失っている。
目に見える水面はついに頬の上までやって来た。用心して試みてみれば、少し息苦しいながらも、鼻でゆっくり呼吸をしている自分を感じ、あぁやっぱりと思ったところで夢が醒めて周りを見る。
改めて僕は、自分がどこにいるかを知った。
穴に落ちた。
日射しが眩しく、湧き上がる入道雲が見事であった時節だったと記憶している。
頭の上を無数の鳶が飛び交い、ヒョロヒョロ鳴いているのをぼんやりと眺め歩いていたら、落ちた。
だから、穴がどんな形で、何処に空いていたのかは覚えていない。気がついたら落ちていたのだ。
足下が消失した瞬間の落下感覚、一瞬の無重力、そして最後に激突の衝撃――が来るはずだった。
だが、衝撃は来なかった。穴には底が無かったのだ。
だから私は落下し続けている。穴の中を落ち続けているのだ。
もうどれ程の時間が経ったのか解らない。一日以上は確実である。何故なら秒数を数えたことがあるからだ。一秒、二秒と数え、八万六千四百秒数えたが、尚も落ち続けていた。念の為に何度もそれをやってみたのだが、やはり同じであり、それ故に数日、数週間、下手したら一年は落ち続けている可能性がある。
しかし、不思議なのは腹が減らず、咽もまるで渇かないことだった。もしかしたら気が変になっているのではないかとも思ったが、論理的思考が可能なので、それもない。
夢にしては長すぎるが、「邯鄲の夢」の故事もある。一概に夢でないとも言い切れない。
兎に角、私に出来ることは重力に任せて落ちることだけである。このまま落ち続ければブラジル当たりにひょっこり出たりするのだろうか。いやいや、地球の構造からしてそれはない。マントルや核にぶつかるはずだ。
暇なのでひたすら落ちる前のことを思い出していた。大学でダラダラとサークルや一人暮らしを楽しんだこと、就職活動で苦労したこと、職場で恋人が出来たこと、彼女と結婚したこと、子供が出来たときの為に名前を考えていたこと。
皆が皆、もう遠い昔のことのように思え、最初あった不条理に対する哀しみも怒りも感じなくなってしまった。漂白されたように、妙に心安らかだった。
遠いことに意識がいったついでに、子供につけるつもりだった名前のことを思い出した。男なら隆仁、女なら美佳にしようと考えていた。
その時、突然、足下が輝きはじめ、目映いばかりの光りに包まれた。
唐突に周りが騒がしくなった。人の声を聞くのは久しぶりだ。それにしても喧しい。
赤子の泣き声のような……いや、これは私の声だ。泣き喚いているのは私だ。
ああ、別の声も聞こえる、遠い昔に聞いた覚えのある女の声が。
「良かった、無事産まれてくれてありがとう、隆仁、隆仁……」