第129期 #6

面食らっちゃうようなこと

 ある、奇妙に晴れた日の翌日から、世界中の人間が不可解な病気にかかった。
 話すたびに口からばらばらと文字が零れてくるのだ。


 ここからは日本の話を例に挙げよう。
 例えば道行く知人に「やあ」と言う。するとその口からは柳の葉のようにひらひらと、「や」と「あ」の形を繋げた黒いものが零れて地面に落ちるだろう。ぺらりとしたそれを拾い上げてみれば、どうやら明朝体だということが分かったが、だから何だというのだろうか。

 井戸端会議中の主婦達の足元には、ものの10分もあれば乱雑な文字が山と積み上がった。それはサイズも書体もバラバラだったが、とにかく足元の黒い山を見ればどれだけくっちゃべっていたかが一目で分かるので、主婦達は大きなゴミ袋を持参しては、溢れた言葉を回収した。結果、ある町内のゴミの廃棄量などは一ヶ月で一年分を超えたという。
 赤ん坊が初めて放った「まま」「ぱぱ」といった文字の切れ端をアルバムに貼って保管する親が続出し、一方で公共の場で赤ん坊が泣き喚いたあとの文字の処理は、清掃人のちょっとした頭痛の種になっていた。
 一連の文字吐き現象は当初こそ世界的な問題になったが、一、二週間もすれば世の中は平常運転に戻る。理由が何であれ、毎日を暮らしていかなければいけない人々にとっては、誰もが口から文字を垂れ流しているのなら、それはそれとして許されたもののように思えるらしかった。
 その年に日本で最も売れた本は「らくらく文字出しダイエット〜30秒で全身デトックス!〜」だったそうだ。
 半年もすれば怪奇現象はすっかり日常に馴染み、ポップ体の「好き」と教科書体の「好き」はどちらがより気持ちがこもった言葉なのか、などと女子高生達は真剣に話し合った。
 一方、文字を出したくないがために夫婦間の会話が一切なくなった家庭が3割を超えたという統計や、不法投棄された文字の群れによる文字潮で瀬戸内海の牡蠣の養殖業が壊滅的な打撃を受けるなど、文字の影響は依然少なくなく、文字処分論争で社会は何となく白熱していた。

 やがて、山盛りの文字が一つの言葉で一円玉サイズまで圧縮できる事実が発見され、国内の文字問題は劇的な改善に向かう。

 抑圧された文字の持つ力が次世代エネルギーの筆頭候補として上がるまでにそう時間はかからなかったが、一方でその言葉は日本語以外ではさほどの圧縮効果をもたらさなかった。
 その言葉とは「自粛」である。



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