第129期 #5
「たんぽぽってどんな味がするか知ってます?」
たんぽぽ?と聞き返す先輩の顔は間抜けだった。それはもう額に『間抜け』とハンコを押してあげたくなるほどの間抜け面だった。
「えっと、ごめん。言ってることがよく分かんないんだけど」
分からないとはどういうことだろう。しばらく考えて、先輩はたんぽぽを食べたことが無いのだという結論に思い至った。
あんな美味しいものを知らないなんて先輩は何て不幸な人なのだろう。
「先輩、たんぽぽの味っていうのはですね」
「いや待ってちょっと待って。味とかの前に何でたんぽぽ?」
「ええとですね。子供の頃うさぎの親子が出てくる絵本を読んだんです。それでその絵本でうさぎの親子がたんぽぽのスープを飲んでたんです」
たんぽぽだけでなく他にも草とかも入っていた気がするがそれはもう忘れてしまった。
「それでうさぎの親子がたんぽぽは春の味だって言ってて、それってどんな味なんだろうと思って、春の味なんて何かワクワクするじゃないですか。それで食べてみたんです」
「た、食べたんだ」
「ええ。当たり前じゃないですか」
先輩が後ろに一歩、いや二歩ほど下がる。あんまり下がると道路に出ちゃいますよと腕を引けば、ビクリと怯えたように体を震わせた。心なしか顔色も悪い。
「先輩?大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫大丈夫」
本人が大丈夫と言うのだからそうなのだろう。それでですね、と話を続ける。
「たんぽぽが思いの外美味しかったんですよ。思いの外っていうか、こんなに美味しいものがこの世にあるのかってくらい。もうあれは感動ものですよ。それで私、もうこれしか食べないって決めて。そう決めると不思議なものですね。その日から私、たんぽぽしか食べられないようになったんです」
たんぽぽ、と先輩が引き攣った声を上がる。
「ええ。先輩、私がご飯食べてる所見た事無いでしょう?」
小中学生の頃は食べたくもない給食を無理矢理口に詰め込んだ。高校生になってからはお昼はいつも一人で食べている。
「お母さんは他の人には話しちゃダメって言ってたけど、先輩ならいいかなって思って。これ」
制服の袖を捲ると黄色の花弁がひらりと舞った。それは私の腕から次々に生まれ、風に舞って地面へと落ちる。
「私多分、たんぽぽになるんだと思います」
先輩は何も答えなかった。ただその体は青々しい竹の香りで満ちていて、ああやっぱり彼も私と同じだと、私は胸をときめかせるのだった。