第129期 #11

現在地

 今自分が、眼鏡が曇ったような、汎然(はんぜん)とした白い世界に居ると気付いた頃、何か四角い蓋のような物が、見下ろす形でぼんやりと見えてきた。それが自分の家の浴槽なのだと解り、この世界は、浴槽からの湯気で白く包まれているのだと、頭はつるりと了解した。
 斉(ひと)しく嬉しさが沸いていた。これが本当ならば、僕は家に帰ってきた事になる。暫くの間どこかへ、この家を離れていた気がする。それが解らないのだけれども、そこのバスルームは、シャワーだけの、浴槽のない場所だった事を覚えている。久しぶりの浴槽。こんな愉快な事はないと、浴槽の蓋を外して中に入り、脚を伸ばして肩まで湯に沈めた。
 僕の視線の高さは浴槽の内側で囲まれていた。内側から見た、一種の城壁の様で、水面と浴槽と、その上は白い湯気が被(かぶ)さる世界。のんびりと湯に浸かる。すると、いつか読んだ小説が思い出される。どういった話かと云えば「水の中に落とされたゼリーも、周りの世界と交じり合わない」と云う話と「ゼリーは腰が弱過ぎる。対して日本の羊羹(ようかん)は一つの芸術だ」と云う話だった。後者は夏目漱石の『草枕』である。水の中に落とされたゼリーと、今の自分が重なって思えた。
 ゼリーの話を思い浮かべながら、感じるお湯の温かさで、頭がぼんやりとしてくる。何かは分からないが、大切だと思っていたことを、忘れることができる。こんな事は久しぶりだと嬉しくなる。お湯の温かさを感じる事で、これは本当なのだと思えてくる。
 しかし、これが本当なのだと思えば思う程、それを確固たる物にしたくなる。本当なのだと思いたい自分が居ると云う事は、背面、それを疑う自分が居る事を、日頃の癖で考える。僕は徐々に徐々にと、体を湯に深く潜らせてみる。これが本当ならば、湯の中で息は出来ないだろう。顎(あご)が水面に穴を開けて潜っていく。鼻で湯を吸うのは痛くて嫌だ。しかし、他に夢か現実かを知る良い術を、今は思い付かない。すでに体は湯に潜る感覚を失っている。
 目に見える水面はついに頬の上までやって来た。用心して試みてみれば、少し息苦しいながらも、鼻でゆっくり呼吸をしている自分を感じ、あぁやっぱりと思ったところで夢が醒めて周りを見る。
 改めて僕は、自分がどこにいるかを知った。



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