第126期 #4

との手

 晴れ亘る空には雲ひとつなく、こんな心持ちでこの空を眺められるなんて久しぶりだわ、などと姉様がおっしゃっておられます。
 柿の実がまだ堅い小さな庭を六畳間の縁側から厚い幕布を介することなく眺めれば、もう秋なんだわね、などと母様もおっしゃっておられます。
 父様と兄様の無事を祈って折った鶴のなんて清々しいお姿でしょう。半年ぶりに浴びた陽射しに照らされた鶴の、朱色の鮮やかさがいっそう目にしみてまいります。
 わたくしを挟んで母様と姉様、三人並んで六畳間の縁側に立っておりました。もちろんわたくしは母様と姉様に左右の手をそれぞれ預けております。
「あの鳥は何て言うのかしら」
「あの鳥はムクドリよ」
「ほら、あすこにも」
 こんなたわいもない会話をもう随分となすっていなかったことが、苦しかった悪夢のように込み上げてまいりました。でも、もうその悪夢は過ぎ去っております。父様と兄様も無事帰ってこられるのです。父様の膝の上でまた、お歌を聞かせていただきましょう。兄様にはまた、勉学を教えていただきましょう。
 ラヂオから流れて聞いたお声の意味はわたくしにはまだよくわかりません。けれども、母様、姉様の笑顔の意味することは感ぜられております。
 隣のミヨちゃんの父様は帰ってこられないのだそうでございます。お国のために帰ってこられないのだそうでございます。けれども、わたくしの父様は帰ってこられるのです。それでいいのです。それだけでいいのです。
「○○ちゃん、さぁ、壕の掃除でもしましょうか」
 母様がわたくしの手を強く握りました。
 わたくしも負けじと手に力を込め握り返しました。
「わたくしも手伝うわ」
 姉様がおっしゃって、
「あら、母様とわたくしのお仕事よ」
 と、わたくしは笑顔で姉様の手を強く握りました。
 六畳間奥の仄暗い仏間には母様と姉様の御位牌がございます。本当は母様と姉様もミヨちゃんの父様同様、帰ってこられないのでございます。もう少し早く戦争が終わっていたらなんてことを……、子供心にも聞いてはいけないなんてことが分かるのでございます。
「○○ちゃん、竹箒と手ぬぐいをお願いしますね」
 伯母様がわたくしに向かって笑顔を作られます。
「早く父様と兄様帰ってこないかしら」
 わたくしは壕の掃除の支度をしておられる伯母様に笑顔を作りながら、母様と姉様との手をそっと離しました。



Copyright © 2013 岩西 健治 / 編集: 短編