第126期 #10
とにかく指先だけは色っぽくてね、それがあんたの母親の唯一の取り柄だったよ。指先だけはね。
そう祖母は幼い私に言うのだった。
生まれたばかりの赤子を捨てて、指先の美しさだけを武器に知らない男の元に走った女。
それが私の母だった。それが祖母の娘だった。
幼稚でわがままで勝手な卑怯もの。幼い私は憎む理由もなく母を憎んだ。憎むより先に憎まなければならなかった。もしも憎まなければ、そうでなければ祖母は私をわざわざ育てなどしないと、ほとんど本能で悟っていたから。
あんたはあの女と同じようになっちゃならんよ、あんたはあの女とは違う子よ、そういう祖母の声は、暗に、あんたもあの女と同じようだよと告げているようで、私はますます母を嫌った。
憎めば憎むほど母は遠い存在になった。時々狂ったように叫んで喚く私を見つめ、祖母は満足そうに微笑んでいた。
やがて10年20年、私は半ば自動で大きくなって、そして何度か静かな恋をした。けれど優しいその恋人を、祖母に知られてはならなかった。
何にも知らない男捕まえて、あんたもやっぱりインバイだね、母親と同じだよねと、老いた祖母の口にこれ以上言わせたくはなかったので。何より私は母になりたくなく、祖母を納得させたくなかった。
私は愛をかわしながらかわしながら、結局結婚しなかった。保身のために母を憎む言葉を吐き続けた、私が今さら母になれるとも思われなかった。
私は祖母の言うことを何一つ否定せず、ただ言われるがままに従った。
その甲斐あってか祖母は呆けて小さくなった。あれほどしっかりしていた人が、お菓子とオムツの区別もつかなくなって早5年。
誰も呼ばなかった祖母の通夜に唯一人、やってきたのは、指先の美しい年配の女性だった。
素朴で黒い喪服の袖は、まるで夜会のドレスのように彼女のほっそりとした指を飾っていた。
彼女の淡く光ったような、滑らかな指が灰を摘まむ、その瞬間を見るためだけに私は生きていたのだと知る。
彼女、私の母はこれ以上なく勝ち誇った顔で摘まんだ灰を飲み込んだ。
そして遺影ににっこりといやらしく微笑んで、私を見もせず出ていった。
後に残された私は脱け殻のように座っていた。
からから、ぴしゃんと玄関の扉が閉まった途端、ここにある筈もない母と祖母の荒んだ高笑いが、耳の中でいついつまでも反響しているのが聞こえ、私は祖母の灰を残らずトイレに流してしまう。