第125期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 黒い白鳥そして七面鳥の生涯 例文” 827
2 小石 mohu 1000
3 ちょび 433
4 餌と檻 389
5 鼻男 412
6 ただいまかんたん増資産法伝授中 ツチダ 1000
7 ぼくらの東京タワー だりぶん 996
8 恋愛って 藤舟 995
9 リスニング・ルーム 末真 868
10 手乗り象の夢 あかね 1000
11 面白くはないでしょうが、お聞きになりますか。 豆一目 997
12 盗聴 岩西 健治 985
13 雪見草子 霧野楢人 1000
14 留真温泉、忘れ難し。 イカチンキ 997
15 焚火 北郊 474
16 challenger いちご 468
17 慕ってくれるひとが好き tochork 991
18 記録 白熊 1000
19 mm qbc 1000
20 内地のイメージ えぬじぃ 1000
21 小森中将の死 euReka 995

#1

黒い白鳥そして七面鳥の生涯

それは突然起こった。何の兆候も見せずに。そこには何かしらの理由というものは完全に存在しなかった。
 私がこの世界に生まれたそのことである。いっさいの経験や予兆、予測といったものはなく、私は生まれた。あるいは完全な無から突発的に起きたビッグバンによって創生された宇宙のそれと同じ事だと言える。
 ともかく、当然のことではあるが、私は私が生を受けることに何の予想もできていなかった。
 今にして思えば、私の生涯は生まれたその瞬間から資本主義時代の勝者そのものだった。例えて言うならば、私にとっての労働とはただ存在することでしかなかった。
 食事をし、睡眠し、あるいは暇つぶしの散歩をし、それだけで私は存在する価値があったし、誰もがそれを望んだ。決まった時刻になると、召使が食事を作り、私に差し出す。睡眠や散歩といったものは単なるさじ加減だ、嫌ならするひつようはない、だが私はそういうものが好きなので、飽きもせずにその循環をひたすら繰り返す日々を送った。
 もし私が本当に資本主義時代の覇者そのものならば、私が実際に過ごしたような日々は退屈極まりなく、金を稼がない毎日に意味などないと憤慨していたに違いないが、それは私にとっては見事に当てはまらない無価値なことだった。資本と呼ばれるものは私の価値観のはるか彼方の隅に追いやられている。
 しかし、それはクリスマス・イヴの前日にやってきた。
まるで変化のない、永遠に交わることのない平行四辺形の一辺が描く水平線のように続く毎日を味わい、見かけだけは守銭奴の資本家よろしく醜く太った私のもとに、いつもどおり召使がやってくる。彼らの仕事はただ私に食事を提供するだけのはずだった。ところがその日は彼らの様子が違った。
 少なくとも私には何の理由も思いつくことができなかった。しかし召使の太い腕は容赦なく私の首を締め上げ、そしてへし折った。
それは突然起こった。何の兆候も見せずに。そこには何かしらの理由というものは完全に存在しなかった。


#2

小石

・小石を蹴った。

・ひどく、足が腫れた。

・程なくして、血が出た。

・病院に行った。

・「骨が折れています」と診断された。

・翌日、会社を休んだ。

・部屋で布団にくるまり、泣いた。

・「私何やってるんだろ?」って思った。

・数分後、少し笑けて来た。

・ひたすら布団の中で寝た。

・ぐーぐー寝た。

・起きたら、翌日の9時だった。

・仕事を休んだ。

・そして、また寝た。

・起きたら、翌日の8時だった。

・また仕事を休んだ。

・そしたら会社をクビになった。

・職を失った。

・すごい不安になった。

・足に感覚が無くなっていた。

・病院に行った。

・足が壊死してると言われた。

・病院から入院を勧められた。

・断った。
 →お金が無いから。

・アパートを解約した。

・実家に戻った。

・親にびっくりされた。
 →主に足の状態について

・親のお金で病院に入院した。

・手術をした。

・足を切断した。

・絶望した。

・一寸先が見えなくなった。

・生きてる意味が分からなくなった。

・3ヶ月入院した。

・恋をした。
 →毎日見舞いに来てくれた、同級生の勇次君に。

・勇次君に優しくされた。

・3ヶ月、ずっと。

・胸が張り裂けそうな程、彼が愛おしくなった。

・思いが、抑えきれなくなった。

・でも、嫌われたくなかった。

・でも、告白してみた。

・「ごめん」って言われた。

・泣いた。

・結局、恋は実らなかった。

・死のうと思った。

・でも、そんな勇気は無かった。

・もう、どうしていいか分からなくなった。

・ひたすら布団の中にもぐり、眠った。

・ぐーぐー眠った。

・ふと、右足が疼いた。

・膝から下がないはずの右足に、感覚があった。

・無いはずの右足があった。

・がばっと、布団から起き上がった。

・時計を見た。

・ちょうど、足を痛めた、3ヶ月前に戻っていた。

・全部夢だった。
 →小石を蹴る所から。

・外に出た。

・日の光が暖かかった。

・小石があった。

・今度は蹴らなかった。

・そのまま会社に行った。

・同僚に夢の話を全て話した。

・笑われた。

・でもうれしかった。

・今までの話が全て夢だったから。

・でも少し寂しかった。

・夢だけど、勇次君にふられたから。

・新しい恋を探そうと思った。

・色んな男の人と付き合った。

・でも、勇次君以上の人とは出会えなかった。

・もどかしかった。

・日常に意味を見出せなかった。

・ぼーっとしていた。

・布団にもぐり寝た。

・ぐーぐー寝た。

・起きて、外に出た。

・ふと地面を見た。

・小石があった。

・思い切り、蹴飛ばしてやった。


#3

それは、48歳年女の朝だった。その日、寝坊した私は息子の弁当のことしか考えず、自分の左手左足が動かないのをなんとも思わなかった。思うように動けず階段を下りることが出来なかった。で、半分ぐらいは転げ落ちた。脳梗塞だった。後で聞くと手術出来ない海馬というところだったそうだ。それは入院して一週間もたたないうちに二回目の発作がきて、話せなくなり、一か月近く意識不明だった。おかげで筋肉がなくなり歩くことができない。手も上げられず、今は老人福祉施設に行っている。もうすぐ一年になろうとしている。この一年で変わったことは、何も出来なかった娘がお嫁に行くことだ。母の姿を見て色々考えたらしい。夫は献身的に看病してくれた。それに答えるには頑張ってリハビリすることだ。前の自分に近づくことだ。それは物凄く大変でも、やるしかない。目下の目標は一人でトイレに行くこと。言葉の方は少しでも話せるから、それしかない。しかし50を前に大変な作業をやるとは思わなかった。これからだ、頑張らねば1


#4

餌と檻

 昔、近所にみんなのおもちゃを取り上げるガキ大将がいた。とにかく何でもかんでも奪い取ってしまうので、一度おもちゃを取り返そうと、彼の家に忍び込んだことがある。
 その時彼の家族はみな留守で、家の中は静まり返っていた。一つ一つ部屋を覗いてみたが、おもちゃはどこにもない。諦めかけたその時、庭から動物の鳴き声がした。
 庭に行くと、古い物置が建っていて、鳴き声はその中から聞こえてくる。扉を開けると、私の物も含めた大量のおもちゃが山積みされており、その奥に豚が鎖でつながれていた。豚の足元には私の電車の模型が落ちていた。拾い上げると、車両が一つ足りなかった。
 豚に目をやると、口元にパンタグラフの欠片がくっついており、歯には血が付いていた。突然恐ろしくなり、慌てて山の中から自分のおもちゃを掴み取り、物置を飛び出した。扉を閉めたとき、扉にマジックで「妹?」と書かれていることに気づいた。


#5

鼻男

その男は極端だった。いや、思想とか所作とかいうのはいたって凡庸である。男の極端というのはその鼻である。顔の下半分を覆うそれは男のことなどお構いなしに執拗な自己顕示を続けている。もはや顔に鼻が付いているというよりは、鼻に顔が付いているといった具合である。男はひどくこの鼻を嫌い、最近そこに疣ができ始めたとあったから、益々その傾向は強くなった。
ある日男は遂に辛抱たまらんと思ったか、火鉢で黙々と熱した鉄鋏で、チョンと鼻先から少しばかりのところを切り落とした。それから、ふと男は落ちている自分の鼻先をひょいと拾い上げた。するとまるでどこぞの悪徳将軍を討ち取ったかの様な快感に飲み込まれ、知れず黄色い歯が溢れるのだった。男は今度、更に大胆にザクザクと切り始めた。
女中は飯の支度ができたので鼻の主人を呼んだ。しかし返事がない。はてと思って主人の部屋の襖を開けてみると絶句した。
男は満面の笑みで絶命していた。享年96歳。大往生であった。


#6

ただいまかんたん増資産法伝授中

今月は資産を手っ取り早く増やす方法を伝授いたそうか

01 中古の輪転機を闇ルートで仕入れ自宅で万札を大量に刷り何食わぬ顔で貯金する
02 隣の客が隣に居る間に居間の金庫を取ってきて中身を抜き取ったら金庫は捨てる
03 通帳のゼロをペンで3つか4つか増やして窓口でこれは絶対に本当だと言い張る
04 愛人契約を100人ぐらいと結んで先払いにして貰い誘われる前にトンズラする
05 3発殴って1万円ですな商売を先払いにして殴ろうとしたらおまわりさんを呼ぶ
06 この育毛剤は駄目なら返金と謳っておき苦情が出たらうぶ毛を発毛だと言い張る
07 近海か深海の金塊をサルベージして三菱マテリアル(株)の窓口に行き換金する
08 国会議員の弱みを握り巨大利権を得た後は脅して尻毛まで抜き最後週刊誌に売る
09 値上がり確実な株に全財産を投入して値上がりMAXの時点で華麗に売り抜ける
10 160kmの直球と七色の変化球があると言って契約した後すぐ引退会見をする
11 学校法人の認可を受け学生を限界まで集めたらなんかうまい事言って全員退学に
12 隣の空き地を法務局で勝手に登記して本当の持ち主が現れても既に自分の土地だ
13 イスラム過激派の所で自爆テロ志願して軍資金を得たらのらりくらり言い逃れる
14 暴走族の集会に行ってパーティー券を売るけど実はパーティーは開かないでおく
15 アマゾン倉庫にうまい事やって忍び込み1スタッフの顔をしてせっせと運び出す
16 ポストに投函された郵便物を回収員が回収前に回収して切手をはがして金券屋に
17 身寄りは無いが財産は有る余命1日の老人の養子になり1日経ったら行ってみる
18 ノーベル賞を取りそうな博士の研究を実は俺が先だと言い張り代わりに受賞する
19 幼子を人質に取り身代金をたんまり回収したら後は相談してなんとか許して貰う
20 丁半博打に参加して死ぬほど勝ちまくり本当に死にそうになったらおまわりさん
21 あの名画ですと言って数億で売ったが実は自分で描いたから原価は1万円ぐらい
22 パンダの移動動物園みたいな話にしてぬいぐるみだけど遠目ならたぶんバレない
23 無免許医で手術代5千万とか貰って実際治せないけどまあ病は気からって言うし
24 大企業だと消費税の端数は切り捨てでそれが年間数億らしいからそれをアレする
25 以上実践で数百億は固いがそれをさらに鉄板レースで倍倍に増やすではバイバイ


#7

ぼくらの東京タワー

 高層ビル群の中を東京タワーがそびえ立つ景色を見られるスポットはそんなに多くない。それならと、直接、東京タワーに行って見上げてしまうと、赤く分厚い鉄筋にしか目がいかなくなる。だから、隣にある芝公園のベンチに座って、視界に全体が収まるくらいが、ちょうど良い。

「戦後は東京タワーと一緒に成長していったようなもんだから、団塊の世代にとってみたら、あれは彼らの精神的シンボルともいえる。ただ、最近はイルミネーションだ、なんだと色気を出してきたから、そう言う意味で、余裕が出て洒落っ気に目覚めた団塊というのも同じだな。なんかこう、今は、東京タワーじゃなくて、”Tokyo tower"って感じだ」
 それからおじさんは、アメリカの陰謀説、地理的な風水の話、軍事兵器説、と東京タワーにまつわる話を色々教えてくれた。
 じゃあ、スカイツリーは? と尋ねると、
「ありゃあ、駄目だ。なんの精神性もない。ただの模倣、焼き直しだ。前と同じようなものを作ればいいだろうってのが伝わってくる。今の若い奴と一緒さ。チャレンジする意気込みみたいなのが感じられない。もっとこう思い切って、でかい門を作るとか、オブジェみたいなものを建てちまえば良かったんだ」
 シャープペンを逆さにしたようなスカイツリーの姿を思い浮かべる。充分、オブジェみたいじゃないか、と心の中で思ったが、言われてみれば確かに、居心地悪そうに独り立っている姿は、なるほど、平成を生きる僕ら若い世代の象徴なのかもしれない。どこか寂しげだ。

 赤い鉄筋の脚を四方に伸ばしながら、皇居を囲む三環状九放射の高速道路と、その隙き間を埋める街並を毎日眺め、車の列が残すテールランプの血液の光が、ちりばめた星のビルの合間を縫う時間になれば、夜空を横切る飛行機を見上げて、その身体をオレンジに灯す。それは宝剣のように荘厳で、焚き火のように神秘的だ。
 ――あれが、日本の経済の狼煙だ。
 やがて、いつの日か東京タワーが取り壊される日がくれば、その時、東京タワーは泣くのだろうか? そのとき、東京の姿はどうなっているのだろう。
 そのことをおじさんに尋ねてみた。
「そんときは東京も、”Tokyo"になってるだろうさ」
 午前零時になって東京タワーの灯りが消えた。しかし、その存在は明りが絶えない街でもくっきりと切り絵のように浮かび上がる。
 隣を向く。――もう、おじさんの姿もそこになかった。


#8

恋愛って

「恋と愛って書くのはなんでなの? 」
って聞いたのは、コンビニでバイトしてたときにつきあってた女子大生のよりみちゃんでした。僕はそのころ四六時中彼女の学生マンションに入り浸っていた。
「恋は始まり続ける、愛は終わり続ける」
彼女は、赤く荒れ気味の手でショーツをつまみ上げながら続けた。
「恋は分かるの、恋は。でも愛ってなに。だって恋が終わったらもう何も残らないよね」
突然もう何年も吸っていないたばこが吸いたくなった。
天井を見つめながら、猛烈にたばこが吸いたくなってきたので大きく息を吸った。
吐いた。
「だから、恋は出会いのメタファーで全ての衝突のポジティブな面を象徴しているんだ。ネガティブな面は殺し合い。愛は全ての存在のメタファーで言うなればそれは慣性のポジティブな面を示している。ネガティブな面を象徴するのが悪魔だ。明も暗も本質的には同じだけど恋と愛は本質的に違う物だ」
あらかじめ言っておくと、次に彼女が言ったのが予想外の言葉でした。
だって彼女は僕の事を読めない難しい文字でできた怪物だと思っていたからです。そのことは今になるとなおさら、とてもはっきりと思い知らされる。
「つまり……母親があたしにとって悪魔みたいだったのも愛だったって事? 」
よりみちゃんはあまり幸せな人ではありませんでした。
懺悔するならば、そのころ僕もそのことに引き寄せられた人間の一人でした。
「そう考えることが何かの解決になるのならば、そう考えるのは悪いことじゃないのかもしれない。でもそれで何かが解決できたからって、それが何もかも解決できる訳じゃないって忘れないで欲しい 」
「つまりね」
と、よりみちゃん。
「結局、あたしは母親に愛されなかったから、愛が分からないんだと思ってたんだ、今」
例えば部屋の扇風機がくるくる回っていたのが目に焼き付いていて、夏のころの記憶だったような気がするんだけどそれが扇風機じゃなくてストーブの上のやかんの蒸気を逃がすための換気扇のファンだった気もするので、季節が思い出せない。だからよりみちゃんの言う今がいつなのか、分からない。
「……それが分かった」
「分かったんだ? 」
「分かったらもう、そうは思わなくなってる……」
僕が大きく息を吸うと。
シガレットケースに赤い指を差し込み、何度断っても全然懲りない彼女がまた言った。
「いる? 」
そんなところが好きだった彼女とは、冬につきあい始めて次の冬に別れた。


#9

リスニング・ルーム

 カランカラン

 硝子のグラスに氷があたる音がしている。

 カランカラン

 涼やかな響きは、僕の手前のクリームソーダから生まれている。もっと正確に言うと、僕の手前に座る彼女の柄の長いスプーンを摘んだ指先がグラスの上をクルクル回って、できた渦に巻き込まれた氷が、グラスに当たって生まれている。

 カラカラカラ

 音がその部屋に満ちているというのは、部屋いっぱいになるほど大きな林檎があるようなものだとどこかの画家が言っていた気がする。
 言っていなかった気もする。
 ともかく、氷の涼し気な音は、彼女のクリームソーダから弾かれ出て、この空間を満たしている。

 カランカランカラカラカラ

 ソーダの綺麗なグリーンと柔らかなバニラアイスのホワイトのコントラスト、さくらんぼの赤がチャームポイントのクリームソーダ。
 長めのショートカットにくるぶしまであるスカートを着た大人っぽい彼女は、たまにこんな子どもっぽいものを好んだりする。
 僕は自分のカップを引き寄せて珈琲をすすりながら、彼女が奏でる音を聞かされていた。

 カランカランカラン

 クリームソーダの透明で鮮やかなグリーンは、バニラアイスの力を借りて、ゆるやかにでも確実にパステルカラーになってゆく。

 カラ…

 前触れなく彼女の指が止まった。
 弾かれ生まれていた音が。
 空間を満たしていた音が。
 急にふっと消えてしまった。
 いや、前触れはあったのだ。あったはずなのだ。
「ごめん」
 彼女の、指先ではなく唇が、奏でた言葉。
 楽し気にすら聞こえていた音の代わりに、空間を一瞬満たしたその言葉を、僕はうんともああとも言えずにただ聞いた。
 その謝罪が、何にたいしてのものなのか。そもそもそれは謝罪を意味しているのか。
 脳が判断するのを少しでも遅らせる為に、僕は彼女のグラスを見つめた。
 どんな小さな音でもいいから。
 どんな少しの間でもいいから。
 この空間を満たして欲しくて。
 すっかり濁った緑色の中で、先ほどの余韻を残しまだ少し回っている氷に、僕は必死で耳を澄ます。


#10

手乗り象の夢

キリンとどちらにしようか、しばらく迷ったけど、象に決めた。
 最初は、キリンにするつもりでいたのだけど、いざ店で、象を目にしたとたんに、迷いが生じてしまったのだった。
 象のその、ボディの淡い桃色と、灰色がかったブルーの瞳から発せられる物憂い感じが絶妙だったから。
 それに比べて、キリンは、屈託なさすぎるような気がした。ボディの黄色も、あまりにもキリンっぽかったし。瞳を覆っている眠たそうなまぶたとカールしているまつ毛は、捨てがたかったけれど。どことなくラクダに似ている顔つきが気に入らなかった。
 てのひらに乗せた時の感触も、象の方が圧倒的によかった。
 象のその、薄っぺらくて透けて見えそうな二つの耳が動くたびに、ごくごく微かに起こる風が手のひらをくすぐる、その感触がたまらなく心地よかった。
 できれば、このままてのひらに載せて、家まで連れて帰りたくなったくらいだ。
 店主にたずねると、なつくまでカゴに入れておいた方が無難だと言われた。そうしないとどこかに飛んでいってしまうかもしれないらしい。
 「飛ぶんですか?」
「もちろん。象なんですから。小さい分だけよけいに」
「なつくまでどのくらいかかるでしょうか?」
「まあ、飼い主との相性にもよりますが、愛情をかけて面倒をみてやると、通常は1週間くらいでなつくと思いますよ。なつくと、自分から喜んでてのひらに乗りたがります」
店主によると、象は、コアラやうさぎに比べると、手がかからないので、お世話するのが楽だということだった。コアラは、驚かせてはいけないし、うさぎは、さみしがらせてはいけないけど、 象の場合は、愛情を持って接してやりさえすれば、多少は、驚かせても、さみしがらせても大丈夫らしい。
 そう言われても、愛情を持って接してやりながら、どうすれば、驚かしたり、さみしがらせたりできるのか? よくわからなかった。

「とうとう象ちゃんも連れて行かれちゃったね。」
「キリンさんとどっちか迷っていたみたいだったね」
「まさかこんなに早く別れが来るなんて」
「今度は、誰の番かな」
「さみしくなるね」

ふいにあの店の象の仲間たちが、象について語り合っている光景が浮かんで来て、やけに感傷的な気分に陥ってしまった。 
 かわいそうなことをしたのだろうか? カゴの隙間から見える象に向かって、心の中で問いかけてみた。象は、我関せずというふうに、ゆっくりと鼻を上下に動かしていた。


#11

面白くはないでしょうが、お聞きになりますか。

 静かな夜でありました。少しばかりの湿りを帯びた雪が、ほつほつと地に落ち続けていた夜でもありました。
 雪の中、広野の上にぽつり残った私の小屋の扉が、とつんと叩かれました。

「どなたか」「おりませんか」「もし」「開けてくださいな」

 途切れ途切れの、か細い女の独声でした。けれど扉越しに生き物が漏らす濃い気配は、決して一つではありませんでした。

 そう、きっと儚げな声の女の後ろには、仲間の男が刃物でも握って舌なめずりしていたのでありましょう。ひきかえ私は盲いた老人、せめてもと杖を握りしめ、小屋の隅で息を小さくしておりました。
 やがて、女の激しい声がびりびりと空気を震わせました。

「いるんだろ、開けなよ、開けなったらこの人でなし」

 私は震えながら耳を塞ぎひたすらジっとしておりました。
 しばらくすると叫び声はすっかり消えて、雪の落ちる音だけが残っておりました。
 私はおそるおそる外に出、そして何やら大きな固まりを踏み、叫びながら転びました。地面に這いつくばったまま震える手でまさぐると、どうやらそれは女の亡骸のようでありました。私はそのとき己の間違いに気がつきました。気配が一つでなかった理由は、死んだ女のせり出した腹がはっきりと物語っていました。
 私は己の愚かさを心底呪いました。これがこの、話の哀れな顛末です。


 ……お客様は、鋭くていらっしゃる。
 そうです。私は端から気づいておりました。女は身重を告げておりました。私はただ、女の出産などという大変なものに関わりたくない、その単純に面倒の気持ちから、居もしない悪党を作り、扉を開けない理由にしたのです。
 冷えた女の腹に触れたとき、腹はどくりと震えました。母より僅かに生き長らえていた赤子が、腹の中で力を振り絞ったもののようでした。
 私の見えぬ目には、悪鬼のように醜く赤い小さな顔がはっきり浮かびました。それは母の仇を討たんとして、ずぐっと腹を突き破り、私の喉笛を噛み千切りました。



 ……ええ、もちろん、それは私の頭が見せた一瞬の幻でございます。赤子は腹からちょっとも出ないまま、静かに萎んで死にました。
 私のしたことは誰も知りません。死んだ女すら私の顔を知りません。私さえ口を閉じていれば、責める者などおりません。
 しかし私はそんな己に耐えられない程には、自分を善人と思っていたようで……いえ、これはただの作り話、寂しい老人の独り言でございます。


#12

盗聴

 日本の法律では、盗聴器の販売・購入は違法ではありません。
 一般に「盗聴器」と呼ばれていますが、基本的には微弱な電波を発信する「送信機」として扱われています。
「盗聴器」からの電波を受信して会話を聞くこと自体は、携帯ラジオからラジオ放送を聞くこととなんら変わりありません。※一参照。
 盗聴により知り得た情報を、第三者に漏らしたり、公表したりすると、電波法第五十九条(秘密の保護)により罰せられますのでご注意願います。※二及び三参照。
「盗聴器」を仕掛ける際に、許可なく他人の住居等に侵入すると、刑法百三十条(住居侵入罪)により罰せられますのでご注意願います。※四参照。

 ※一、電波法第四条(無線局の開設)
 無線局を開設しようとする者は、郵政大臣の免許を受けなければならない。ただし、発射する電波が著しく微弱な無線局で郵政省令で定めるものについてはこの限りではない。

 ※二、電波法第五十九条(秘密の保護)
 何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線通信を傍受してその存在若しくは内容を漏らし、またはこれを窃用してはならない。

 ※三、電波法第百九条(第五十九条の罰則規定)
 無線局の取り扱い中に係る無線通信の秘密を漏らし、または窃用した者は、一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

 ※四、刑法百三十条(住居侵入罪)
 理由なく、他人の住居または人が看守する邸宅、建造物に侵入し、または要求を受けてもその場所から退去しない者は、三年以下の懲役または十万円以下の罰金に処する。

 平日の日向は少しずつわたしの心を穏やかに潤していく。たいして何も変わらない毎日なのに、生きてて良かったなんて思ってもいいかなって少し考える。この時間、この駅に降りる人はまばらで、わたしが降りた地下鉄は扉を閉めると、モーター音を響かせながら地上から地下へとスムースに潜っていった。
 サトシの住むワンルームはこの駅から歩いて一〇分程。現在無職のわたしは、合鍵でサトシのいないサトシのワンルームへ静かに入った。内側から鍵を掛け、大きく一つ深呼吸をする。サトシの匂いがわたしを包み込む。男くさい、サトシの生活臭は決して嫌な匂いではなかった。遠くでクラクションが鳴る。それに反響したわたしの鼓動が、体の内側から外側へと激しく溢れ出す。
 これからわたしは「盗聴器」を仕掛ける。


#13

雪見草子

「島流し?」
「シマエナガだよ」
 画像検索により、パソコンの画面に小鳥の写真が並ぶ。シマエナガ、シマエナガ、シマエナガ。尾の長さに比べて体は小さく丸っこく、真っ白な顔につぶらな瞳。本州にいるエナガとはまるで格が違う可愛さだ。僕はこの小鳥を北海道のシンボルにしてもいいと思うくらい気に入っている。しかし残念ながら、背後からは全然関心の気配がない。

 シマエナガの群れがチルチルと鳴いて、頭上の林冠で戯れる。それを見上げていると首が痛くなる。ゆっくりと吐く息は外気との温度差が五十度もあり、人肌程度なのに沸騰したみたいな湯気をなす。手袋に収まっていても、立ち止まっていれば手はどんどん冷たくなる。シマエナガはもこもこして温かそうだ。そんなとき、僕はふと妹の手を思い出す。

 振り向くと、妹は何かの雑誌を読んでいた。今年で十七になるから、もうお年頃というわけで、兄が振る話題に食いつく暇もないくらい「セイシュン」でもしているのだろう。「セイシュン」とはつまり、毎日毎日が楽しくて仕方がない状態のことだ。ところで僕は「セイシュン」を経験した覚えがないくせに、高校時代に家族と交流した記憶もあまりない。無論勉強した記憶もない。そんな僕に、なぜ妹が「セイシュン」しているのだとわかるのか……別にわかっているわけではない。どうせだったらそうあって欲しいのだと、勝手に思っているだけである。

 小さい頃の妹はシマエナガのようだった。これは安直な喩えだが、しかし可愛らしかったことに変わりはなく、似ているといえば、似ていない事もない。雪にまみれて一緒に遊んでいるうちに、僕の手が凍傷になりかけたことがあって、半べそをかく僕を励ましながら、妹は小さい手で僕のできそこないのゴムみたいな手をさすってくれていたものだ。そのときの妹の顔が、どこか凛々しくて、真剣な様子に僕は余計泣くのを止められなかった。

 暖房の効いた部屋で、妹は黙然と雑誌を読んでいる。シスコンと呼ばれたくはないが、妹は今も可愛らしいほうだと思う。シマエナガの写真を一枚、パソコン画面いっぱいの大きさで表示し、座っている椅子を机正面から少し横にずらして、僕は妹の姿を眺めている。自分から声をかけたら負けのような気がする。でも妹はこちらの視線に気付きもしない。どうにかしてシマエナガの可愛さに目を向けて欲しいと思うのだが、どうやら、この部屋はちょっと暖かすぎるらしい。


#14

留真温泉、忘れ難し。

そろそろ、どこぞで、小説の構想でも練ってみるかー。
まーそんなワケで、北海道の留真温泉に浸かっています。

ここは透明な温泉で、お湯は青みがかっています。
お客は当方ただ一人。


一人ゆらゆら湯に沈み、青い体でアレコレ考えます。
外は雪、ひなびた温泉だけに、邪魔する者は無し…。
なんだか良き構想が浮かびそうで…、アリガタイ!

「お湯戻しの木乃伊物語」とか「つまりアンタの錯覚です」とか…。
湯気に誘われて、かってない小説の構想が、次々と立ち昇ります。

小一時間、機嫌よく構想を練っていると、湯客が一人。

その客人は、どーも夫婦らしく女湯にも人の気配があります。
お湯をかぶったり、カラダを洗っている、らしい音がします。

男湯の御仁はこちらに軽く会釈をして、湯の中へ。

当方も頭を下げてその後は黙然として、あいかわらずのお湯の中。

コチラは、湯の中で、目を瞑って鉛筆持ったつもり、
ときどきメモを書いているつもり…。

青い湯の中で、でシワシワになった指を動かして構想を練り続けます。
もう少しでいい感じのラストシーンが浮かび上がりそうです。

すると、静かになった女湯から、なまめかしい声が…。
「パパァー」

「うーん」
「そっち、誰かいるー?」

「うーん」
声のトーンが下がります。

「……………まーだぁー?」

「…うぅーん」
こんどはトーンが上ります。

「変な人、居なくなったら、云ってねー」

「…ぅう〜ん」

「そしたら、そっち、行くから」

降って湧いたか如く唐突に「変な人」になってしまった私は、

いささか憮然として、湯から上がって、浴室を出るのでした。

この留真温泉には、女湯から男湯に来る潜り戸があるのです。

カラダを拭いて服を着けていると、潜り戸がギィーときしみます。

それから、風呂場で男女の含み声が聞こえます。

ときどき、ナニが可笑しいのか、笑い声が混じります。

外の雪を見て、変な人はクシャミを2つほど。

「ハックション、ハックション」 こりゃ参ったね。

一誉め、二誹り、三惚れ、四風邪…?

えーと、ワタシは、湯の中で、ナニ考えていたんだっけ?


書こうとしていたアイデアは、惜しいことに忘れましたが…、
忘れがたい温泉の思い出が、また一つ出来たのでした。


#15

焚火

焚火


 枯草や枯枝を集めて燃やすと、新しいいのちが沸き上
がる。炎である。
 小鳥たちは炎に狂乱して逃げ惑い、猫は喉を鳴らし、
目を細めて忍び寄って行く。
 火を支配しているのは、一人の老人である。この空地
の所有者であり、PTAの会長を務めてもいる。
 焚火を遠巻きにして、一人の男の子が立っている。 
 老人は寒がっている、その男の子を呼び寄せる。
 男の子は、老人に逆らえないものを感じて寄って行く。
 焚火には、女子供が群がっている。
 男の子は、気後れと気まずさに居た堪れず、足元に蹲
っていた猫に手を出す。
「そこに坐っている坊や、さつま芋焼けたぞ」
 老人は焼芋を新聞紙に包んで、男の子の方に差し出す。
「坊や、遅く来たのに、特別待遇よ」
 女の一人が言う。
「母親が入院したんだ。そんなわけで頼むよ」
 女の誰にともなく、老人はそう言った。
「あら、どこの坊やなの」
「足立さんちの… パパはわけがあって、いない」
 老人は小声で付け加える。
「そうだったの、可哀想にね。坊や焼芋食べたら、
おばさんちへ行こう」
「頼むよ」
 とまた老人が言った。

                了


#16

challenger

挑戦するものは、それなりのリスクも背負っていかなければならない。
そんな事は知っている。でも何故、中学生の挑戦を邪魔するのですか?
新しい事を始めたい。みんなを楽しませたい。誰かを勇気づけたい。
そんな気持ちを持つのは、いけない事ですか?余計な事ですか?
新しい挑戦たちを無駄にするのはいつだって大人たち。くだらない理由でくだらないプライドで。伝統を受け継ぐだけが後者の役目ではない。伝統を作る先駆者には誰だってなれるんだ。なりたいという強い気持ちがあれば。それを邪魔しないで。踏みにじらないで。必死に守ってきたものたちを一瞬で無駄にするのはやめて。仲間の優しさを強さを勇気を馬鹿にするのはやめて。そんな事をするならば、最初から期待をさせないで。ずっとずっとあなたたちの書いたシナリオの上を歩かせていて。あなたたちの望む人格に子供にすればいい。だけどもう止まらない。あなたたちは教えてしまった。外の世界の素晴らしさを。一度味わったらやみつきになって離れられないこの味を。覚悟をしておいてください。私たちの挑戦は終わらない。終わらせない。絶対に。


#17

慕ってくれるひとが好き

 視線をとらえて顔を上げたら、高木くんがわたしをみている。
 わたしは「はてな」と思った。わたしは高木くんと話したこともないから。
「紅野さん、なんの勉強してるの?」
「ん……? 現国。さっきの復習だけど」
 高木くんは生返事をかえしながらわたしの机を覗き込んだ。
 わたしのノートはわたしの文字。先生の話。気に入っているシャーペン、と消しゴム。筆入れ。
「すげ。ノートも字も綺麗だ。俺のとは段違い」
 "俺"はさっきの時間寝ていたけどね。
「ありがと。それで、なに?」
 すると高木くんはきょとん、と意外そうな顔つきをした。
「いや、ゴメン。なんか何書いてるのか気になったから訊いてみただけ。気にしないで」
「ふうん。別にいいよ」
「じゃ」
 彼は前に向き直って、机から文庫本を取りだした。
 わたしも気を取り直してシャーペンをにぎった。
 今度は背後から肩を叩かれた。「またか」と思った。明奈だった。
「どうしたの?」
「こんなものがあります」
 明奈が薄青色の便箋をわたしの眼前でぷらぷら振る。
 ニヤニヤしている。
 薄々と、嫌な予感がして、わたしは受け取らなかった。
「なによ、警戒してるの? なんでもないよ」
 今度はちゃんと差し出されたから受け取った。
「後輩が『紅野センパイにお礼を言いたい』から手紙を書いたって。渡してください、って頼まれたの。ちゃんと渡したわよ」
「え、なにそれ」
「わたしは知らないわよ。また惚れられた?」
「やめてよ。この前も後輩にチョコレートを渡されたんだよ」
 予測通り爆笑する明奈はやっぱりにくたらしい。
 手紙をひらいた。いつか通りがかりに荷物運びを手伝ったことへのお礼だった。
 そんなこと、すっかり忘れていた。
「だからモテるのよ」
「でも、明奈が居あわせたら、やっぱり手伝うでしょう?」
「そりゃね」
「でもわたしだけモテるの」
 わたしにとってはあまり笑えることではないけど。
 けれど手紙は嬉しい。感謝を伝えられることは、あまりないことだ。
 それが文字になっていることも、わたしは嬉しい。
 結局復習は捗らなかった。次の時間は世界史。明奈はたっぷり先生の到着までねばったし。
 そしてわたしの机には教科書とノート、ひらいた手紙。
 なんとなーく、高木くんの一言が思い出された。
 ノートの余白に返信をつくることにした。これは彼には見られない。
 あのこも書き物を隠していたのかな。尋ねてみてもいいかなあ。


#18

記録

 小春日のキャンパスの陽だまりの中で、ベンチに座りながらアイスクリームを食べている留学生がいた。目鼻立ちがはっきりとした幾分の褐色の肌と、長いウェーブの掛かった綺麗な黒髪をしていた。
 寒くないのと訊いてみると、おいしいと言う。冬の寒い空気とバニラアイスが、ペルーから来た彼女の姿を浮かび上がらせていた。
 彼女は別科で一年間日本語を学び、その後東京のアイドル学校に入って歌手になりたいと言う。素朴なまでに元気な彼女に、思わず会話が受け身になった。また、姿に似合わず歴女だと言った。体が死んでも私はみんなのメモリーの中で生き続けるの、と言った。
 どこか旅行は行ったかと訊いてみると、時々行ったけど一人だから詰まらないと言う。一人の旅も気軽でいいじゃないかと訊いてみた。「一人だと自分で自分のしゃしんをとらなくちゃいけない、それはつまらない」と彼女は答えた。
「建物を撮るだけでいいじゃないか、ナルシストだな」
「わたしのかぞくはわたしのすがたを見たいから。それにたてものだけだと、ほんとうに自分がそこにいたか分からないでしょ。インターネットでしゃしんをとれるから」
 同じ被写体でも、撮り方、構図、色、諸々に撮り手の個性が表れる。ネットで写真を取ってきても自分の写真じゃないことはすぐに分かるよと言いそうになった。そこの考えが僕とは違うなと思った。
 後日、二人で大阪へ行く約束をした。JRに一時間半揺られて大阪駅に着いた。大阪といってもどこへ行けばいいのか分からなくて、無駄に歩いて取りあえず大阪城へと向かった。
 地図も持ってきていなかった僕だけど、大学生になる前にネットオークションで買った一眼レフと35mmの単焦点レンズを首からぶら下げていた。府庁の向こうに現れた大阪城は、白と黒と金色が印象的な城だった。彼女は大阪城を前にそのカメラで私を撮ってと言うけれど、フイルムだと言ったらいいと断られた。代わりに彼女のブラックベリーを手渡されてそれで写真を撮った。城の前まで来たけれど、城へは入場料を取られることになんとなく入らず仕舞で、手前の公園で休むだけとなった。
 一枚だけ彼女が知らぬ中、冬のベンチでアイスを食べる歴女の彼女と白と黒と金色が印象的な大阪城を一緒に写真を撮った。後日セピア調に現像すると、思った通りのいい写真が出来上がった。
 僕はフイルムならいいと言った彼女には渡さず、自分だけの思い出とした。


#19

mm

(この作品は削除されました)


#20

内地のイメージ

 トンネルを抜けると、北海道だった。車窓から見える山の木々の姿がはっきりと違っている。
 函館駅で快速海峡から降りて、急行ニセコに乗り換えた。寒々しい鉛色の空の下、客車を引くC62蒸気機関車がとても頼もしく見える。(注1)
 汽車に揺られて居眠りをしているうちに札幌駅に着いたので慌てて降りる。
 駅前には広々とした雪景色が広がっていた。周囲にはベニヤとトタンで作られた小屋がぽつりぽつりと存在しており、それらを圧倒するかのように時計台がそびえたっている。(注2)
 駅前で待ち合わせの約束なので、立ったまま行き交う人や馬車を眺めた。(注3)
 さすが北海道だけあって人々の半分くらいは民族衣装を着たアイヌ人だ。(注4)
 そう時間も経たずに大きな馬車が目の前に止まった。御者台に座っている毛皮帽を被った男が言う。
「内地から来た猟師ってのは、あんたかい?」
 そうだとうなずくと、男は馬車の中へと招いてくれた。そこにはすでに三人の先客がおり、みな銃を持っている。
「今ちょうど腕利きが知床行ってるから、応援は助かるわァ。昼飯は食ったか?」
 聞かれてまだだと首を横に振ると、男は「したっけさっそく札幌名物食ってくれや」と、保温鍋の中からスープカレーを出し、皿に盛りつけて出してくれた。(注5)
 それに口をつけていると、別の男が深刻そうな声で言う。
「まさかこの時期に穴持たずの熊が出るとは思っとらんかったべ」
「おとついは中央図書館にでたそうだ。早くなんとかせにゃ、子供たちが危ないべ」(注6)
 男たちはそう言って、決意の表情でうなずきあう。それから一転して微笑みを浮かべ、こちらに視線を移して聞いてきた。
「こっちきてどうさァ? 内地の人には想像以上だったべ?」
 いいえ、だいたいイメージ通りですよ。(注7)



注1:北海道民は電車のことを汽車と呼びますが本当に蒸気機関車というわけではないです
注2:札幌駅周辺はビルが立ち並んでいて時計台はそれに隠れています。がっかり名所です
注3:札幌中心部で馬車を見かけますが観光用です。まだ使っているわけじゃないんです
注4:アイヌ人割合は数%くらいですし、民族衣装は普段は着ていません
注5:スープカレーは札幌名物として売り出されていますが、札幌人はそれほど食べません
注6:中央図書館の近くにヒグマが出たのは本当です。中心部でも山が近いので……
注7:すべて内地の人から実際に言われたことです


#21

小森中将の死

「事変とは何?」
「つまり事変とは、フワフワとした悪夢。事件とも戦争とも言い難い何か」
 オリーブ色の軍服を着た若い女は、時折足を組み直しながら僕に質問を続けた。
「つまり私が知りたいのは君と戦う意味よ。なぜ君は事変を始めなければならなかったのか?」
 僕たちはまるで古い戦友のように向かい合ったソファに埋もれていた。事変の停戦交渉だった。
「僕たちが戦うことをやめれば世界は終わります。自転車は漕ぎ続けることでようやく倒れずにいられるのです」
 この若い女将校は事変を終わらせるために僕を殺そうと考えている。停戦交渉など口実に過ぎないのだ。
「ところで小森中将はおいくつですか?」
「17よ。みんな大抵20歳で死んでしまう」
 僕は右手の力を抜き、ソファに隠して置いたピストルの感触を確かめていた。
「つまりそれは放射能の影響ですか?」
「さあね。我々はただ事実を受け入れるだけ」
 部屋の古時計は、ただ古い約束を守るために振り子を揺らし続けている。
「君は17歳の頃、何を考えていた?」
 僕は17歳の頃、死ぬ日を決めてカレンダーにこっそりと印をつけていた。
「死ぬ日を決めるとすべてが無意味に思えてくるのです。朝起きて歯を磨いたり、教室でノートを取ったり。僕はこんな場所で何をやっているんだろうってね」
 僕が言い終わると彼女はピストルを抜いた。そして同じタイミングで僕も引き金に指を掛けていた。
「それが事変を始めた理由なの?」
 僕たちは腕を水平に上げ、お互いの眉間に銃口を向けた。
「いいえ、若い頃の話です。どうぞ僕を殺して下さい。この事変を終わらせたいのでしょ」
 17歳の小森中将は、ピストルの銃口をふいに自分のこめかみに当てた。
「私、雪の日に生まれたのよ。だから名前は雪子だってさ。小さな森に棲む、雪の女の子」
 彼女は森へ帰るべきだった。
 銃声が部屋に響いた後、僕は自分の足をピストルで撃った。

 やがて事変は速度を失い、僕は無条件降伏に応じた。戦後は軍事裁判の法廷に立たされ、今は裁判所と拘置所を行き来する日々を送っている。
 僕は小森中将の墓前に線香を手向けさせて欲しいと頼みこんだが、当局の担当官をしているという、まだ12歳の女の子から冷たく拒否されてしまった。
「ねえ囚人さん」とその担当官は、死んだ鳥を腕に抱きしめながら僕に話し掛ける。
「この子ね、名前をつける前に死んじゃったの。もう愛することもできないの」


編集: 短編