第125期 #19

mm

 鈴なりの情緒不安定。厄介だ。
 休日の昼間、入浴して着替えて街に出た。一目散に九階建の大型書店。鞄からプラスチック三十cm定規を取りだす。本の背表紙に目盛をあてる。計った。
 舌の上で言葉を転がす。
「十二mm」
 息を呑む。
 岩波新書の「日本の仏教」の厚みは十二mm。冬の日溜程度の安堵感。大丈夫だ。構うな。私よ、これで君はこの本を征服した。
 昨晩私は思いついた。知識のない自分に対して不安をこじらせた私は、それならば本の厚みを計測してやればいいと思い立った。そうすれば私はその書物の重厚を捕獲しうる。精読に何カ月も費やす長大な文学も高遠な哲学書も塵紙の燃える速度で腑に落ちる。
 僅かの間に私は次々と世界的名著をmmに換算した。この足取なら私の生まれ育った秩父山系の山々を合算した長さにも、すぐ追いつく。完膚なきまでのこそばゆさ。賢者は世を避き本のマウンテンへ。短句さえ閃く。その時だった。

「何を言っているか分からないかも知れないが自分でも何を言っているか分からない」
 私は書店を出て喫茶店にいた。目の前には友人と、その連れの女性がいる。私が先程何をしていたかを話し、それに対して自分がどう思ったかを話した。
 計測の現場を友人に見つかり、不審に思われこうして茶を飲んでいる。
 友人が言った。
「心の病院に行け」
 私は答えた。
「そうだな」
 女が言った。
「いい発想だと思ったけど」
 私と友人は目を見合わせた。
 女は友人の知り合いらしい。
 私は女の胸を見つめた。彼女の乳暈は一体何mmだ? 私は騙された。

 庭木の枝先に女性物のパンツが引っかかっていた。
 私は言った。
「何故パンツが」
 彼女が言った。
「でもお前の命だろ」
 彼女の悪戯だった。私を全裸にさせて木昇りをさせ、下着を取らせる。しかもその最中ずっと勃起状態でなければならず、萎えればやり直し。
 彼女は性的倒錯者だった。定規の件の三ヶ月後には私と彼女は所帯を持っていた。
「mmで進む理解もある」
 その一言で私は彼女に掌握された。不安で仕方なかった私が彼女の罠に嵌ったのは、当然だったのかもしれない。
 狡賢さから生まれてちみもうりょう同然の彼女は、夕食後の一服時、まどろむように悪だくむ。
 今晩はお尻を叩かれるらしい。思い出のプラスチックの定規で。
 尊厳を粉々にされた私は、自分を忘れ去れて幸せだった。絶望は希望を忘却させてくれるゆえ、ちょっとばかり魅力的だ。



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