第124期 #9

鬼は外

 ぼくの家には鬼がいる。鬼はいつもぼくをなぐる。蹴ってくることもある。
 ママは鬼になぐられて顔をはらしているぼくに驚くと、いつも優しくなでてくれる。
 鬼は優しいママの前ではいつも姿をみせなかった。だからぼくはそれが鬼だとは思っていなかったし、そのことをママにいうこともなかった。
 それが鬼だと知ったのは、二月三日の節分のときだ。
 学校で、先生がみんなに言った。どこの家にも鬼がいて、今日はその鬼を退治する日だって。
 あれは鬼だったんだ。ぼくはそう確信した。
 先生は、鬼を退治するためには豆をぶつけるのがいいといった。
 ぼくは先生が配った豆の入った袋を握りしめて、それで家にいる鬼をやっつけようときめた。

 家に帰るとママは家にいて、テレビを見ていた。 
 ぼくは袋に入っていた豆を取り出し、その背中にぶつけて鬼を退治しようと、手を振りあげた。
 鬼はママに化けているんだ。優しいママにとり憑いているんだ。
 鬼はそと。
 鬼はでていってしまえばいい。
 そして、ぼくに優しいママを返して。
「あら、こうちゃん。帰ってたの?」
 だけどママが振りむき、ぼくはその手をとめてしまった。
 今日は優しいママだった。その目に、顔に、表情に、どこにも鬼はいなかった。
 でも鬼はきっとママの中にひそんでいる。油断したところに、ぼくをいじめにくるんだ。
 今のうちに。ママがぼくに笑いかけているうちに。
 この豆が当たれば鬼は出ていって、ママは鬼を退治したぼくを、きっと抱きしめてくれるんだ。
 だけどそのとき、どうしてだかおそろしい考えが、ぼくの頭をよぎった。
 ――もし。もしも。
 ちがったらどうしよう?
 この手をふりさげて、それでもなにも変わらなかったら。
 ぼくは思いっきり頭をふって、その考えをふりきった。
 出ていってしまえばいい。 
 ぼくがママを信じられなくなる心なんか。
 鬼とともに、きえてしまえばいい。
 なのにぼくの手は、どうしても動かなかった。
 目の前にいるママが、小さく首をかしげた。
「なあに、宏太。どうして泣いてるの?」
 ぽたり。
 つよく握りしめていたと思っていた手から、豆がこぼれ落ちた。
 ぱらぱらと、落ちていく音が、ぼくの耳にとどく。
 だけどそのときいっしょに落ちたものが、なんだったのか。
 もうぼくにはわからなかった。
 ねえママ、鬼はどこにいるのかな。



Copyright © 2013 澄子 / 編集: 短編