第124期 #16

ベンチ

 ――文中の★印は、無視して読み進んでください――

 時は昭和から、平成の代へ移り変わる頃。場所は京都・洛北の紫野の一角である。某大学の若いA講師は、バス停でバス待ちに退屈をしていた。ところが、急に(おや★!)と目を見張った。
今どき珍しく着物を着た男性の老人が、杖を突いてよぼよぼと、近くの公園に現★れて来★た。一見、九十歳前後。体は大柄だが、ややガニ股で、少ない総髪風の白髪を秋風になびかせ、今にも倒れそうな格好で前かがみにや★って来る。
一向に進まぬ足を運びながら、老人は何やらぶつぶつと口の中でつぶやいている。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と唱えているのだろうか。ここは一休禅師で有名な大覚寺にも程近い。元は出家か、悟りを開いた人なのかもしれない。が、★そろそろお迎えも近い人では?
老人の歩みは超スローペースだ。杖を頼りに、左右の足を交互に引きずり、少しずつ公園の落葉を移動させているような歩き方である。一体、どこへ行★くのか。目的地はまだなのか。見ているだけでももどかしく思われた。
老人が、公園★の一隅に置かれたベンチの方へ向かう。休憩をしようとするのか、そ★こには放置状態の、古い木製のベンチがあった。だが、まだかまだかと見ていても、なかなかベンチまでたどりつけない★。
腐りかけたベンチだ。付近には、雑草も★生き生きと繁茂している。しびれが切れる程の時間が経過し、やっと到着した。老人は早速、そのベンチにどっかりと腰を下ろした。途端に、大きな音と共に、一気にベンチが壊れた。尻もちをついた老人は、仰向けに倒れた。
二度と立ち上がれないかと見えた老人のどこに、そんな力が★蓄えられていたのか、彼は杖を頼りに立ち上がった。見事に立ち上がっただけではない。意外や、年齢に似合わず、壊れたベンチを蹴ろうとしたではないか。これは体のバランスを崩して失敗したが、続いて彼は手にしている杖を振り上げた。と見ている間に、腐ったベンチを思いっきり叩きつけた。同時に、大きな怒鳴り声を発した。
バス待ちのA講師は、その言葉を聞いてたいへん驚いた。一瞬、耳を疑ったのである。

〔作者注=ここで問題です。この老人は何と言ったのでしょうか? 当ててみてください。正解は、本文の終わりから初めへ、★印の次の字(計11文字)を拾い読みしていただければ分かります〕



Copyright © 2013 那賀川和雄 / 編集: 短編