第124期 #15
ストーブがぴーぴーと耳障りな音を立てた。灯油が切れたらしい。
「あたし入れるよ」
妹の千代子がテレビに釘付けのままで言う。岩場で犯人が自らの罪を告白しているところだった。「まあええわ。炬燵入っとればそんな寒ないし」と言うと、そうねえ、と気のない返事をする。
犯人が逮捕されて後日談が語られ、役者の名前が映される。千代子は欠伸をひとつしてから肩を抱えて震えた。
「やっぱり寒いわ。入れてくる」
俺は冷めた茶に口をつけながら、立ち上がる千代子のうなじを眺めていた。灯油缶を片手に玄関へ向かう。「溢れさすなよ」声をかけると彼女は笑った。「子供やないんやから」
千代子は実の妹ではない。母の従姉妹の義理の娘だと、先日聞かされたばかりだった。
叫び声に居間を飛び出る。鼻をつく異臭。三和土が灯油まみれだった。だから言ったろ、俺は玄関のドアを開ける。夕暮れ時の冷たい風が吹きこむ。灯油はドアの下の隙間から外に染み出し、光を反射して虹色に輝いていた。
「流しちまおう」
洗面器で水を汲んできてぶちまける。虹色が押し流され階段を下っていく。切り立った崖のような下り階段の先は、波しぶきを上げる海に飲みこまれている。夕日のせいか海は血のように赤黒く見えた。すると下っていく水も千代子の溢れさせた灯油もだんだん赤みを帯び、俺は自分が何を洗い流したのかわからなくなった。
しばらく二人で茫然と外を眺めていたが、千代子がくしゃみをしたのでドアを閉めた。
ストーブをつけて炬燵に潜りこむ。蜜柑を剥きながら「二人とも遅いな」と呟く。すると千代子は「二人て誰」と怪訝そうな顔をした。
「誰て、父さん母さん」
途端に千代子の顔が引き攣った。視線を落とし、そうねと小さく答える。
どうしたん、と言いかけて俺は目を見張った。彼女の不安げな横顔が一人の女のそれに変貌していた。短かった髪が伸び、瞳は艶っぽい憂いを宿している。柔らかく美しい体の線。やがて目元や口元に皺が刻まれ、頭に白髪がまじり始めた。背が曲がり、瞳が白く濁っていく。
「千代子」
喉から出た声はひどくしわがれていた。蜜柑の皮を剥きかけた指が、丸めた紙のようにくしゃくしゃだった。
千代子が顔を上げ、心配そうにこちらを覗きこむ。
「たか兄」
その顔は元通り十二の妹だった。
「指、どうかした?」
「なんもない」
変なの、と千代子は少し笑った。部屋が暖まってきても俺の震えは止まなかった。