第123期 #6

唐揚げ

 彼女はお昼の唐揚げを僕の前に差し出した。
「まずいのか?」
 意図が分からず、僕はつっけんどんな言い方になってしまう。
「ううん、多過ぎ」
 彼女のお昼はおにぎり二個と唐揚げのパックだった。
 僕は透明パックに入った唐揚げをありがとうとも言わずにほおばった。可もなく不可もなくといった味がした。アブラが染み過ぎているのはいたしかたないだろう。
 減らすなら炭水化物かも知れなかったが、昨今のダイエットブームに流された意見のようで、何となく言い出しにくい僕に会話の糸口は見つからなかった。
「まずいのか?」
 彼女は僕を覗き込むような仕草で言い放った。
「まずくないと思う……」
 本当はこんなんじゃない。ありがとうとか、うまいとか、笑顔とかあるはずじゃないか。同じクラスなんだからもっとしゃべりたいんだよ。なにやってんだろう僕は。と、僕は僕を客観視して一人芝居を興じる準備をする。
「ほい」
 彼女は唐揚げの入ったパックをさらに僕の前へ突き出した。僕は無言のままで唐揚げをもうひとつほおばった。

「まじで?」
「ううん、何でもないから」
「とも子ってそんなん趣味だったっけ」
「ほっとけっつーの」
 自慰に似た僕の一瞬の高揚のあとも見ずに、彼女は何事もなかったかのように女友達との会話へ自然と流れていった。
 彼女とは席が前後であって、それ程長くはない彼女の髪からときどき流れてくる石けんの香りは気になっていた。この香りを嗅ぐと僕は、石けんに小型の洋式ナイフを刺したイメージを想像した。想像は一瞬で消える。このイメージに何のメッセージがあるのかは分からなかったが、映像がなくなったあと、僕は決まって股間がしびれて下腹に力を入れた。

 屋外に面した窓の外は雨だった。屋外といっても隣のビルの外壁が景色を遮り、見えるのは灰色のコンクリート壁のみだった。その壁に雨の筋が音もなく染み込んで、濃い灰色と薄い灰色の層を形作っていた。とても無秩序な灰色の層だったが見ようによっては髪の長い女の横顔にも見えた。
 一番後ろの開け放たれた窓からは押し殺された空気さえも入ってこない。立方体に充満した空気の固まりは行き場をなくして豆腐のようにプルンとしている。

 空の見えない教室はごったな匂いに包まれたまま、お昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。
 雨。体育祭中止。午後からは通常授業。



Copyright © 2012 岩西 健治 / 編集: 短編