第122期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 確信 乃夢 801
2 始まり 藤舟 988
3 とある冬の日、とあるBARで あべちんすこう 985
4 願い 澄子 998
5 穴に落ちた男 霧野楢人 1000
6 別れの季節に 愛波 908
7 男たちは暇があると空地に集まってキャッチ・ボールをする なゆら 208
8 審判 岩西 健治 958
9 ホット、ひとつ 末真 841
10 当選ハガキと特典 285
11 世界崩壊日和 だりぶん 994
12 イン・ザ・タッパー qbc 1000
13 地面の無い僕達は達観する 豆一目 997
14 エヌ氏の陰謀 yasu 474
15 大切なキモチ わがまま娘 663
16 祈りの場所 白熊 1000
17 夜とショッピングモール こるく 1000
18 僕らはみんな生きている 朝飯抜太郎 997
19 『すごいものを書いてきよる』 吉川楡井 1000
20 スナヲ 1000
21 B100complex 金武宗基 384
22 ゆべしとねこ キリハラ 997

#1

確信

例えば幼い頃の何気ない記憶ってあるだろう。その中に仲の良かった小さな友人の姿が俺にはある。
そしてその記憶は周りの誰にも残っていない。
その消えた友人はタカシって名前でいつも俺と二人きりで遊んでいたのを覚えてる。それなら周りの誰も覚えてないのも仕方のないことかもしれないが…。
残念なことに俺の記憶以外に彼がいたという証拠がない。だから俺は昔俺の住んでいた田舎を訪れてみた。そこで見つけたのが、ボロボロの仏壇の中で笑ってる、一人の少年。
それは紛れもなく俺の顔だった。
おかしい、いやおかしい、と蹲り頭を抱える俺の横に人の気配。顔を上げると見覚えのある男の子がいた。
「凄いね、ここまできたんだ」
男の子は、笑う。声も聞いたことのある…、
「タカシ?タカシなのか、これは一体…」
「見たまんまだよ、君が死んでいて、僕がそのまま。少し難しいけど、一つ一つをよく考えて繋げていけば解けるパズルさ」
男の子は続ける。
「君は死んだ。遠い昔、僕とおんなじ歳の日に。でも君の意思はそのまま君の世界の中でのみ在り続けたんだ。
今まで生きてきてさ、おかしいところはなかったかい?人を遠くに感じたり、自分がこの場にいるって実感がなかったり、声が届かなかったりすることがあっただろう。
この世界は君の考え得る範囲でしか存在しないんだ、それがどうだい。君は自分の力で真実に辿り着いた」
「いや、やはりおかしい」
「おかしいところなんか一つもないさ。じゃあね、僕の話が本当になるコトバ、教えてあげる。
どうして僕が子供の姿でいるのか不思議に思わなかったかい?それはね、僕が君に作り出された存在だからこそ。君が僕の未来の姿を想像できないからこの姿なんだ。
どうして僕が君の名を呼ばないか不思議に思わなかったかい?それはね、君が作り出した存在は君の思う範囲でしか動けないから、僕は君の名を知らないんだ」

「君は自分の名を、覚えてる?」

思い出せば目も開けない水の中。


#2

始まり

黒ヤギさんは恋をしていた。相手は白ヤギさん。
白ヤギさんの住まいは黒ヤギさんの住む丘陵地帯から川を2本超えて沼地をわたり更に峠を越えた牧草地帯。
なぜ、そんなに離れたところに住んでいるのかって、中世のヨーロッパ人はあらゆるところで馬鹿みたいにヤギを放牧していたのだ。
ヤギはもちろん草を食い木の葉を食うが、突き出た前歯で根こそぎ喰いつくしてしまうから、彼らが放牧された森は滅ぼされ、後には短い草しか生えない荒れ果てた土地しか残らない。
とうぜん、家を建てる木も無くなるし、たくさんのヤギたちを飼うのも難しくなってくる。
そうなると方法はいくつかしかないし、この時代は大体一つしか選ばれなかった。
あるディアスポラの家族は生活が苦しくなったので、もといた村を離れて新しい開拓地の丘陵地帯に向かうことにした。
親戚と一緒に所有していた家畜の群れを分けてもらい、出発した群れに黒ヤギさんはいた。
哀れな白ヤギさんが追い立てられて飛び出そうとする直前に柵は閉じられた。
けちな親戚が哀れな家族に群れを分けたくないと柵を早めに閉じたのだ。


長い長い苦しい旅の果てに辿り着いた丘の上で黒ヤギさんは白ヤギさんを想う。
どうしてあの頃自分は白ヤギさんと戯れて遊ぶばかりで、心の底で確かに芽生えていた感情からかたくなに目をそらし続けて居たのか。
四本の足が地面を踏みしめているのと同じくらいわかりきった事だったのに。
黒ヤギは思った。
僕は成長によって失う物を恐れていた。でもいくら恐れていてもそれはやって来たし、むしろ恐怖それ自体のせいで、得るはずだった物も何もかも失ったのだ。
黒ヤギさんは間違っていた。俺に言わせれば黒ヤギさんは恐怖に破れたとかではなく、ただタイミングが悪かったのだ。

黒ヤギさんは後悔しながら、あふれ出さんばかりの気持ちのやり場もなく、もうどうしようもなくなって白ヤギさんに手紙を書いた。
それは恋文だったが、さわやかな恋の思いを綴る文面はだんだん執着と怨念と妄執に満ちていった。
どうせ届けられないに決まっているのだからと黒ヤギはいっそう好き勝ってに書いた。

流しのポストマンが黒ヤギさんのもとにやって来て手紙を届けてやろうと言った。
もう諦めてやけっぱちになった黒ヤギさんは前足で手紙を蹴ってよこした。

白ヤギさんちに手紙が届いた。白ヤギさんは読まずに食べた。
黒ヤギさんに「おいしかったです」と返事を書いた。


#3

とある冬の日、とあるBARで

記憶は薄れゆくもの。だが、時としてそれが一瞬にして蘇ることもある。

粉雪舞う1月のある日。友人と合流した僕は、コートの襟を立て足早にとあるBarへと向かった。このBarへ行くのは半年ぶりだ。
『確か酒がうまかったよな?』
『あぁ、確かにそうだった。』
おぼろげな記憶を辿って、僕はそう答えた。
そして店に到着すると、一人の店員が僕らを出迎えた。


『いらっちゃいまちぇ』


ーーーーーお、思い出したぞ!


寄せては返してく波の様に、僕の記憶が鮮明に蘇った。

『2名ちゃまでちゅか?』
『キャウンチャーかチェーブルかどちらにいたしまちゅか?』
『キョートをおあじゅかりいたしまちゅ。』


想像を絶する滑舌の悪さと、印象的なアゴ。コードネーム、店員アゴ。
コートを預けてテーブル席に座るまでの数分間で既に、僕らの腹筋は限界に達していた。しかし、ここは雰囲気あるBar。真摯に振る舞わなければならない。
落ち着きを取り戻した僕らは、久々の再会に乾杯をし、気分良くアルコールを体内に流し込む。
が、しかし…


『お飲みものなんにいたしまちゅか?』


またもや奴がやって来てしまった。


『スモークサーモン。それと、シャンディーガフを2つ。』

『かちこまりまちた。チュモークチャーモン、チャイニーズパブでちゅね?』

『…え?あ、はい。え??』


もはや滑舌だけの問題ではない。まさかのチャイニーズパブだ。
それからというもの、アゴの発言が気になって気になって、僕らは客とアゴの会話を聞き続けた。

『俺、実家がうにゃぎ屋なんでちゅよ。』
『血液ぎゃたでちゅか?ビェーぎゃたでちゅ。』


…も、もうわからねぇよ。

アゴのクオリティーに完敗した僕らは、痙攣している腹筋を押さえながら、エレベーターへ逃げ込んだ。そしてその中で反省会が始まる。

『なんだったんだよ、この店。』
『何言ってるかわからなかったな。』
『アゴと客との会話聞いてた?』
『聞いてたよ。ほぼ聞き取れなかったけどな。』
『好きな芸能人だけ、ちゃんと発音出来てたな。』
『アゴ向きな発音だもんな。きゃりーぱみゅぱみゅ。』

エレベーターを降りると、雪は止み、冷たくも清んだ空気が流れていた。


人は何かを1つ覚える度に、何かを1つ忘れてゆく。再びここに来る時、僕らは今日の出来事をどれだけ覚えているだろうか。

しかし、忘れてしまったとしても、すぐに記憶は舞い戻る。彼が放つ、魔法の言葉で。






『いらっちゃいまちぇ。』


#4

願い

 朝、目覚めると兄がいなかった。珍しく出掛けているのかと思ったが、台所で朝食を作っていた母に聞くと、あんたは一人っ子でしょ、と呆れたように返された。思いがけない言葉に、思わず私は母の顔を凝視した。確かに昨日まで、朝になればこの食卓にはいつも「兄」がいた。
 兄はもう三十後半だったが、無職だった。四流大学を卒業して、一度は就職をしたがすぐに辞め、しばらくフリーターをしていたがバイトも続かず、いつしか家にずっと引きこもるようになった。ずっとネットゲームをしているらしく、昨日の夜も、部屋にこもってパソコンに向かっていたはずだった。
 私は階段を上がり、自分の部屋の隣のドアを見た。ここは本来ならば、兄の部屋だ。いつも鍵が厳重に掛けられていて、もう何年も足を踏み入れたことはなかった。
 少しの躊躇のあと、ドアノブを掴んだ。いつも固く閉ざされていたそれは呆気なく開き、また当然のように、目の前には父の書斎が広がっていた。
 その後起きてきた父を問い詰めても、母と同じような反応をした。つまり本当に、「私には元々兄がいない」ということになっているらしかった。
 その後家族三人となった私たちは、何の違和感もなく変わらない日常を過ごした。それを不思議に思うこともなくなり、むしろ私はその環境の変化を喜んでさえいた。
 私はいい年になっても働かず、寄生虫のように家にいて、逃げてばかりの兄が大嫌いだった。だから心の中でいつも消えて欲しいと思っていて、いつしかこの現象は、そんな私の願いを誰かが叶えてくれたのだ、とすら思うようになった
 私の関心が薄れると同時に、兄に関する記憶というもののも消えつつあった。例えば兄の服装がどんなものであったか、どんな声だったか、そしてどんな顔であったのかも、もうほとんど思い出せなくなっていた。
 だけど何故か、あるときの兄の背中だけが、いつまでも私の記憶に残り続けた。
 あれは兄が消える一週間前の夜中のことだ。私は不意に喉の渇きに目を覚まし、水を飲もうと一階に降りた。すると兄が一人で台所で酒を飲んでいて、私は入るタイミングを逃し、入口で立ちすくんだ。どうしても喉が渇いていたので、入ろうかどうしようかと悩んでいたときに、兄が何かを呟いたのが耳に入った。確かにはっきりと、兄はこう言った。
「消えたい」と。
 果たして私と兄の、どちらの願いが叶えられたのだろうかと、私はふと疑問に思った。


#5

穴に落ちた男

 昨晩の雲が去るのは早く、放射冷却も長かったのだろう。水たまりに映し出された空は色が薄まって、感情のない金属のように広がっている。その冷たさは確かめるまでもなく、水の沁みやすい夏用のスニーカーを履いていた僕は距離的な余裕を残して幾つものそれらを飛び越えていく。
 アスファルトは濡れた色をしていて、朝日にキラキラと光って見せている。アスファルト自体は黒くて、それ自体が光っているのではないはずだ、と思うと、その様子は止まった時間を連想させた。錆びた排水溝の柵も、枯れたコスモスも、対岸の歩道を歩く無表情なサラリーマンも、過去を集積した結果を示したまま「現在」に固定された標本であるかのようだった。しかしその標本一つ一つにはさまざまな経緯が内包されていて、現在においては無意味であっても、ある者に対してならそれはまだ大きな意味を示すのかもしれない。
 ヨシノは今日も講堂に来ていた。彼女と同じ講義を受けるのは一年ぶりだった。栗色にウェーブした髪の毛を僕は遠くから見下ろしながら座っている。教授の声は遠い。それよりは近かった先週の出来事。あの教授に質問するべく講演台の前にできた列に加わった僕は、ふと前に立っているのがヨシノであることに気が付いた。彼女は耳を露出させるのが好きだった。その耳たぶに、僕は二年前ピアスをあけさせたのだった。その姿は今も僕の過去の中で微笑み続けている。春になったらタンポポのピアスを与え、夏にはシンプルなリング状のピアス。夏は服を脱がせてもピアスはつけさせる。秋は小さいけれど鮮やかな色をした飾りが彼女には似合う。これからの冬は金属部分が冷たくなるけれど、時々はダイヤみたいな石のついたピアスをつけてほしい。
 過去の事実として僕が与えたピアスがどんなものであったかはもうあまり覚えていない。しかし懐かしんで思い出そうとする間もなく、僕はヨシノの耳たぶの穴が、殆ど塞がっていることを意識しないわけにはいかなかった。スレンダーで背が高い彼女の耳たぶは僕の目の前にあった。僕は過去のヨシノと、現在のヨシノがもう別人であることを知った。
 講義は続き、その声は近くなる。群衆はどこかぼやけていて、改めて観察するととてもくだらない気分になる。視線を外して、僕は隣のヨシノにそっと微笑みかけた。スレンダーで、愛らしい横顔だった。僕はヨシノをとても好いている。彼女の耳たぶにはピアスが光っている。


#6

別れの季節に

「さようなら時藤君、私けっこう好きだったんだよ?どうしてもうちょっと話しかけてくれなかったかなぁ」
微笑みながら彼女はいった。ごめんな何も出来ない僕で。―もう体も動かせないようだ。
「よぉ時藤、お前なんでこの前遊びいく約束ドタキャンしたんだよ、突っ込みがいなくて締りが悪かったんだからな!今度はちゃんと来いよ、じゃあな。」
いつものように右手を額の高さまであげてニカッと笑って彼はいった。お前みたいな物好きも居たもんだな、こんな僕を必要としてくれたなんて。お前のおかげで高校生活が少し光を帯びたよ。―目の前は暗く淀んでいく
「全く、ときとー君はそれでも男子委員長なの?仕事、君の分まで頑張ったんだからね?どうしてそんなに休むのよ。本当にもう…。今度サボったらもう手伝ってあげないんだから!じゃあね、バイバイ。」
切なげな目を静かに閉じて彼女はいった―とっても優しそうに。いつもと同じで、最後の最後まで叱られちゃったな、ありがとう委員長。―重かった体が段々と浮遊感を感じるようになる、そろそろか。
「おい時藤!おれようやく全国大会出れるようになったんだからな!もうお前には負けないぜ!今度俺の試合見に来いよ、ぶっちぎる所見せてやっからさ。じゃあまたな!」
元気良く腕まで振りながら彼はいった。やる気がある奴が最後には勝つのさ、お前はたいしたやつだったよ。ありがとう、あとごめんお前の試合見にいけないや。―暗かった周りが段々光に照らされていく、暖かい。
「時藤!」「時藤君!」「時とーう」「ときとー」「時藤ちゃん!」「とっきー」「おーい!」「ときとう!」「ときとう」「トキトウ」「トキトー」「トキトウ」時藤時藤時藤時藤ときとうときとうときとうトキトウトキトウトキトウトキトウトキトートキトートキトートキトートキトートキトウトキトウトキトートキトウトキトウトキトー
「さよなら、みんな。」
これで全員か、あっという間だったな。
これで本当にさよならだな。
あの日々はもう帰ってこない
「さよなら」
血に濡れたクラスメイト全員の亡骸にお別れをする。
3年7組総勢39名
―生き残ったのは僕一人


#7

男たちは暇があると空地に集まってキャッチ・ボールをする

ボールは太陽を隠してしまった。すぐに出現して目をくらませる太陽が、太陽であり続けるように、グローブにおさまるボール。響く音が耳に届く頃、あさってのほうをむいたテルさんが、おいあれ見てみろ、と叫ぶ。そっちを見れば、テレビ塔の先っちょの右、雲があって、その形がおっぱいみたいだった。彼女は風に流されて、乳首がテレビ塔の先っちょに当たるとあんあんと喘ぐように崩れてしまった。テルさんが何か言ったが、ちいさすぎて聞こえない。


#8

審判

 もうすぐ抜け出せそうな気がしてるんだ。
「何から?」
 それは自分でもよく分からないよ。ただ、そこから抜け出せそうな予感だけは濃厚になってるんだ。
「仕事辞めちゃうとか?」
 どうでもいいよ。結果続かなくたって無理に残りたいとも思わないし。無責任って思われようがね。
「ずいぶん投げやりだね?」
 そうでもないよ。言い方がぶっきらぼうなだけで。本当は怖いよオレだって。でも、少し前に感じてた死にたいって気持ちは随分と和らいだんだ。
「それでも?」
 それでもだ。普通、うつにそんなこと聞くか?
「ごめん、ごめん」
 まぁ、診察してもらった訳じゃないから。でも明らかに心拍数上がったり、車ん中で叫んだりしてたからね。
「みんなそんなもんでしょ」
 そうかもね。誰にも見られてなかったらね。叫ぶね。
「殺した動機については?」
 通り魔殺人的な、刃物持って誰でもいいから刺してってのは……
(犯人はどうして冷静に判断できなかったんでしょうかねぇ)
(被害者に申し訳ないって気持ちに気付けなかったんでしょうか)
 うるせい。そんな冷静なこと考えながら人殺しなんてできねぇんだよ。
「極刑覚悟だったんでしょ」
 そこまでは考えてないと思うよ。そう、考えてないよ。でも殺す気持ちっての、殺す動機っての、少し分かるよオレ。結局どうしようもないっての? 言っとくけど、オレまともだからね。たぶん。
「情状酌量の余地はあると?」
(犯人にはこう言いたいですね。心を入れ替えて罪の重さを受け入れてくださいと)
(情状酌量を考慮してもわたしは犯人には極刑で罪を償ってもらいたいと訴えたいです)
 いいよ。その覚悟でやったんだから。
「でも死刑にはならないよ。一人だけ殺ってもね」
 取り返しのつかないことをしてしまってご遺族の方には誠に申し訳ないと思っております。償っても償いきれないことは百も承知ですが、それでも、それでも……(涙)って。獄中でマスターベーションでもしたるわ。反省してないのがそんなに悔しいのかい?
「あっ、お母さん? うんオレ。今までアリガトね。うん? 何でもないよ。うん……」
(あっ、大変失礼しました。番組中にケータイが……○○さんちゃんと切っておいてくださいって言うかマネージャーさん、マネージャーさんがちゃんと……)
 おふくろさんか?
「何か急に疲れちゃったよ」


#9

ホット、ひとつ

 重い扉をひくと、頭上からカランカランと歓迎の鐘の音。店内からゆうらりと漂ってくる空気が僕を迎える。珈琲の焙煎された香りと軽やかな音楽、さまざまの客がさまざまに置いていった気配。それらが調和した独特の雰囲気に、僕はやわらかに包み込まれる。
 ジャケットを脱いで、スツールの背もたれにたたんでひっかけ、僕はカウンターに着いた。いつのまにか指先を冷やすまでになった外気への対策に、クローゼットの奥から引っ張り出した上着は、暖かなここでは必要ない。
 それでも注文を取りにきた若い店員に自然と口をついて「ホット」と頼んでいた。少し前はアイスだったはずなのに。そのあたりに、確かに忍び寄る寒気を感じずにはいられない。
 カウンターの奥では、店主がドリップ式で珈琲を淹れている。
 粉末になった珈琲豆がドリッパーに静かに納まっていた。
 線の細い、くすんだ赤いエプロンをした店主は、白鳥の首みたいに長い口のポットでそこへ湯を注いだ。
 ふわりと平面だった豆がふくらみ、珈琲の香りが強くなる。
 店主は、なにかを重大なものを逃すまいとしているように伏せ目がちでじっと珈琲豆をみつめている。その目が、獲物を狙う水鳥に見えるのは、彼が持っているポットのせいだ。
 彼は、長い口のポットで少しずつ珈琲豆に湯を注いでゆく。珈琲を淹れている店主は、白鳥を繊細に操って、地面を耕しているみたいだ。
 じっくりと、しっかりとサーバーに出来上がった珈琲がたまる。
 湯が注がれて、珈琲豆にしみこんで、立派な珈琲になる。一連の流れをみていると、水の循環を思わせた。
 雨が降って、地面にしみこんで、最終的に海に出る。

「おまたせしました、ホットコーヒーです」

 カタリと、目の前に出来上がったばかりの海、もとい珈琲が置かれた。
 カップをもちあげて、一口。
 まあ、珈琲の場合、海となったあと水蒸気から雲の発生に至るのではなく、僕に摂取されたあと、

「ふう、おいしい」

 くつろいだため息の発生に至るのである。


#10

当選ハガキと特典

仕事が忙しくて、火葬場から来ていたハガキに気づかなかった。
ハガキには

「ご当選おめでとうございます」

の言葉とともに、QRコードが印刷されていた。
私は画面がひびわれたままの携帯でQRコードを読み取った。
すぐに画面が切り替わり、

「焼却中・・・」

という文字が現れた。
・・・の部分が跳ねるように動いていた。

文字の傍らでは、火葬場のマスコットと思われる二頭身の美少女キャラが座布団に座ってお茶を飲んでいた。
こめかみの辺りから吹き出しが出ていて、ポップなフォントで

「あと5分」

と言っている。

あれだけ苦労してポイントを集めたわりに何かあっさりしていた。
やっぱり火葬場を変えることにした。


#11

世界崩壊日和

「何で公園にしたの?」
 ベンチに並んで座り、彼女が僕に聞いた。午前十時を少し過ぎたくらいの秋の公園は静かで、僕らの他に人の姿はなかった。目の前にある学校のプール三杯分くらいの池は、冷たい空気の中で澄み切っていて、背の高い針葉樹の列を映している。杉の木だろうか、赤く紅葉していた。
「最後くらいいつも通りのほうが良いと思ってさ」
 僕は彼女の方には向かずに、ベンチの前に落ちていた葉っぱを拾いながら言った。
「どうせ遠くに行くのが面倒だっただけでしょ?」
「それもあるかもね。でも――」
「でも?」
「今さらどこに行ったって変わらないよ」
 僕がそう言うと、彼女は短いため息をついて雲一つない秋の空を見上げた。太陽はゆっくりと昇っている最中で、一日のはじまりはこれからといった感じの陽射しだったが、その光の輪の中には見慣れない黒い斑点が何個か浮かんでいた。太陽の大きさに比べれば、それらは小さな点に過ぎなかったが、ペストの初期症状のように不吉な印象を僕らに与えた。「ねえ――」と彼女は呟いた。
「本当に明日、世界は終わると思う?」


『――我々、あなた、話し会いした。お互い、代表者、闘い、あなた、破れた。約束従って、我々、あなた、全体、支配する。十三回、光、昇るとき、始める』

 これが二週間前にアメリカ経由で全世界に発信された文章だった。『彼ら』の言葉を英語に直し、それをまた翻訳し直したわけだが、問題はこれがアメリカ政府から正式に発表されたものだということだった。この発表は世界中に混乱を招き、人々は怒りと疑問の声をぶつけた。我々とは? 代表者とは? 支配とは? そういった質問の正確な答えは説明されなかったが、「二週間後に侵略の恐れがある」と天気予報のように宣言した。日本でも、連日ニュース番組やネット上で大議論がかわされていたが、お国柄なのか暴動も略奪も起きず、大多数が何も出来ずにうろたえるばかりだった。――そして明日で宣言から二週間になる。


「――それはわからない。でも僕らに何が出来るっていうんだい?」
 と僕は彼女の質問に答えた。
 発表された文章の『十三回、光、昇るとき』という部分が本当に二週間後を意味するのか? という論争が世界中で巻き起こった。僕は『二週間後という意味ではない派』を支持することにしたが、彼女にはそれを伝えなかった。太陽の中の小さな影はじりじりと大きくなっているように感じた。


#12

イン・ザ・タッパー

(この作品は削除されました)


#13

地面の無い僕達は達観する

 あんた達観してんのね。とおばさんはいう。
 おばさんにおばさんというと怒るんだけど、でも僕達小学生からしたら20過ぎたらおばさんです。女の子達はいち早く世の中を転がすために30過ぎの女の人にも「おねえさん」という呼称を使うけど、裏では「ばばあ」って呼んでるから使い分けのできない僕達男は、女ってこええよなあと裏で言い合う。

 僕のお母さんは働くことをしたくない人で、理屈は分からないけどお金だけもらってる。ショウシカにコウケンする立派な仕事なのよ、って笑いながら言う。おばさんも「ご立派よねえ、姉さんは」と笑いながら言う。おばさんはコウケンしない人だからね、とお母さんが後で僕にこっそり言う、その顔を僕は好きじゃない。 
 これはお母さんと僕だけの秘密だけど、今いるお父さんのほかにもお父さんは3人いて、しかも僕のお父さんは4人のうちの誰でもない。だから4人のお父さんの誰もが僕を好きじゃなくても、僕はあまり気にならない。
 
 僕の友達のレオグランドナイトはそんな名前なのにお父さんもお母さんも日本人だから、なんでそんな名前になったのか分からない。レオグランドナイトは難しい漢字なので、未だに誰も名前をちゃんと書けないし、レオグランドナイトは名前を呼ばれるたびにちょっと顔が暗くなる。それでレオグランドナイトを小倉と呼んでいたら、いつの間にか「三組の小倉」という怪談になってしまった。小倉の苗字は高橋だしわけわかんねーよな、と僕達は言い合った。

 僕は達観しているとおばさんはいうけれど、姉はあんたまだ達観するには早いわよ、という。姉は中学を卒業したら家を出て親戚の紹介で働くらしい。でも僕には高校までは行きなさいよできたら大学もねお金は私が出すから、という。そういうときの姉の表情は、お母さんよりも年上の人に見える。姉はきっと達観してしまったんだ、そう思うと僕は寂しくなる。
 だから、お母さんが眠っているとき、その手で頭を撫でて欲しいなぁなんて思って胸がきゅっとなるような僕は、たぶん全然達観していない。

 そんな話を小倉にしていたら、なぜか小倉が僕の頭を撫でていた。でも僕は小倉に頭を撫でて欲しかったわけではないし、それに急に鼻の頭が痛くなったので、うるせーレオグランドこのやろーっていって特に意味もなく小倉を叩いた。でも小倉は反撃もせずに静かに笑っていて、ああこいつ達観しちゃったと思って僕は焦る。


#14

エヌ氏の陰謀

 著名な作家であるエヌ氏は、辛口の批評家としても名を馳せていた。

 エヌ氏はある人気テレビ番組内で、毎週発売される書籍から話題作をピックアップして紹介するコーナーを任されている。けれども、褒め称えたことなどは一度もなく、常に痛烈な批判に晒すのである。著名なエヌ氏の批評は、そのまま売り上げにも響いてくるものだから、新作を書き上げた作家たちはエヌ氏のに取り上げられないよう戦々恐々とするばかりであった。

 今週は、ある作家の新作が槍玉に上げられる予定だ。彼の前作は100万部を突破し、映画化までされた大ベストセラーであった。前作のプレッシャーをものともせず、渾身の力を込めて書き上げた力作なだけに、このままこけてしまってはたまったものではない。

 意を決した彼はエヌ氏の元へ向かった。

「あなたは、なぜ僕たちの作品を批判ばかりするのですか? どんな作品でも、必ず良いところがあるのではないでしょうか」
「うむ。おっしゃるとおり。けれども、あなたたちはワタシにとっては、みんなライバル。売れてもらっては困るのです。あなたもワタシの立場になればきっとわかりますよ」


#15

大切なキモチ

そんな気持ち。私には持ち合わせてないのだと思っていた。この17年間ずっと。そうではないのだと気が付いたのはいつだったか。今日のような気もするし、数ヵ月も前だったような気がする。

高2から、進路に合わせた選択授業が始まる。2クラス合同で行われる選択授業で、私は隣のクラスの彼と同じ授業を受けることになった。
私にとっての始まりは、些細なことだ。気が付くと彼はいつも私の隣の席に座っていて、ただ黙々と黒板を写していた。その彼の横顔に、私は心惹かれた。
ある日、彼から声をかけられた。当然の如く隣の席に座っている彼。なんでも、今日出た宿題でわからないところがあるから教えて欲しい、というのだ。そんなの、彼の友達に聞けばいいのに、とその時不思議に思いながらも、放課後の図書室で彼とふたり勉強した。
それがきっかけで、彼と一緒の時間が増えた。
放課後、図書室で勉強をして、駅までの道を話しながら帰った。彼といる時間はドキドキした。そして、同じくらいモヤモヤした気持ちが私を包み込んだ。
彼と別れた後のさみしい気持ち。会えないときの、ザワザワした気持ち。
もしかして、私、彼のことが好きになった? そんな気持ち、持ち合わせていないのだと思った。この17年間、そんなことなかったから。

あれから、10年。
私は彼と結婚した。今思えば、私は彼の策略にはまったのだ。ずっと隣の席にいて、ずっとタイミングを計っていたのだ。
でも、その策略がなかったら、私はきっと人を好きになる気持ちは思い出さなかったと思う。
大切な気持ちを思い出させてくれた、大切な彼に、ありがとう。


#16

祈りの場所

 所長に古い顧客データを取って来るよう言われ、二つの鍵を手に、倉庫へ向かった。
 大柄な方の鍵を鍵穴に差し込んで、白く重い扉を開く。壁にあるスイッチを入れる。目を刺激しない程度の光が点く。後ろで扉が重たく閉まった。
 キャビネットと棚が列を成している。それらに貼られた、年度や顧客の種類を表す文字を見つつ、奥へと進んでいく。分けられているようで、煩雑で、意味の重なっているところが多い。倉庫内をぐるりと回り、二週目にして目的のファイルのあるキャビネットを見付つけた。
 二つ目の小さい鍵を、鍵穴に差し込む。中の棚に段ボールの箱が並んでいて、一つひとつにファイリングされた顧客データが入っている。一つずつ取り出して、名前を確認していく。
 人の身元を探る、嫌な仕事に就いたものだ。給料も安い。高校生の時に、もっと勉強していればよかったのだろうか。どこも同じかもしれないが、どこも同じと言われたところで、今の仕事に対するやる気が出る訳もない。
 はけ口のない生活に閉じ込められていると、妙に人は心神深くなっていく。そんな相談者をよく見る。風水や占い、短期間に効果を求める人もいれば、もっと長期間を見据えようとする人もいる。激しいと家の宗教を変えたり、人生という単位を超えようとしたりする。
 誰も先への不安を消すことはできない。自分もシンシンブカクなってみようかと、帰路の途中にある、石仏に手を合わせるようになった。何かを願って望むのも虚しく、ただ一日一日、きょうを過ごせたことに感謝をしてみる。すると鬱屈した一日の終わりに、風を吹き込むようにして、心をリセットできることを知った。
 一つの神以外信じず、また偶像崇拝を許さずに、一つの方向へ祈りを捧げる人もいる。対象は大きくても小さくてもいい。対象があると祈りやすい。祈りを拒む人は、対象を持つことを好まない。宗教という枠組みの中で、いくつも小分けにされている。対象が違っても、祈る行為に変わりはない。
 こんなことを思う。胸の奥にUの字のポケットがあって、一つ祈ると、そこに一つ宝石が収まり、溶けて、心に幸せが広がっていく。十字を切ったり、額を地面に付けて祈る人も、同じUの字のポケットを、心に持っているのだろう。
 閉ざされた倉庫の中で、心のポケットに宝石を入れてみる。きょうという一日を捉え、人生を俯瞰する。


 仕事に戻ろうと、急いでここから出ることもないと考える。


#17

夜とショッピングモール

 巨大なショッピングモールの夢を見た。
 ひと気のない夜のショッピングモールを僕は一人で歩いている。昼間の活気はどこにも感じられず、まるで死んでしまった町のようだなと僕はぼんやりと思う。店頭に立つマネキンたちが亡霊のように僕を見ていた。
 併設されたスーパーマーケットの前まで来ると、腹が減っていることに気が付いた。誰もいないショッピングモール、少しくらいなら大丈夫だろうと僕は意気揚々と店へと入り、買い物カゴに片っ端から商品を投げ入れて行く。コーンフレーク、菓子パン、コーラ、或いはサイダー。すぐに買い物カゴはいっぱいになって、さながら週末の買い溜めみたいになる。レジへ向かい、買い物袋を頂戴すると商品を移し替える。大きな袋が二つ、いっぱいになるまで商品を詰めていく。
 両手に袋を持ちながら、休憩スペースまで歩く。せっかく夜のショッピングモールにいるのに、まるで普段と変わらないなと僕は思いながらコーラを飲んだ。月が高い。そろそろ帰った方がいいだろう。
 ガラス張りになった入り口まで来て、扉を押し開ける。外は暗くて街灯も何も見えない。どうしたものかと周囲を見回せば、また月が見えた。今度はやけに近く、酷く大きい。反対を見れば青色の惑星が浮かんでいて、なるほどと僕は思う。宇宙にいるのだ。僕は徐に買い物袋から林檎を取り出すと、それを齧りながら景色を眺めてぼんやりと呟く。
 ――地球は青かった。

 夢から覚めると、見慣れたマクドナルドの店内にいて、彼女と向かい合いながら座っていた。店内BGMはモーツァルトを流し、彼女はいつものように文庫本を読み耽っている。
「やば、寝てた」
「ん」
 無表情で彼女が答える。既に萎びたポテトを齧る。
「いやあ、ショッピングモールの夢を見てさ」
 そこまで言ってから続きが思い出せない。まったく、夢というものはどうしてこうもすぐに忘れてしまうのか。
「凄い夢だったんだよなあ」
「ショッピングモールってさ」
 本から視線を上げて彼女が言う。
「宇宙船みたいだよね、何か」
 宇宙船?その言葉を聞いても僕は先程の夢を思い出すことが出来ない。彼女はまた文庫本へ視線を落とす。
「今度、あそこのショッピングモール行こうよ。服選んであげるから」
「マジで?」
 彼女がこくんと頷く。
 窓の外では月が出ていて、街外れのこのマクドナルドの周りは酷く暗い。まるで宇宙にいるみたいだなと僕は思って、また眠りに落ちた。


#18

僕らはみんな生きている

 家の前に携帯電話が落ちていて、見つけた途端に鳴り出したので反射的に拾う。
「もしもし」
 答えはない。すぐ切れた。私は家の前の塀にそれを立てかけて仕事に出かけた。帰ったら無くなっていたが、次の日には別の携帯電話が落ちていた。その次の日も。
 腹が立った私は携帯電話を拾い警察に届けようと歩き出してすぐに、また携帯電話を見つけた。私は意地になり、見つけた携帯電話を全部拾いながら交番を目指した。途中、もしかして誰かが道に迷わないように携帯電話を落としているのだとしたら……とか頭を過ぎるが無視。結局、私は交番に着くまでに17個の携帯電話を拾った。
 驚いたことに、交番の警官は驚かなかった。
「最近、多いんですよ」
「そうなんですか」
「発情期ですかね」
 何が。
「携帯電話が」

 警官の話はこうだ。
「携帯電話に入り込んで生きる生物がいます。カビみたいなやつです。それは電磁波とか熱からエネルギーを得て、微弱な電気を操って携帯電話を操作し、発情期には自分の好みの携帯電話を探して移動します。あなたの携帯電話は美人さんみたいだから行く先々に現れたのでしょう」
「足があるんですか?」
「ないです。移動はバイブ機能を使います」
 うっそだあ。
 しかし私はこの目で携帯電話の交尾を目撃する。
 真っ暗にした宿直室の畳の上には警官の選んだ二台の携帯電話。やがて、二つの携帯電話のライトが点き、同時に震え始める。ゆっくりと二台が近づく。まずスライド式のやつがちょんと折り畳みの方をつつく。折り畳みはびくっと震えるが今度は自分からスライド式に触れる。そこからは二台は本能のままに絡み合う。バイブによる愛撫。折り畳みが開いてスライド式を受け入れる。スライド式は挟まれながらスライドを繰り返す。折り畳みの充電用コネクタのカバーがぴょんと開いた。同時にスライド式のカバーも開き、反対側のSDカードが飛び出した。それから二台は明滅しながら最後に激しく震え、動きを止めた……。

 私は高揚した気分のまま家に帰り、持ち帰った一台の携帯電話と私の携帯電話を一緒に押し入れの中に入れた。今度は覗いたりしない。これは神秘的なことなのだ。
 そして、二台が愛し合った結果、生まれたのがアイフォーン。スマートフォンの祖である。

 という設定は、「その理屈だと携帯電話が生まれるのはおかしい」とかスティーブがしょうもないこと言って却下された。私はあいつが嫌いだ。


#19

『すごいものを書いてきよる』

 はじまりは、一篇の詩だった。平成二十二年の四月に開催された高校生の詩作コンクール。その優秀作に選ばれた二十篇のうちの一。都合六百文字弱のその詩篇の題は、『来年のことを思う』。作者のことばにはこんなことが書き附された。
「詩を書いたのはこれがはじめてでした。思いついたのも驚きですがきちんと書けたのもさらに驚きです」
 ふだんろくに詩を嗜むこともない、どちらかといえば授業に不熱心な生徒だった。講評にはつぎのようなことが書かれた。

 拙いことばの詰め合わせながら、孕む不安は底知れない/ゲーム感覚でしか書き得ないことだけわかる/大戦を知る世代にはあまりに無礼、あまりに滑稽、あまりに戦慄極まりない

 結果的には、作法を知り尽くした他の作品が最優秀賞に選ばれたものの、『来年のことを思う』が詩壇と報道を湧かせはじめたのは、次の年になってからだった。一年後の三月に列島を襲った未曾有の大震災は、『来年のことを思う』に描かれたカタストロフィに酷似していた。唯一の蛇足は、某国による陰謀論を仄めかしていたことぐらいである。
 追い風となったのは第二作である。学生の身分にあるまじき、教育委員会の腐敗を訥々と描いていた。そして、以後も。
 奇蹟的な詩藻の数々、その誕生は作者の逝去により突拍子もなく事切れた。マンションの十二階から飛び降りた彼の上着には、「預言者になんてなりたくなかった」と書かれたメモが忍ばせられていた。暇もくれない取材に苛まれたろう、心無いバッシングもあったろう、高校三年の半ばで彼は短い人生を終えた。
 彼の死後の評価も又、存知のとおりである。各方面から弔辞を模した賛美のコメントが掲げられた。彼の追悼特集を組んだ雑誌の出版者から依頼があり、私もかつてお蔵入りにした以下の講評を載せた。

 詩語を知らぬ若者がありえもしない幻視の光景を切り取って見せた。有り体なことばだからこそじわりと鈍い衝撃が生まれたのだろう/まるで忘却の一途にあった重力のおもみである/実に、さらりとすごいものを書いてきよる

 中二になる姪に拙文と彼の話をしてみせたら、彼女は興味なさげに詩集を置いた。思春期特有の冷たい目で私を見ながら、「おじさん」と表情一つ変えずにつぶやくのだった。
 彼女も又、「評論なんて書く暇あったら、社会全体、この人の詩を参考にして立て直せばいいのに。そのための予言でしょ」とさらりとすごいことを言ってきよる。


#20

 猫は多分本当はマリーという名前なのだけれど、猫の主人は気分でしばしば呼び名を変えた。例えばやわらかい毛がうねる頭部を撫でながら「ふわふわちゃん」と呼んでみたり、遊んで欲しくてじゃれつく猫をあしらいながら「チビ助め」と笑ってみたりする。ただ単に「猫」とだけ呼ばれる時もある。けれども、猫が何より好きなのは主人が自分の事を呼ぶその優しい声の響き自体なので、だから猫はどんな呼び方であっても主人が自分を呼んだ時を間違えた事がない。意図的に無視する事はあったとしてもだ。
 猫は主人と二人暮らしだ。猫は完全な室内飼いで飼われているから、外には出してもらえない。主人は危ないからと言う。これには、猫も不満ながら納得しないわけでもない。なぜなら、優秀なバランス感覚を有するとは自負しているものの、猫は完全な盲目である。今でこそ慣れたものの、以前はよく体を柱や家具にぶつけていたものだ。だから不満ながらも、外に行けない代わりにと言って主人が沢山構ってくれるので、まあいいかなと思っている。それにいつでもぽかぽかと温かい部屋の中は最高に快適だ。
 猫は猫に珍しく風呂も好きである。「猫のくせに」と言う主人によると、どうやら猫とは本来濡れるのも、大きな音も苦手な生き物の事を言うらしい。けれども猫はシャンプーもドライヤーもへいちゃらだ。とすれば、もしかすると自分は猫ではないのかもしれないと毛をふわっふわにしながら猫は思うけれど、主人が猫というから猫なのだろう。だって主人は猫好きなのだから、愛されている自分は猫である。
 猫と主人の別れは、後の話によると、彼らが共に暮らし始めてから三年後の事である。呼び鈴を鳴らし、犯人が玄関先に現れたところで警官隊は突入した。暴れる男をその場で取り押さえている間に、一人がリビングの扉を開けた場所で目隠し具を施された被害者を発見した。不用意な年若い警官がその拘束具を外すと、女は焦点の定まらぬ目で一瞬廊下に組み伏せられた犯人の男の姿を捕らえたかのように思われたが、次の瞬間両目を押さえて絶叫した。その絶叫の凄まじさに全員が息を呑んでいると、やがて女は潰れて何も見えない目を見開き嗄れ切った声で「なぜ、わたしを、こんな、めに」と言い、激しい憎悪を湛えて廊下を睨みつけた後、そのまま絶命したという。なお、その時犯人を取り押さえていた警官は、彼女は間違いなく自分を睨んでいたと証言している。


#21

B100complex

彼女、アプリリア乗り。なんかつーかね。
アエルマッキとかなんつーかね。

ハーレーとかインディアン狩りしてなんつーかね。
陸王なんつーかね。

鈴菌なんつーかね。貧乏くさいっすか?
イタリアンなんすかね。
黄色に黒とかいいっす。
初期のTZRとかも匂う。ハンドリング。
イタリアヤマハ。

スズキの水色は、ビアンキの匂い。
水色、黒、黄色。

フランコウンチーニ、バリーシーン。

SIDI 、KIWI のヘルメット。

ラテンな2ストエンジニアはスペインにラテンする。

あああ、あのKR250、コークバリントン?
タンデムツイン、緑の。

なんかイタリー@

コンチネンタルサーカス(~▽~@)♪♪♪

スパフランコルシャン〜(・∀・)ダネ


ジョイダンロップのヘルメット。
グースネックコーナー。

ブルタコ。

クリスチャンサロン。ゴロワーズな水色。

なんつーかね。

スペインハラマ。ホッケンハイム。


つーか、もやさま、イイネ(・∀・)


#22

ゆべしとねこ

 柚子と書いてゆずこと読む名前だったが、三歳の時に丸柚餅子を食べてからそれの類にすっかり嵌ってあちらこちらでゆべしゆべし歌っては笑うものだから、いつしか両親以外の誰からもゆべしちゃんと呼ばれていた。
 おかっぱが商標の小柄な子で、毎日スカート姿で男友達と走り回っては夕飯が出来るきっかり五分前に帰ってきて、茶碗飯を二杯、鶯豆や小女子の佃煮、肉味噌に牛肉時雨煮など、甘い物ばかりを友に食べた。更に風呂から上がって歯を磨く前、必ず竹皮柚餅子を一つ、至福の表情で食べた。
 丸柚餅子は手間も時間も掛かる高級茶菓子であるから、家に常備しておく訳にも行かない。手軽な竹皮柚餅子をあてがって誤魔化す手は、以上の理由から考え出された婉曲的手段だった。ところが、小学校に入ると泥遊びから一転、図書の愉悦を覚えたことで柚餅子との関係は変わる。
 最初は伝記に現を抜かしていたが、図書室に飽き、母親に着いて市営図書館を訪れると、すぐさま大人向けエリアに足を踏み入れる。そこで、ご飯のお友やら和菓子の単語をつらつら検索しているうち、丸柚餅子の希少性と作り方に辿り着いたのである。
 以後、台所の片隅が丸柚餅子製造所に変わる。
 ところで柚餅子の他に猫が大好きだった。本の虫となってからも晴れた日には近所の駐車場で猫に囲まれて空を見上げたり、特に仲の良い茶白の老猫の前足をいじりつつ転寝をしたり、丸きり猫のようだと近所の評判だった。相変わらずゆべしちゃんと呼ぶ人もいれば柚子猫ちゃんとか、黒いおかっぱを指して黒猫ちゃんだとか、愛情を込めてか知らない、好き放題に呼ばれるようになった。
 仲良しの茶白は老い先短そうながら不健康に太りも痩せもせず、ファーのごとき巨大な尻尾をゆらめかせては、家の隙間に消えて行ってはいつの間にか隣に寝ている。猫じゃらしを見せても小さく鼻息を吐いてそっぽを向き、猫なのか妖怪なのか分からない。
 気になって尻尾の先をひょいと触ってみたらば二つに分かれており、見てはいけないものを見た心持ち。茶白も気まずい表情で睨み返すので、たまたま鞄に入れていた丸柚餅子を差し出したらば、また鼻を鳴らして三口で平らげた。
 人間のお菓子を上手そうに食べて平気など、猫又に違いない。また、茶白はもっと寄越せと言わんばかりにごろごろと鳴く。
 何かの託宣と思い、それからは柚餅子作りに精を出しつつ、裏では猫又とじゃれる生活である。


編集: 短編