第122期 #19

『すごいものを書いてきよる』

 はじまりは、一篇の詩だった。平成二十二年の四月に開催された高校生の詩作コンクール。その優秀作に選ばれた二十篇のうちの一。都合六百文字弱のその詩篇の題は、『来年のことを思う』。作者のことばにはこんなことが書き附された。
「詩を書いたのはこれがはじめてでした。思いついたのも驚きですがきちんと書けたのもさらに驚きです」
 ふだんろくに詩を嗜むこともない、どちらかといえば授業に不熱心な生徒だった。講評にはつぎのようなことが書かれた。

 拙いことばの詰め合わせながら、孕む不安は底知れない/ゲーム感覚でしか書き得ないことだけわかる/大戦を知る世代にはあまりに無礼、あまりに滑稽、あまりに戦慄極まりない

 結果的には、作法を知り尽くした他の作品が最優秀賞に選ばれたものの、『来年のことを思う』が詩壇と報道を湧かせはじめたのは、次の年になってからだった。一年後の三月に列島を襲った未曾有の大震災は、『来年のことを思う』に描かれたカタストロフィに酷似していた。唯一の蛇足は、某国による陰謀論を仄めかしていたことぐらいである。
 追い風となったのは第二作である。学生の身分にあるまじき、教育委員会の腐敗を訥々と描いていた。そして、以後も。
 奇蹟的な詩藻の数々、その誕生は作者の逝去により突拍子もなく事切れた。マンションの十二階から飛び降りた彼の上着には、「預言者になんてなりたくなかった」と書かれたメモが忍ばせられていた。暇もくれない取材に苛まれたろう、心無いバッシングもあったろう、高校三年の半ばで彼は短い人生を終えた。
 彼の死後の評価も又、存知のとおりである。各方面から弔辞を模した賛美のコメントが掲げられた。彼の追悼特集を組んだ雑誌の出版者から依頼があり、私もかつてお蔵入りにした以下の講評を載せた。

 詩語を知らぬ若者がありえもしない幻視の光景を切り取って見せた。有り体なことばだからこそじわりと鈍い衝撃が生まれたのだろう/まるで忘却の一途にあった重力のおもみである/実に、さらりとすごいものを書いてきよる

 中二になる姪に拙文と彼の話をしてみせたら、彼女は興味なさげに詩集を置いた。思春期特有の冷たい目で私を見ながら、「おじさん」と表情一つ変えずにつぶやくのだった。
 彼女も又、「評論なんて書く暇あったら、社会全体、この人の詩を参考にして立て直せばいいのに。そのための予言でしょ」とさらりとすごいことを言ってきよる。



Copyright © 2012 吉川楡井 / 編集: 短編