第122期 #12

イン・ザ・タッパー

 スーパーで二九八円だった鯵のたたきをタイムサービスにて一九八円で購入して、食べる。でも一人暮らしのぼくには量が多かった。残りはタッパーの中で酒、醤油、味醂に漬けて冷蔵庫へ。
 その作業を素手でやっちゃった。手の雑菌が生魚に付着し、やつらの手強そうな生命が、調味料を栄養にしてタッパーの中で光の乱反射みたいに増殖しているかもしれない。
 布団の中で嫌な不安に陥った。
 二六歳で事務職のぼくは衛生面がとても気になっている。昔は違った。一六歳のぼくはプロテニスプレイヤーになるのが夢だった。

《勇者がいた。九つの国を凄腕の剣技で救った英雄。でも魔王には負ける。魔王は九〇と九つの国を滅ぼした化物だ。
 勇者には恋人がいた。お姫様だ。千年に一人の美姫。
 魔王はその姫の国を攻める時に交換条件を出した。
「姫を俺の嫁に出せば国は見逃してやる」
 ウソだ。魔王は悪魔だぞ。
 でも姫は魔王に身をささげた。
 それが勇者との約束だったから。
 姫は勇者にこう提案していた。
「魔王を引き留めます。一年間だけ。その間にどうか魔王を倒す力を身につけて」
 勇者は姫が魔王に嫁いだその瞬間から懸命に鍛錬を。
 姫は魔王の醜悪に堪えながら懸命に夜伽の相手を。
 約束の一年が経ち勇者は魔王の城へ。勇者は男だ。約束は守る。残念ながら止めを刺す時に、勇者の体も魔王の剣に貫かれていたけれど。
 でもそれで良かったのかも。勇者が魔王と戦っている最中に、姫は汚された自分を恋人に見せまいと自害していたから》

 地元の居酒屋でぼくは相川くんと川崎さんとお酒を飲んでいた。二人は高校時代の同級生だった。
 相川くんが話していた英雄譚の末尾を次のように結んだ。川崎さんのことを見詰めながら。
「前世の俺たちなんだよな」
「ふうん」
「ぼくの役は?」
「ない」相川くんが答える。
「救われたね」川崎さんが笑った。ぼくが相川くんの話に巻き込まれずに済んだから。
 相川くんはテニスコーチをしていて、川崎さんは大学で化学の勉強をしている。大学院生だ。
 ぼくは知識のありそうな川崎さんに鯵の安否を訊ねてみたかったのだが、どうも相川くんに話の主導権を持っていかれて機会が掴めない。二人の間にちょっと隙を作ればいい。一秒間だけ。それだけでいいはずなんだ。
 ぼくはもう一度、相川くんに言った。
「脇役なんかでいいんだからさ」
 相川くんはいらだった。
「おまえの入る余地はない」
「はい。すみません」



Copyright © 2012 qbc / 編集: 短編