第120期 #12
九月からの海外駐在が始まって早くも三か月が過ぎ、新しい環境、生活による体調の変化や精神的なものも乗り越えて、今は年の瀬を迎えようとしている。
来てしばらくしてからネットが繋がり、夜になれば無料のテレビ電話で日本の実家と、電話を繋ぎっぱなしにするようになった。今の世の中、技術の進歩のお陰で遠く離れた家族とも、隣の部屋にいるかのように顔を見ることができる。おもちゃのようなカメラから日本の家の中の様子や家族の顔を見るだけで、海外で一人生活しているという気持ちもどこかへ引っ込んでゆく。実際一人の生活を送れているのもこれに因るところが大きいだろう。
滞在し始めて月割りのカレンダーをめくって行けば、赴任期間である一年なんぞあっという間に過ぎてしまうように感じてくる。来る前は若者ごころに「この一年で必ず成長してやる」と息巻いていたけど、生活に慣れてこれば時間が経つのをただただ感じるだけの日々が訪れ始め、するべきことをするだけの生活に身を甘んじるようにもなってしまった。
日本に思い寄せる女がいて、短大卒の同い歳の彼女はすでに働き始めて三年を迎えようとしている。今年の春に僕も大学を卒業したが、就く職もなく院へ新学し、まだ同じ大学に通っていた。
そこへ、この日本語教師の話が予期せずも転がりこんできた。人と違うこと――それこそ海外で一人働くということ――をしなくては、世間様に顔向けできる大人になれないのではないかという、世間に対する負い目のようなものもあった。しかし、いざ働き始めて新しい生活にも慣れてこれば、再び顔を出しはじめた元々の怠惰な心に昇進のない職柄ということもあってか、また体の中から気怠るい虚脱感が沁みのように広がってくるのだった。
同じネイティブの英語の先生たちといれば毎週のようにバーに誘われる。僕の片言の英語でも相手はさすがに先生で、笑顔で摩訶不思議な暗号を聞き分けてくれる。町へ出ても人々の優しさに触れる。そんな中でお酒と一緒に甘んじた生活に酔ってしまうのではないかと感じることもある。
それでも何か、実際に新しい社会に入ってみることでしか得られないものも、確かに見え隠れしているように感じてはいた。今度の春に一回実家に帰るのだが、このまま実家に帰ったとしても、髪が伸びたことさえテレビ電話のお陰で家族は気づかないだろう。
せめてしばらくの間、ビデオチャットは止めることにした。