第12期 #7

金沢

 マモルは雨の日が好きだ。晴れの日が嫌いなわけではないのだけど、避けたくなるくらい強い陽射しや、迷いひとつ感じさせない澄みきった青空は、マモルの気持ちを重たくすることのほうが多かった。気分が沈んでいるときなどは「がんばれ、がんばれ」と空から過剰な期待をされている気がして、落ち着かなくなった。
 霞がかかっていて、立ち込めている曇り空は、マモルを励ました。学校の友達が「今日はじめじめして嫌だね」と言っているとき、マモルはひそかに粘りつくような湿り気を心地よく感じた。よくわからないが、むくむくと広がっていく黒雲は自分の心情を素直に表していて、マモルはありのままの自分でいられる気がした。

 雨が降る。

 ぽつり、ぽつり、雨がしょぼつくと、グラウンドがまだらに染まっていく。やがて、ぽつりがぽつ、になり、ぱらぱらと音がして、気がつくとざあざあ降っている。数学や化学の授業中はそんな自然の奏でるささやかなメロディーがマモルの耳を魅了した。
 一時の雨季を除けば、マモルの住んでいた地域は雨が少なかったので、この楽しみを味わいつくせぬまま高校を卒業した。大学を決めるにあたり、金沢を選んだ。日本中に、マモルの進もうとする大学と同じ偏差値の大学はたくさんあって、マモルはとくに大学に期待する人間ではなかったから、どこへ進んでもよかった。今おもえば、雨が関係しているかもしれない。
 今でも覚えているが、梅雨のある時期、マモルはニュースをみた。台所では母親が夕食の支度をしていて、マモルは居間で洗濯物をたたむように言われていたときだ。画面に映し出された兼六園には不穏な雨が降っていて、雨に濡らされた紫陽花の花はいかにもなまめかしかった。それはマモルの心を十分にかき乱した。
 付き合っていた彼女に「兼六園って知ってる?」と尋ねた。「金沢。遠いところね」彼女は答えた。マモルは「ふうん」とこたえたあと、「紫陽花がきれいな庭やった」と言った。それでおしまい。
 金沢の雨は気性が激しい。乱れるように降る日は、バケツをひっくり返したような騒ぎになる。そして、どこまでも優しい。天使に髪をなでられているような気分というのはこういう気持ちのことかもしれない。そういう日は傘をささない。雨がぬらした街は、あまりに鮮やかに映える。優しいのに、哀しくなるときはそんなときだ。
 今日も雨。じゃんじゃん、降っている。もっと降れ。もっともっと。


Copyright © 2003 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編