第119期 #10
雨の音で目が覚めた。ばらばらばらばら……とガラスにあたる豪雨は、窓の表面を川のように滑り落ちて行く。信号待ちしている車が見えていたが、やがて道路に溜まった水たまりを裂く水しぶきの音とともに、ぼやけた赤いテールランプの光だけを残して、街灯が滲み鈍く反射した道路の暗闇に消えていった。部屋の中では、デジタル時計だけが「4:08」と赤く表示されていた。
喉の乾きを覚え、台所に立ってミネラルウォーターをコップに注いでいると、「四時半になると――」と頭の片隅から小さく響くように、小さな女の子がささやく声の記憶とともに昔の思い出が蘇った。
小学生の頃、僕と彼女は「夜、学校の一番大きないちょうの木には、巨大な鳥が寝に戻ってくる」だとか「体育館の空かないドアは、夜になると狐男が出てきて、子どもをさらいにくる」という怪談にも都市伝説にもならない話を適当に創作しては、お互いどちらが物知りかを競い合っていた。
「四時半になると、そいつはプールにあらわれるの」
と彼女は言った。
「それは犬の形をしてるけど、水の上を歩けるから、海をものすごいスピードで走って世界中まわってるの」
「そいつは悪いの?」
と僕は聞いた。
「とっても良いやつよ。もしそれが見れたら、願いごとがかなうの。一緒に見に行こうよ」
「わかった」
と僕は答えた。
二十年前、小さな女の子が深夜に家を抜け出して、見知らぬ男に誘拐されると殺されてしまった。犯人は狐のような顔の痩せた中年男だったが、周りの人間は、なぜ彼女が深夜に家を出たのかがわからなかった。僕は寝過ごして、待ち合わせ場所に行けなかった。台所の蛍光灯の下、僕はコップを持ってまましばらくそのことを考えていた。
目が冴えて、椅子に座って少しずつ空が白んでいるのをぼうっと眺めていた。雨あしが弱まっていて、あたりが静かになっている中、タタッと地面を蹴る動物の音が聞こえた。立ち上がって窓から外を見ると、水たまりに大きな波紋だけがあった。時計は「4:29」に切り替わったところだった。