第118期 #6
小指で今までのこと全部チャラにしちゃってもいいよ。
「こゆび?」
「そう、小指」
化粧をしてこなかったわたしはユニクロのフリースにジーパン、素足にサンダルという格好でサトシの前に座った。店内はしんと静まりかえっていて、わたしの座ったビニール椅子の間抜けに抜ける空気音だけがやけに響いて聞こえた。わたしたち以外ほかに客はいない。店の外からは雨を切り裂き踏みつぶす車の音がある一定の間隔をもって聞こえていた。夕方から降り続いたままの雨が九月だというのに少し肌寒さを感じさせた。
深夜の店内は原色に近い色の照明が灯っていた。人工のオレンジ色はわたしの左頬だけを強く照らしていて、まるでそれが血に染まった心霊写真のように雨を遮るガラス窓に映り込んでいる。
向かいに座る右頬を照らされたサトシがタバコに火を着けた。手慣れた動作の後、吸い込んだ煙りを静かに口から吐きそれを鼻の中に戻す。煙りはサトシのまわりに充満して空気の中で微かに揺らいで見えた。その揺らいだ空気の中でサトシは煙りの輪っかをいくつか作って吐きだしていた。
(サトシが怒ったときの仕草だ……)
わたしは出されたホットをブラックのまま啜り左腕をさすった。指先に触れたフリースが何だか弱々しくて、テロンテロンって何だかおかしな響きだな、などと思った。
(小指をどうするんだろう?)
サトシの言葉が頭の中でまとまらないでいた。確かにわたしが悪いのだろうし、まさか、ヤクザ間の抗争じゃあるまいし、小指を切断してそれでチャラってことでもないだろう。
「小指をどうするの?」
吐ききらないタバコの煙りがサトシのまわりに充満している。サトシは無言のまま三穴コンセントを上着のポケットから取り出してテーブルの上に置いた。
硬質で油の染み込んだテーブルは、人工のオレンジ色をいい加減に反射させながらその三穴コンセントを受け入れた。ゴトンと店内に高音が短く響き渡る。その音でわたしの身体がビクンとなって顔が熱くなるのが分かった。