第117期 #8

あくまとあくま

「助け…助けて…誰か」
 枝を踏みつける蹄の音、森に響く怒号。それから逃げる最中、私は嗚咽を噛み締めながら吐いた。

 天気の良い日には木に登って遠くを眺めるのが好きだった。今日もそうしていたのだが、青く綺麗な鳥を追いかける内にお父様との約束を破ってしまったのだった。お父様は私によく言い聞かせた。
「振り返って、城の天辺に掲げた旗が見えなくなるまで遠くに行ってはいけない、その先には悪魔がいる」
 
 どれくらい城から離れたのだろう。額に汗で濡れた髪が張り付く、振り返った時にお父様との約束を思い出した。その時、足元に何かが刺さった。矢だ。太陽の光を受けて鏃が鈍く光っている。
 
 私は声にならない悲鳴をあげて城への道を走った。木の枝が、まだ幼い足に傷をつける。その後ろから
「見つけたぞ!逃がすな!」
「仕留めろ!我々の安住のために!」
その恐ろしい形相と殺気はまさに悪魔だった。出口のない恐怖が私のすべてを包み込む。そのなかでふと、帰ったらお父様に叱られてしまうのだろうと思った。
「やった!旗だ…もう少し…」
しかし、木の根に躓いて背中を無防備に晒した私の肩に矢が刺さる。痛みに悶える私に、忌々しい足音が近づく
「助け…助けて…誰か」
その時、足音が止んだ。と同時にざわめきが聞こえる。顔をあげると見覚えのある足が見えた。お父様だ。

 お父様が手をかざすと森はたちまち静寂に包まれた。忌々しい足音の元はすべて石になってしまった。悪魔の石像は皆、恐怖に侵された表情をしていた。肩の傷に触れながら私の耳元でお父様は呟いた。
「さぁ、城へ帰ろう。我が悪魔の息子よ」
朦朧とする意識の中でその表情だけが焼き付いた。私を抱きかかえて城へ向かうお父様の後ろで、風に吹かれて悪魔の石像は真っ白な砂になってしまった。



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