第115期 #2
目の前のテーブルに置いてあるのは飲みかけのアイスコーヒーとストロー。そのそばには、目立って面白くもない短編小説。ページに挟んだ芸者が写っているカラフルな栞から、3分の1しか読んでいないことが分かる。
町の住民を牛耳る夏の蒸し暑さから逃げ、この喫茶店に入った。遠くからピアノで弾かれたジャズ曲が流れてくるが、お客さんの話し声をかき消すこともできないくらい微かである。僕は入口のところにある大きな窓をじっと見る。外は、タクシーがまるでレースに参加しているように高い速度でアスファルトの上を走り、バスが停留所に止まり汗と雨に濡れた乗客を拾う。梅雨はピークに達した。
右側にあるテーブルに二人の老婦人が向かってくる。一人は顔全体を紫色のデザイン・メガネのでっかい丸いレンズで隠している。もう一人は、鮮やかな青いワンピースに黄緑色の花パターンのベストを着ている。
「おいとこうか」と、デザイン・メガネの婦人は椅子にドサッと腰を下しながら、花パターンの婦人が右手に持つ傘を指さして聞く。
「ううん。私、とりあえずトイレに行ってくるわ」と、花パターンの婦人は真剣な顔で答える。僕はその言葉を聞き、少し混乱する。何げなくトイレに行き、入ろうとした時に傘を忘れたことに気づいて困ったことがこれまでにあるだろうかと、思い出そうとするが思い出せない。水道が故障した時のため、ワンピースが濡れないように持って行くとでも・・?
婦人は傘を杖のように頼り、ゆっくりとカフェの向こう側に歩いて行く。「なるほど。多機能傘なんて便利だね。」僕は一瞬そう信じるが、次の瞬間に、もし急ににわか雨が振り出したら婦人はどうするかを考えてみる。洋服が濡れることを気にせず、傘に頼って急いで近くの店に入るか。それとも、雨が止むまで動けなくなることを気にせず、路上で傘を差すか。やはり多機能傘はそれ程便利ではないかもしれない。
そういうことを考える僕は、少し微笑む。