第114期 #6
病院嫌いのあたしの脳みそにサイレンが絶えないので、仕方がない、診察券を財布に詰め込んだ。先程便器にキスしたばかりなので、なにやら自分がまだ胃液臭い気がして仕様が無かったが、隣の猫がしきりににゃあにゃあと急かすので、猫缶を買うついでにと、早速騙って出掛けることにしました。
「行ってきます」
誰にとも言えない、強いて言えば隣の猫に外出を知らせた。
坂道をてくてくと三十度のぼる。すぐ隣を隣人の猫が付いて来るので、まだ、まだ、と言ってしっしと追い払ってやった。
胃が痛いから、胃腸科にも行かなきゃな。頭の片隅に、猫缶と一緒にメモを取る。そんな馬鹿なあたしですから、医者がおめでとうございます、なんて言うので、今日はなんの日だったかしらんと思いました。
「お大事に」
受付のお兄さんがぺらぺらと笑います、なにがそれほど愉快でしょうか。
白衣も手帳も領収書も、そう、今だに自分の体にもう一匹、生き物が入っているだなんて悪い冗談としか思えないのです。
ぼんやりとそんな哲学をしているうちに、あたしは坂道まで帰宅します。殺生が嫌いなあたしでも、生き物を育てることは恐いなあと思うのですから、父親(てておや)からお金を毟らなければいけません。
そんな未来を思うと、案外憂鬱になってしまって、自然顔をぐいと仰向けました。
夕空が大層綺麗でした。桃色と紅紫の千切れ雲の向こうに、夕日が沈んでゆきます。あたしは、涙をぽたぽた零して目が焼けるのも気にならないくらいに、彼女をずうっと見ていました。ぐすぐすと詰まった鼻はまるで不細工な鼻歌で、それだけで今日はラッキーな日でした。なるほど、おめでたいかもしれません。
その時、頭の中のサイレンは止んでいました。けれど胃腸科と猫缶を忘れていました。