第114期 #16

古い思い出

 鳥を追いかけていたら、ずいぶん遠くまで来てしまった。風景はどこまで行っても変わらないのに、遠くて、地名さえ知らない場所では全てが偽物に見えてしまう。という錯覚は、ほんとうに錯覚なのか。
「その鳥は何色だったの?」
「僕はただ追いかけているだけさ。色など知らない」
 じゃあなぜ私なんかに尋ねるのとその女は、窓に差す暗い夕陽に手をかざしながら言った。
「なぜなら、君は偽物じゃない気がしたから」
 じゃあ私が偽物だったらどうするの?
「だって、いま夕陽を掴もうとしている君の右手は義手だろ。嘘の手なんだろ?」
 ええそうよ。むかし幼い頃に、神様が私の腕を奪ったの。でもあなたの言い方は酷すぎる。嘘の手なんて。
「すまない。でも君の失った右腕のことを、僕は古い手紙の中で読んだことがあるんだ。その女は右腕を捜して、夜をあてもなくさ迷うのだと……つまりあの鳥は君の右腕だったのさ。これで話の辻褄が合うよね」
 あなた、病院に行ったほうがいいみたい。私はただの売春婦で、あなたはただの客でしょ。やることやったら、私の前から消えて。
(僕は女に金を投げつけると外へ出た。病院へ行けだと? なぜ人は傷つけ合うことしか出来ないのか。ほんとうの話をしようとすると、なぜ拒否されてしまうのか?)
「鳥にはね、もともと色なんてないのよ。だって鳥は空に見棄てられたのだから」
「君は誰だ? また女か?」
 私はいい女よ。まだこの世には生まれてないけど、あなたのお母さんなのよ。
「すまないが、君の時間は狂っている。僕にはもう母がいるんだよ」
 母が一人だけなんて誰が決めたの? あなたの母になりたがっている人は大勢いるわ。
「僕は鳥を捜しているんだ。母は関係ないだろ」
 でも危険よ。あの売春婦や鳥のことはもう忘れなさい。
(僕は女の言葉を振り切ると、あの売春婦の部屋へ戻った)
 もう一度、僕の話を聞いてくれないか? 君が病院へ行けというなら僕は行く。月まで歩けというなら歩く。なぜなら君が、僕の鳥だからさ。
「じゃあ月まで歩いて。今夜は店じまいしたの」
 じゃあ教えてくれ。君は誰だ?
「私はあなたの敵。母じゃない」
 じゃあ僕を殺すのか。
「あるいはね――でも古い写真の中で、あなたの鳥を殺したのはこの私」
 ならば古い日記の中で、君の右腕を奪ったのはこの僕だった。
「そういうこと」
 であるなら僕の腕を切れ。
「いいや殺す。子供の頃に交わした古い掟に従って」



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