第114期 #17

ひとひら

「ねぇ、いっくん。あたし、夢があるんだ」
「ん?」
「あの最後の一枚が散っちゃうまでは、生きてたいなって」
 その言葉に、思わずリンゴを剥く手を止めた。
 一瞬タチの悪い冗談かと思ったが、それにしてはベッドの上に半身を起こしぼんやり窓の向こうを眺めるレイの眼はつまらなそうだった。空調と秒針がやけにうるさく感じる。俺もつられて外に目をやると、病室のちょうど向かいに、桂の木の赤茶けたハート形の葉が一枚、落ちるタイミングを逃して夕暮れの空に淋しげに揺れていた。
「バーカ。どこの小説だ、それ」
 茶化したつもりだったが、上手く笑えていたかはわからない。気まずさに堪え兼ねて無理やり手の中のリンゴに意識を戻した。剥き終えたそいつを切り分けてウサギの彫刻を施し、皿に載せてレイのほうに押しやる。気の利いた言葉の一つでもかけてやりたかったが、口をついて出たのはただの悪態だった。
「ったく。お前がいつまでも良くならないせいで、リンゴを剥くのだけはこんなにうまくなっちまったよ」
「それならあたしだって、いっくんのせいでバトルマンガ、好きになっちゃったもん。お互い様だよ」
 俺の軽口に真面目に頬をふくらませてにらんでくるあいつがおかしくて、緩みそうになる口元を俺は必死に引き締めた。

 思えば、俺はずっとこうやって何かを恐る恐る確かめていたんだ。
 想いをはっきり口に出したことは一度もなかったけど、俺は付かず離れずくらいでちょうどいいと思っていた。今さら気持ちを伝えるつもりはない。レイが入院してもう四年になるが、その考えはずっと変わらず、俺は四年前と同じように週一でここにやって来てはリンゴを剥いて話し相手になってやるだけの幼馴染みを演じている。穏やかな時間だった。

 でも、最近はその見舞いが日課になりつつある。この関係がもう長くは続かないことは、お互いにわかっていた。
 レイは余命二ヶ月の宣告を受けている。……もう、半年も前に。
 本当は、今日ここに来れていることが奇跡なんだ。

 ふと時計を確認する。面会時間の終わりが迫っていた。
「んじゃ、そろそろ帰るわ」
「うん。また明日もリンゴ、持って来てよ。待ってるからさ」
 レイの笑顔は、どこかぎこちなかった。俺たちは不器用なところまで似た者同士なんだ。
 去り際に窓に目をやると、ハートのシルエットだけがやけにはっきり浮かび上がっていた。
 最後の一葉は、まだ散っていない。



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