第113期 #6

天竺語長虫塚

 とある峻厳な山の麓に、暗い大口を開けた洞窟があった。禁忌の地とされるその洞窟の奥には、黄金の甍をした白亜の屋敷が何処までも続く、長虫族の国があった。住人である長虫族は、上半分は人であり、下半分はぬらりと虹色に光る鱗に覆われた太い大蛇の体をしていた。彼等は黄金を護り、不老不死に近い寿命をもち、地下の王国で安穏と暮らしていた。
 ある時、長虫族の姫の一人が、ホンの気紛れから、洞窟の外へと散歩に出かけた。退屈な日々に飽いて、刺激を求めてのことだった。黒絹の髪をそよ風に棚引かせながら、姫が山を這い進んでいると、ふと人間の気配がした。咄嗟に姫は大樹の上にスルスルと昇り、その人間を盗み見た。それは若い男だった。精悍な男で、引き締まった赤銅色の体は、俊敏な豹を思わせた。姫は一目で恋に落ちてしまった。自分の知る青白い王子達とは比べ物にならぬ程、その男は魅力的だったのだ。姫は思うが早いか、大樹から飛び降り、男の前に立ちはだかった。
 肝を潰したのは男の方である。初めて観る長虫族の娘は、男が知るどの女よりも美しかったが、彼女の下半身が男を怯ませた。いくら美女と言えども、人ではないのだ。姫は男の気持ちになど気づかぬ様子で、歌うように愛を告げ、求婚した。男はこれを拒んだが、姫は諦めなかった。男がいくら拒絶を表しても無駄であった。困り果てた男だが、ふとあることを思いつき、求婚を受けた。喜ぶ姫に、男は結婚の条件を一つ付けた。それは、自分の村に伝わる風習に倣い、己の体に刺青を入れるというものだった。その刺青は夫婦の証を意味するのだ。
 そして、二人は互いの体に朱の刺青を彫り、結婚をした。男と姫は一月交代で村と長虫国で暮らすようにした。最初は不承不承だった男も、段々と心が打ち解けていき、何時の間にか姫を愛するようになっていた。だが、結ばれてから一年後の夜、褥で姫が悲鳴を上げた。男が驚き飛び起きると、姫が二人になっていた。いや、もう一人は姫の抜け殻であった。姫は脱皮したのだ。そして、皮を脱ぎ去った姫の体にもう刺青はなかった。姫は男の前から去っていった。既に姫を愛していた男は己の愚を呪った。三日三晩嘆き悲しんだ後、男は姫の抜け殻を抱いたまま火の中に飛び込み死んでしまった。
 村人は、その場所に塚を建て、男を弔った。
 その塚の名は、長虫塚といい、今も村と山との境界に鎮座している。



Copyright © 2012 志保龍彦 / 編集: 短編