第113期 #2
読んでいた詩集を閉じ、栞を挟むのと同時に、古ぼけた車内に澄んだ女性の声のアナウンスが響き渡る。
「次は『瑠璃色の死海駅』。『瑠璃色の死海駅』です。この駅を過ぎますと、終点『宵闇の果て駅』です」
窓の外を見ると、全てが瑠璃色の海に包まれた蒼く巨大な星に列車が迫っているのがわかる。文明の灯は一切見受けられず、星の子どもが放つ小さな黄金色の瞬きのみが灯らしい灯だった。
「あなたもここで降りますの?」
向かいの席に座っていた老淑女が微笑みながら話しかけてきたので、頷いてみせる。
私が乗った駅の次で乗り合わせ、ここまでずっと一緒だった彼女もどうやらここで降りるらしい。
「ここ、良い場所よねぇ」
夫も好きだったの。
と続けた老淑女のその瞳には、一億回の夜を前にしても褪せることのない思い出の輝きが窺えた。
列車が私達を置いていった島には、小さなやしの木と小さな駅舎のみが存在し、どの方向にも瑠璃色の水平線が広がるだけだった。
砂浜の方に歩み寄り海を見下ろしてみると、太古の文明が幾千の死と共に眠りについたその名残を見ることができる。
空には、刻まれた傷跡を数えられるぐらい巨大なエメラルドグリーンの月が浮かんでいる。この瑠璃色の海を作り出したあの月が、いずれこの星とキスをして崩れていくのだと思うと、何とも少女的だ。
私は詩集に挟んでいた栞を取り出す。
私と違って、紅く、強く、激しく人を想う輝きを放っている栞をぐっと握る。
「いい栞ねぇ」
老淑女が言う。
「……私には、少し勿体無かったです」
「大丈夫よ」
だって貴方は若いもの。
と続けた老淑女のその声が、私にとって何よりの励ましになったのは言うまでも無い。
息を吸って、吐いて。
最後の別れの言葉を告げながら、私は、紅い栞を瑠璃色の海に放った。
漣の音が聞こえてくる。
静寂が可視化されていく。
ここは、終わりが見える場所なのだ。
帰りの電車を待とうと駅舎に向かうも、老淑女の方は瑠璃色の海を眺めたまま戻る気配が一切ない。
私は彼女の真意をようやく知った。
老淑女が私の視線を感じてか、振り向いて微笑む。
「貴方は素敵な女性になるわ」
「貴方みたいに、なれますか?」
「あらやだ。私なんかより、ずっと素敵な女になれるわ」
だって貴方は愛されるべき人だもの。
と続けた老淑女の笑顔は、私がこれから追い続ける『幸せ』の終点なのだろう。
漣の音は、止まない。