# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | めえさん | 香塔 ひより | 708 |
2 | 約束 | 東野智彦 | 994 |
3 | 自分の髪の毛で作られたクモの巣から動けなくなっても、情熱があれば苦境を乗り越えて | なゆら | 972 |
4 | 月曜日の前に | 霧野楢人 | 1000 |
5 | 僕+心拍=自信。 | 松本明司 | 524 |
6 | ホットなアイドル | りんね | 345 |
7 | モザイク | 五十音 順 | 1000 |
8 | 青から紅へと変わる世界 | 雪篠女 | 960 |
9 | 礫 | 三浦 | 1000 |
10 | 彼女の宇宙、病室にて | Y.田中 崖 | 1000 |
11 | 白猫夢 | しろくま | 305 |
12 | 約束 | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 995 |
13 | 生家 | こるく | 1000 |
14 | 俳句評 | ロロ=キタカ | 510 |
15 | ひとりぼっち無差別攻撃 | ハダシA | 930 |
16 | 秘密 | euReka | 1000 |
めえさんはすこし風変わりな性癖を持っていました。風変りなんて評すると、めえさんは気分を害するのですけれど。
「はじめてそう思ったのはね、ドラえもんを映画館で見ていたときだったと思うわ」
「ドラえもんって面白いわ。子どもっぽいと思われたくないから、あまり人には言わないのだけど」
「しずかちゃん、て分かる? そう源しずか。いい名前よね」
「わたしの名前はどう思う?」
「それって嘘でしょう。わたしはわたしの名前をそれほどよい名前だとは思わないわ。嫌いというわけでもないのよ。まあユニークだと思うていど、かしら」
「それでね、そのしずかちゃんが悪党に縛られる、の。映画のなかで。子ども向けの映画だというのに、ずいぶん破廉恥だと思うわ」
「で、それ以来、わたし、ちょっと癖になってしまったの」
「分かるでしょう。そのあなたに渡した縄をどう使えばいいのか」
部屋にはボクしかいなかった。
しかしボクのような、ただの使用人が、お嬢様にそのようなことをしてもよいのだろうか。
お嬢様を名前で呼ばせて頂くだけでも、恐れ多いというのに。
「じらしているの?」
と、めえさんは、真赤な唇をまげてほほえんだ。
ボクの理性は揺さぶられ、ほんとうに、どうかしていたと思う。
でも言い訳じゃないけど仕方なかったし、ボクだって楽しくてしたわけでなくて、興奮はしていたとおもうけどドキドキというよりはゾクゾクだったんです。
このスリルを恋愛感情と勘違いするのはボクにとってもお嬢様にとっても、よくないことだと思うのです。
ボクは間違っているのでしょうか。間違っているか、いないかだと、限りなくアウトな気がするのですが。ああ旦那さまにばれでもすれば……。
と昨日のことをひとりで後悔。
"こんな会社辞めてやる。”
携帯電話会社のお客様センターなんて、大人達のストレスのはけ口だった。こちらが女性でも関係なく罵声が浴びせられる。入社から3年、謝罪ばかりの会社生活にもう疲れた。
(明日は辞表を出そう。)
そう決めて今日最後の受話機をとった。
”もしもし、ママ?”
女の子だった。
子供から苦情電話などあるわけがない。
”こちらは○○携帯会社お客様センターです”
どうやって、ここにかかってきたのか考える間もなく、間違ってかかってきたらしい電話に丁寧に対応した。
しばらくの沈黙の後、
”ママはいないの?”
私は少し気になって、話を続けた。
”お名前は?”
”あおやま りさ”
”りさちゃん、ひとり?”
”うん。”
女の子は寂しそうに答えた。
共働きの家庭なんだろう。両親が仕事で居らず、子供一人お留守番しているのだ。その寂しさから、母親に電話をかけようとして、きっと携帯電話の登録番号を押し間違えたに違いない。
”おねえさんと少しお話しようか?”
この子のことが、急に不憫に思えた。
お客様センターの会話はモニタされているが、どうせこの電話の後は辞めるんだ。
私は、この子の力になってあげたくて話し続けた。
女の子は少しためらった様子だったが、すぐに元気に返した。
”うん、今日ね、お友達の楓ちゃんがね、、、、”
こんなゆったりした電話は久しぶりだった。
女の子は楽しそうにその日の出来事をはなしてくれた。
その話し方はどこか私に似たところがあり、心地よかった。
”そんなことがあったのね”
私は時間も忘れて、女の子の話を聞いてあげた。
30分も話しただろうか。さすがにすこし話しすぎた。
”もうそろそろ、おねえさん帰らなきゃ”
話が途切れた時を見計らって、そう言うと、女の子も
”うん”と元気に答えた。
”じゃあね。”
電話を切ろうとしたそのときだ。
”ママ、会社辞めないでね。もうすぐパパと出会うから”
そう言って、電話が切れた。
”なに?”その瞬間、脳天から爪先まで電気が走った!
”あなたはだれ?”
プープーとなる受話機を手に私は呆然としていた。
翌朝、会社に出社すると、上司に呼ばれた。
昨日の電話のことだ思い、怒鳴られたら開き直ってやめる覚悟で、上司の部屋に入った。
しかし、上司の言葉は意外だった。
”今日から君のサポートをする青山君だ。どうぞよろしく。”
上司の横に、さわやかな感じの背の高い青年が立っていた。
目覚める瞬間、背中が強く引っぱられる痛みを感じた。
あたしはパジャマのまま、空に浮いていた。ベッドが下にある。あたしの部屋はこんなにもきたなかったのかと、まず思った。ゴミだらけじゃないか。32にもなってこんな部屋で生活しているから、髪が伸びる速度が増したのかもしれない。
そうだ昨日、髪の伸びる速度が急に増してきて、途方に暮れて眠ったことを思い出した瞬間、自分が浮いているのではないと思った。だからベッドが下にあって、部屋のきたなさが気になっている。
たしかに浮いていた。
あたしは蜘蛛の巣にひっかかって空に浮いていた。
蜘蛛の巣はあたしの髪の毛でできている。蜘蛛の巣のもとをたどっていけばあたしにたどり着く。すなわちあたしが巣に引っかかった獲物を食うべき存在、しかしひっかかっているのはあたし。あたしは自分で自分を食うわけか。
そんなわけにはいかない!
共食いよりもたちが悪い。だいたいどうやって食えばいいのかしらない。学校では教えてもらっていない。子ども電話相談室の文字が頭に浮かんだけれどもすぐにかき消した。どうせ、年齢制限で受け付けないに決まっている。つい昨日あたしは髪の伸びる速度について相談しようとし、まるで相手にしなかった子ども電話相談室に幻滅したところだったファック!
だいたい、あたしは食べられたくない。まだしたいことがたくさんある。なめこを育てたい。床中覆い尽くすぐらいのなめこがちゃんと一人前になるまで育てたい。育てる義務がある。あたしにはなめこを育てなければならない責任がある。
なんとか逃げ出そう。あたしならできる。あんたはやればできる子なんだからと昔からよく言われていた。それを信じて今まで生きてきた。自分の髪でできた蜘蛛の巣なんてあっさりと抜け出してやろうと思った。
情熱だ。
この世で一番大切なものは情熱だった。あたしはそれを言い切ることができる。情熱で人は変わるし、人が変われば世界が変わる。あたしは自分の中のまだ目覚めていない情熱の扉をノックした。軽快なリズムでノック音が響いた。なかなか悪くない。悪くない感覚だった。これオンリーでいきたい、このコードオンリーであたしはかき鳴らしたい。轟音が遅れて聞こえてきた。蜘蛛の巣は燃えはじめた。あたしの髪は燃えはじめた。ごうごうと音を立てた。気づいたらあたしはベリーショートの乙女だった。
背中がむず痒い?霜焼けかな。翼を大切にね。
二階に届くほどの高さまで育った空き地の雪山のてっぺんで、君は一人ふんぞり返っていた。たぶん、独り占めできて嬉しかったんだろう。それで偉そうにドスンと座ったら、ズボッと尻の下が陥没して、身動きが取れなくなったんだね?くの字に曲げて半分埋まった仰向けの体は、自力じゃなかなか動かせなくて、そのまま三十分。君は半ベソで虚空を見上げながら、自分を陥れた除雪機に呪いをかけ続けていた。そこに現れたのが僕、というわけだ。
エゾライチョウって知ってる?あの鳥はね、夜寝るときは雪の中へダイブするんだって。マヌケだと思う?いやいや、別に君を馬鹿にしているわけじゃないんだ。雪の中って、意外と温かいんだよ。そんなことない?冷たくて死にそう?そうだね。でもそれは、君が普段もっと温かな場所に守られていたから、そう思えてしまうだけじゃないかな。背中を引っ掻かなければ、翼も大丈夫だから、もう少しだけ我慢してみて。
彼が雪の中で感じるのは、あるいは今まで君が感じていた孤独に近いものかもしれない。誰にも気づかれない、世界を支配する白い静寂の圧迫。でもね、彼にとってはそこが一番安全なんだ。ほら、目を瞑ってごらん。雪の体温と、雪の鼓動が伝わって来るから。それは雪じゃなくて自分のじゃないかって?その通りさ。でも結局は、同じようなものだと僕は思う。
そして朝が来れば、彼は羽ばたいて、勢いよく雪の中から飛び出すんだ。
だけど、考えてみたらおかしいよね。彼にとって一番安全な場所は雪の中なのに、どうして飛ぶ必要があるんだろう。翼があるから当たり前だって?逆だよそれは。翼があれば飛ばなきゃいけないってわけじゃない。それでも敢えて大空を目指すんだ。必死になって、雪を巻き上げて、自由を求めて。ねぇ、それって君と似ている。
ようし、見たところ君は軽そうだから、僕が持ち上げる分には問題ないけど、どうせだからもっと身軽になろうよ。何もいらないさ。涙も思考回路も雪山の下に放り投げて、後から拾いに行けばいい。その間に、風を掴んで飛翔する気分を体験させてあげるから。ただ一つ、その感覚だけは忘れないで。本当の夜明けが来る日には、ちょっと勇気がいるものなんだ。羽ばたけない人もいるくらい。でも、こわくなんかはないよ。飛べるんだ、君にも。
うん、涙と鼻水で輝いてるぞ、良い笑顔。それじゃあいこうか。
僕には自信がない。ゼロ、もしくはマイナスと言っていい位自信がない。そんな性格なので友達らしい友達もそんなたくさんいた例がないし、ましてや彼女なんてといった感じだった。
去年までは。
去年の冬、例に漏れず友達はいなかった。強いて言えば学校帰りの古本屋で捲る日焼けした本や漫画が唯一の友達だった。僕はその日、やたらとギャグ漫画が読みたかった。昔流行った漫画に浸り始めて約10分、隣から必死に笑いをこらえた声が聞こえる。聞いたことのあったその声、ゆっくりと左を向くと同じクラスの女子だった。僕はやけにその光景が新鮮に思えた。その娘は教室では男女共に慕われて品行方正といった言葉の似合う人だ。そんな人が古本屋で漫画読んで笑いをこらえてるなんてあり得ないと思えた。すると、彼女はこちらに気付いて慌てて本を棚に戻し、僕の手首を握って店の外へ向かった。通りの隅で「漫画読んでたことは内緒に」と頼まれた。聞くと、厳格な家庭で娯楽は禁止になっているらしい。漫画が好きかと聞かれたので好きだと答えると、彼女は帰り際に「君とはいい友達になれそうだ」と言ってきた。彼女の姿が見えなくなったあと、自分の心拍が煩いことにやっと気付いた。その音がやがて僕の初めての「自信」になった。
私は皆から熱烈に愛されるアイドル。
一度私に触れるとなかなか離れられない。
皆口々に言う。
「あったかいねー」
「癒される」
「最高!」
「だーい好き!」
いつの間にか私の周りに皆が集まり、天国にでもいるかのように寛いでいる。
私も皆の笑顔に癒されている。
皆と共存してこその私なのだから。
「みかんおいしいね」
「何個でも食べられるね」
「食べすぎると顔が黄色くなるよ」
「その話、本当なの?」
幾度となく交わされる他愛ない会話。
まさしく私は一家団欒のパイプ役を担っている。
私は皆のアイドル。
パパもママも二人の娘も皆私に夢中。
でも、冬季においてのみ。
だって、私はこたつなのだから。
花柄からチェック柄のカバーに衣替えし、気持ちも新たに今日も皆を癒している。
だって、それが私の使命なのだから。
冬の朝。通りも街並みも、何もかもが青みがかった灰色に煙るあの時間が僕は好きだった。人通りの途絶えた路地や、寒さに凍える白い息や、遠くで響く電車の音や、感覚の薄れた指先や、フロントガラスに張った霜や、褪せた空の色や、澄んだ空気で構成されたモザイクアートの様なあの時間が。
そんな空虚な世界を、陽子は僕の隣で推理小説を読みながら「美しい」でも「寂しい」でもなく「おぞましい」という形容詞で表現した。
「すべてが灰一色なんて、退屈で、下劣で、醜悪よ。こんなの、まるで……」
「まるで?」
はらり。細い指がページを繰る。
「まるで、あの世みたい」
そう答えながらも視線は紙面の上を泳いでいた。心底、どうでもいいとでも言いたげに。
陽子は昔から病弱で、小学校と中学校で一年ずつ留年しているから僕より二つ年上だった。クラスでもいつも窓際で一人本を読んでいて、引っ込み思案っていうよりガキには付き合ってらんないって感じ。
窓から射し込む光が頬杖をついた横顔を、鼻から下は白に、鼻から上は黒に塗り分けていて、それがまた中世の絵画の様で印象的だったのをよく覚えている。
僕がこうして彼女と登下校を共にしているのも単に家が近かったから僕の方から声をかけたというだけで、彼女は僕をボディーガードか何かとしか思っていないだろうけど、こうして彼女と一緒の時間を共有できるだけでなんとなく僕は満足していた。
「ね、じゃあ陽子もさ、やっぱ死ぬのとか、怖いんだ?」
間をもたせるためとは言え、我ながらバカなことを訊いたと思う。
それでも彼女は眉一つ動かさなかったけれど、かすかにその声が震えたような気がした。
「どうかしら。少なくとも恐れる必要はないと思うけど。死とか、来世とか、そんな不確かなものはね」
黒目がちな瞳が揺れる。
「本当に怖いのは、はっきりと共生していかざるを得ないものよ」
ぱたん、と。ハードカバーが閉じられる。ようやく本来の色を取り戻し始めた小さな校舎が見えてきて、僕らの会話はそこで終わった。
こんな関係がずっと続くと思っていた。
でもその年の冬休み、彼女は遠くの学校に転校してしまった。
結局、あの言葉の意味は解らず終いだった。
共生していかざるを得ないもの。それは彼女の病気のことだったのか、それとも──
日陰に積もった名残雪に問いかけてみたけれど、春の訪れに死にゆく彼らに答えを訊くことは、もう出来ないようだった。
私は、赤く染まった空を眺めていた。空は、全てが赤く変わり、あの青と白の世界の面影はどこにもなくて、それがどういうわけか切なくて、視界が歪んだ。
別に悲しいことがあったわけじゃない。相変わらず、さざ波の音は心地よくて、潮の匂いが鼻腔を擽っているのに、私の視界はなおも深く歪む。
白のキャンパスに橙と赤の絵の具を少しのせて、薄く延ばしたような眩しい、茜色の世界。それは、体を起こした先にも同じように広がっていて、頬を一粒の水滴が転がった。
振り向けば、青々とした森が、紅と灰色の姿へと変化していて、綺麗だけれど、それはどこか寂しく感じた。
私はもう一度、空を見上げる為に横になる。すると、茜色の世界は少しずつその色を変えていた。
薄らと輝きを見せるのは、小さな星。茜色に染めるはずだった世界にほんの少しの藍色をこぼしてしまって、慌てて、それでただ一滴の白い絵の具を零してしまった、そんな世界に姿を変え始めていた。
私は目を閉じて、風とさざ波の音を聞いていた。
“あんたは、相変わらずここがお気に入りだね”
友人の声に目を開ける。視界の先には、微笑む友人とほんの少しだけの茜色。私の目にたまったモノをみて、彼女は、心配そうにだけど、優しく微笑んでいた。
夏が終わって、秋に変わる。それが寂しくて、涙を浮かべていたというと、彼女は、優しく微笑んだまま、手を伸ばして、目元を拭ってくれた。
視界はもう歪まない。あるのは友人の差し伸べてくれた手。
その手を握ると、私の冷えたにぽっと温かさが灯った気がした。
まるで、優しい春の陽光みたいな暖かに、私の目からは同じくらいに暖かなしずくが零れおちた。
握った手を引かれて、立ち上がって、スカートについた砂粒を払い落として、私は再び友人の手を握る。
“秋は秋で綺麗だし、楽しい事があるよ”
友人の言葉に私は何も言わず、握った手に少しだけ力を入れて答える。
再び友人の顔を見ると、相変わらず春の様な微笑み。何だか、私も同じように微笑んだ。
“ほら、これで夏の熱さ”
友人は手を離して、鞄から湯気の立つ新聞紙の袋を取り出して、一つ私の手においた。
甘い香りに心が躍り、先ほどまでの切ない気持ちはどこへやら。
私たちは笑いあって、それに口をつけた。
秋は秋でいい物だと、私は思いなおすのだった。
何度試してみても礫は掌から転がり落ちる。
それは上と下があべこべになっているからで、というのもわたしがひどく酔っているからだが、遠のいていく沢山の背中目掛けて放たれる無数の礫が、左回りに、ちょうど渦を巻くように小さくなっていく。
そういえばわたしはここを訪れたことがある、とわたしは視界にある渦とは違う層にある文字を頭の中で読み上げた。それは、外語で書かれた小説をわたしが母語に訳したものの冒頭の一説だった。時々、わたしは頭の中にあるわたしだけの図書館に目覚めたまま入り込んでしまい、そこにあるわたしのためだけの書物を開いて時を過ごしてしまうことがあった。この時もそうで、次に顔を上げた時にはわたしの他に誰もおらず、向こう側に石に覆われた荒野が広がっているだけだった。
ふらふらとひとり家路につくと、一目でそうと判らなかった母の出迎えを受けた。母はここにいる人ではなかった。遠く離れた森の都でわたしの兄弟と暮らしているはずだった。母は一言も口を利かず、わたしのために何かをしてくれるわけでもなく、ひとつしかないベッドに潜り込んでそのままこんこんと眠った。その姿を見ていると、どうして眠りというものがあるのだろうかと考えずにはいられなかった。それがここにあってはならないとても不自然なことのように思え、わたしは胸の辺りにあった毛布を引き上げ母の寝顔を隠してしまった。しかし、毛布は静かに上下に揺れ続け、目には見えないが動き続ける心臓のように、大きな秘密を隠しているように思えてならなかった。
母は幾日も眠り続けた。寝返りを打たせないと壊死すると靴屋の旦那に教えられ、日に何度もわたしは母の体を右に左に動かしてやらねばならなくなった。その体は痩せ、羽毛のように或いは骨のように軽く、この思わぬ仕事はわたしから体力は奪わなかったがわたしからわたしの図書館を奪っていった。
ある日の荒野からの帰り道、空に出来た巨大な目玉のような太陽がどろどろに溶けるようにして地平線に埋もれている姿を見た。後ろを振り返ると、わたしの影は反対側の地平線に触れて、先の方がやはりゆらゆら溶けるように揺れていた。わたしは石になったように身動きが取れず、日没まで待ち、ようやく太陽から解放されて家へ帰った。
わたしは酒ではまったく酔えなくなってしまった。それまで気の合う仲間だった者が突然口も利いてくれなくなったようなものだった。
少女は夜道を歩いていた。雪が降っている。だんだん勢いを増し、道は埋もれ、視界が白く染まる。陰影が失われて上下左右の区別すらつかない、平面的な白。
しばらくして、平面にうっすら三本の線が浮き出した。一点に収束して部屋の角になる。そこから板を敷き詰めた天井が、青い影の落ちた壁が、朝の光を透かすガラス窓が現れる。続いてアルミのカーテンレール、垂れ下がるカーテンのひだ、吊るされた点滴の袋、落ちる雫、伸びた管。
少女は目覚めた。
ドアが開き、白衣を着た女が入ってくる。目にも留まらぬ速さで少女に近寄りボタンを押してベッドを起こし点滴を交換して体温を測る。少女はその様子を目で追う。女が一言二言声をかけてくるが速すぎて聞き取れない。そのまま出て行く。
少女は瞼を閉じた。
ゆっくりと目を開く。窓から午後の光が差し込んでいる。
ドアの傍に、黒服に身を包んだ背の高い少年が立っていた。彼は少女に向かって囁く。
「どうしてこんなところにいるの」
「病気なの」
「違うよ。入出力が合ってないんだ」
少年がそう言うあいだにも、清掃員が高速で部屋を片付け去っていく。日の光はずるずると傾いて室内が橙色に染まりだす。
「どうすればいいの」
「ここから出よう。どうやって来たか思い出せる?」
少女が首を横に振るのを見て、少年は長い舌を出した。先っぽに絵の具のチューブがのっている。
「これ、あげる」
彼は少女の手にそれを握らせ、瞼にそっと触れた。幕が下ろされる。
少女は目を開いた。ベッドが倒され、暗くなった天井が見える。
握ったままの手を目の前に持ってくる。蓋を外し、チューブの腹を指で押す。白濁した絵の具が溢れ出て頬に垂れた。焼けつくような熱と痛みに慌てて掌で拭う。すると、パキッと音を立てて頬が剥がれた。それはまるで卵の殻のように薄く丸みを帯びており、縁から亀裂が入って粉々に崩れると、シーツの上に積もった。雪だ。
恐る恐る顔に触れる。頬にあいた黒い穴に指をさしこむ。中は空っぽなのに指先が熱い。いつの間にか手首まで沈み込んでいて、抜くこともできなかった。肘から肩、胸から腰。顔の破片がぽろぽろと落ちて溶ける。
全身が吸い込まれると球状の黒い穴だけが残った。それも縮んで点になり、やがて跡形もなく消えた。
少女は夜道を歩いていた。向こうから太陽が昇る。光あれ。彼女は産声を上げて爆発的に膨張する。その熱がいつか冷めてしまうまで。
雨戸を閉めようと窓を開けると目下の屋根で身を丸くして寝ている白い猫がいた。宙(そら)には人の息に染まったようなまん円い月が昇っている。寒そうだ。
猫は毎晩窓を開けるとそこにいて、誰の飼い猫でもなさそうで、雪の少ない田舎の夜とはいえ気の毒に思い、服を与えてみた。赤い羽織を模したそれは白い毛にも映え、猫は以後その服を着て現れるようになった。
寒に入り、一年に二、三度降る雪が来た夜、積もっても朝には消える雪の上で猫は同じように寝ていた。寒かろうと部屋の中に招いてみたが、猫は起き上がるとどこかへと歩き出し、白い雪の中へ消えてしまった。
猫はもう現れなくなったが、時々満月の夜の夢の中でその白い影を見掛けている。
祖父母の家の裏手に小さな公園があった。周囲を建物に囲まれた日当たりの悪い空間で、錆び付いた遊具が懸命に薄い影を伸ばしていた。
時間の流れがとてつもなく遅く感じられたのは、ひんやりとした空気のせいか、あるいは、祖母の健康状態が良くも悪くもならないのを疎ましく感じる程度に、私がまだ幼かったからだろうか。
座面のあちこちが破れて黄色いスポンジが顔を出していた丸椅子が二脚と、黒ずんだサッカーボールがひとつあったことをよく覚えているが、行政の怠慢か住民の身勝手か、他にも得体の知れないものがいろいろと持ち込まれていて、近所に住む子どもや、私のように一時的に滞在している子どもが、入れ替わり立ち替わり、そこで過ごしていた。
子どもどうしはすぐ打ち解けるものだと誤解している人がいるかもしれないが、まったくそのようなことはなくて、とりわけ私のような者にとっては、自分から声をかけるというような大胆なことは、とてもできかねた。
見知らぬ女の子が急に話し出したときも、それが自分に向けられた言葉だとわかるまで、二言三言は必要としたはずだった。
しかし、その子の話がなかなか要領を得ないように感じられたのは、私の気質にばかり問題があったわけではなくて、彼女が訛っていたのも影響していたのだと思う。
私が地元の者ではないと知ると、彼女は私の住む町のことを尋ねた。工場や高速道路といった、少年の目線から比較的見栄えのしたものについて私が話すのを、丸椅子から垂らしたつるりとした脚を前後に揺らして聞いていたが、やがてそれにも飽きたのか、テレビ番組の話をして、それから、当時流行っていた歌を小声で歌った。
椅子から降りて、ゆるゆると歩き、唯一の出入り口である細い道路の方を向き、何を思っていたのだろう、しばらく私に背中を向けていたが、曲が終わりかけるころに振り向いた。
照れ隠しだろうか、アイドルのようにお辞儀をして相好を崩したのを見たそのとき初めて、彼女が私よりずっと日に焼けていて、ずっと歯が白いことに気付いた。
それが私にはまぶしかったのだと、歯科衛生士のお姉さんの胸が頭に当たりそうで当たらない状況下で、懐かしく思い出した。フロスはただ糸を通せばいいというものではなくて、しっかりと歯の側面を磨かなければいけないのだという。なるほど歯周ポケット同様に奥が深い。
そして、また次の夏に、と私たちは約束した。
仰々しい防音シートに覆われた建築中の高層ビル、そのてっぺんを見上げれば初夏の太陽が見え隠れして酷く眩しかった。生家の縁側から見るその風景は、私に子供の頃の記憶を呼び起させる。柔らかな陽光に包まれ、まるで生まれたての仔猫の様にまどろんだ無垢な記憶。目を覚ました時、いつの間にか日が傾いて暗くなった世界に、漠然とした不安に襲われ母に泣きついたこと。次から次へとそんなあれこれを思い出しながら、私はぼんやりしていた。
「何考えてた?」
いつの間にか姉が私の背後に来て訊く。
「子供の頃のこと」
「私も」
姉は私の横に座り、煙草に火を付ける。紫煙がふわりと広がり、甘く優美な香りが私の鼻を突く。
「叱られたこととかさ色々」
「うん」
「でもこの家も本当に古いからね」
「うん、古いからね」
私たちは自分たちに言い聞かせるように、そう言葉にする。
「お母さん生きてたらなんて言うかな」
「どうだろうね、あの人は別に執着とかしなそうだけど」
一週間後にはこの家が取り壊される。その事実は、私たちの意識を掻き乱す。
「庭にさ、向日葵が咲いててお母さんとよく見たよね」
「うん」
「なんかさ、どうでもいいことが凄く懐かしくなったりしちゃうんだね」
私は頷く。どういう形であれ、生家を失うということは悲劇なのかもしれない。言うなれば、ここは思い出を閉じ込めておく宝箱みたいな物で、それが失われた時、私たちはどうなってしまうんだろう。こんな風に、お母さんのことを思い出せるんだろうか。こんな風に、今まで通り姉妹としていられるんだろうか。蝉が鳴いている。軒先に吊るされた風鈴がゆらゆらと揺れる。私たちは、ただ黙って庭を眺めている。
「ねえ」
長い沈黙の後に姉が口を開いた。
「何?」
「隠れ鬼でもしよっか」
唐突な姉の提案。
「昔みたいに」
「いつまでも続けてお母さんに怒られて?」
「そうそう」
私たちは顔を見合わせて、くくくと笑う。まるで、幼い子供が悪戯を思いついた時の様に。
隠れ鬼が始まる。姉が隠れ、私が見つける。でも、決して姉は見つかりなんてしないし、私だって見つけようとはしない。隠れ鬼はずっと続く。永遠に続く。五時のチャイムが鳴る。辺りが暗くなる。不安な気持ちが襲ってくる。でも、大丈夫。何も怖いことはない。
――なぜなら、ここは私たちの家だから。
私たちは待っている。ただ待っている。台所からいずれ聞こえてくるであろう、母のあの優しい声を。
洗い場で父は枇杷の実の種を落とす(2011年6月24日)
枇杷の実の種の落下をさせる父(同)
新じゃがを父はスプーンで剥いて居る(同)
「洗い場で・・」、季語は枇杷で夏。キッチンのスィンクで父が枇杷を食べながら枇杷の大きな種を落とす。結構な音がして耳を刺激する。だからと言う訳ではないが「種を落とす」と事実そそのまま詠んでいるようだが、その時私は北東のキッチンに対して南西の部屋に居り、直ぐ斜め前のキッチンで行われている動作に固唾をのんでパソコンに向かって居た。静寂の中枇杷の種を落ちると言う現象は類句を詠んでも結構いけるいい句を詠めるのではないかと思う。
2句目も季語は「枇杷」で夏。再びキッチンのスィンクで枇杷の種を落とす父の事を詠んだ。今度はより父が意図的にやっているかのような印象を与える詠み方になっている。
3句目は「新じゃが」が季語で夏。ジャガイモの皮をスプーンで剥いて居ると言うだけの句。しかし父のひたむきさとともに、スプーンで皮がむかれるジャガイモにも思いを致して自由奔放な想像に浸ってほしいと言う隠された意味もある。
以上過去の3句を評して見たが、皆さんは自分流に自由に解釈してもらえばいいと思う。
「もしも、世界中の人間の考え方の正しさを縦にランクづけした場合、自分は確実に世界ランキング上位1パーセント以内に入れるとおおむね確信している方」
「もしも、世界中の人間の意見とあなたの意見が違っていた場合、間違っているのはおまえらの方だ! と、最後まで胸をはって言い切る自信をお持ちの方」
「目に映るものすべてが粉々に吹っ飛んで欲しいと願って止まない方」
以上のうち、いずれか1つ以上の条件に当てはまる方のご応募をお待ちしております。
給与は、年収800万円〜1200万円くらい。
ご応募から採用内定までのスケジュールは、通常で2ヶ月程度かかります。
選考ステップ。書類選考 → 一次面接 → 早押しクイズ → 殺人ロボとの肉弾戦 → 気まぐれ役員による気まぐれ面接(終始リラックスムード) → 念力カードめくり17回戦 → 弊社社長との1対1のにらみ合い(弊社社長を目で殺していただきます)。となります。
「愛媛県からやって参りました。天才チンパンジーのチンパン君と申します。よろしくお願い致します」
チンパンくんは、応募してきたボンクラたちの中で、ダントツで賢かったし、メンタルが強かったし、なによりも、ここぞというときの勝負強さが抜きんでていたため、トップの成績で最終選考までやって来た。
チンパンくんは、全く緊張していなかった。チンパンくんは、挫折というものを知らないのである。
時代の波に乗りっぱなしの男、(株)やまもっちゃんコンピューターエンターテインメント代表取締役社長、山本守ノ介にとって、チンパンジーを目で殺すことなんて簡単である。彼は社長になって以来、暇を持て余しているため、今日はチンパンジーを目で殺すことが唯一の仕事だった。
山本はイライラしていた。刺激的で反骨精神のある人物を社員にしたいと思っていたのだが、やっと最終選考まで来たのがチンパンジー一匹だけだったからだ。
チンパンくんは終始無表情だった。一時間半が経過した頃、山本は疲れて帰ってしまった。しかたなく、チンパンくんは採用になった。
でも、チンパンくんは研究所を脱走していたため、次の日連れて帰られてしまった。
やまもっちゃんコンピューターエンターテインメントは3年後に潰れた。
新米の猫を、夢の中で見たのはその夜が初めてだった。僕は目が覚めると布団から這い出し、床に静止した冬のミカンに色鉛筆を突き刺した。色は青だった。しかし色は何色でもよかったし、ミカンじゃなくてリンゴでもよかった。しかし僕は青い色鉛筆しか持っていないし、リンゴは昨日腹を空かせた子どもにあげた。ぼろぼろの服を着た憐れな子どもだった。
「ねえ、あたし知ってるよ」
僕は、お城の外周を何も考えずに後ろ歩きしている最中だったし、他人に何かを知られるような人間ではなかったので、たぶんその子どもは別の誰かと勘違いをしているのだろうなと、僕は思っていた。
「ねえ、あたし知ってるんだけど」
「いい加減、僕にまとわりつくのはよせ。僕はお城の秘密なんて知らないし、君の秘密が僕の秘密であるわけがない。なぜなら僕は秘密など持っていないし、僕は青鉛筆を一本持っているだけの人間なのさ」
子どもは薄汚れた小さな手で僕の手をギュっと握った。しもやけで赤く腫れた冷たい手だった。
「あのお城は、もう七百年も前に作られた映画のセットなんでしょ。それくらい誰でも知っているわ」
君は子どものくせに、映画ってものが何なのか知っているのか?
「つまり映画は映画、リンゴはリンゴなんでしょ」
君は大人を馬鹿にしているのか?
「今日は良い天気ですねえ」と僕たちの会話を横切りながら、カビのはえた煮干しみたいな老人が話しかける。「今日みたいな日に死ねたらいいなって、いつも考えているのですがね――じつはその『今日』みたいな日など、いったいいつやって来るのやら――私にはまるで検討がつかないのですよ」
だからいつの間にか『今日』が、『明日』になっていたりするんですよね。
「ようするにあんたたち大人のやってることってさ、この世界をただ丸投げしてるだけでしょ」
僕は頭に被っていたシルクハットを脱ぐと、その中から『リンゴはリンゴ』を取りだした。
「まあいいわ。あたしは誰よりもお腹が空いてるのだから、そのリンゴはあたしのものよ」
生意気な子どもは僕の手からリンゴを奪い取ると、サヨナラも言わず去って行った。
「お前はまず、青鉛筆の意味をよく考えるべきだな」と無責任なカラスが僕に言った。
これでは堂々巡りになってしまう。
僕がやるべきことはまず、新米の猫を土に埋め、お墓を作ることだった。
名前はまだなかった。
(ミカン、リンゴ、青鉛筆)
猫は、昨日死んだのである。