第112期 #2

約束

"こんな会社辞めてやる。”
携帯電話会社のお客様センターなんて、大人達のストレスのはけ口だった。こちらが女性でも関係なく罵声が浴びせられる。入社から3年、謝罪ばかりの会社生活にもう疲れた。
(明日は辞表を出そう。)
そう決めて今日最後の受話機をとった。
 ”もしもし、ママ?”
女の子だった。
子供から苦情電話などあるわけがない。
 ”こちらは○○携帯会社お客様センターです”
どうやって、ここにかかってきたのか考える間もなく、間違ってかかってきたらしい電話に丁寧に対応した。
しばらくの沈黙の後、
 ”ママはいないの?”
私は少し気になって、話を続けた。
 ”お名前は?”
 ”あおやま りさ”
 ”りさちゃん、ひとり?”
 ”うん。”
女の子は寂しそうに答えた。
共働きの家庭なんだろう。両親が仕事で居らず、子供一人お留守番しているのだ。その寂しさから、母親に電話をかけようとして、きっと携帯電話の登録番号を押し間違えたに違いない。
 ”おねえさんと少しお話しようか?”
この子のことが、急に不憫に思えた。
お客様センターの会話はモニタされているが、どうせこの電話の後は辞めるんだ。
私は、この子の力になってあげたくて話し続けた。
女の子は少しためらった様子だったが、すぐに元気に返した。
 ”うん、今日ね、お友達の楓ちゃんがね、、、、”
こんなゆったりした電話は久しぶりだった。
女の子は楽しそうにその日の出来事をはなしてくれた。
その話し方はどこか私に似たところがあり、心地よかった。
 ”そんなことがあったのね”
私は時間も忘れて、女の子の話を聞いてあげた。

 30分も話しただろうか。さすがにすこし話しすぎた。
 ”もうそろそろ、おねえさん帰らなきゃ”
話が途切れた時を見計らって、そう言うと、女の子も
 ”うん”と元気に答えた。
 ”じゃあね。”
電話を切ろうとしたそのときだ。
 ”ママ、会社辞めないでね。もうすぐパパと出会うから”
そう言って、電話が切れた。
 ”なに?”その瞬間、脳天から爪先まで電気が走った!
 ”あなたはだれ?”
プープーとなる受話機を手に私は呆然としていた。

 翌朝、会社に出社すると、上司に呼ばれた。
昨日の電話のことだ思い、怒鳴られたら開き直ってやめる覚悟で、上司の部屋に入った。
しかし、上司の言葉は意外だった。
 ”今日から君のサポートをする青山君だ。どうぞよろしく。”
上司の横に、さわやかな感じの背の高い青年が立っていた。



Copyright © 2012 東野智彦 / 編集: 短編