第112期 #13
仰々しい防音シートに覆われた建築中の高層ビル、そのてっぺんを見上げれば初夏の太陽が見え隠れして酷く眩しかった。生家の縁側から見るその風景は、私に子供の頃の記憶を呼び起させる。柔らかな陽光に包まれ、まるで生まれたての仔猫の様にまどろんだ無垢な記憶。目を覚ました時、いつの間にか日が傾いて暗くなった世界に、漠然とした不安に襲われ母に泣きついたこと。次から次へとそんなあれこれを思い出しながら、私はぼんやりしていた。
「何考えてた?」
いつの間にか姉が私の背後に来て訊く。
「子供の頃のこと」
「私も」
姉は私の横に座り、煙草に火を付ける。紫煙がふわりと広がり、甘く優美な香りが私の鼻を突く。
「叱られたこととかさ色々」
「うん」
「でもこの家も本当に古いからね」
「うん、古いからね」
私たちは自分たちに言い聞かせるように、そう言葉にする。
「お母さん生きてたらなんて言うかな」
「どうだろうね、あの人は別に執着とかしなそうだけど」
一週間後にはこの家が取り壊される。その事実は、私たちの意識を掻き乱す。
「庭にさ、向日葵が咲いててお母さんとよく見たよね」
「うん」
「なんかさ、どうでもいいことが凄く懐かしくなったりしちゃうんだね」
私は頷く。どういう形であれ、生家を失うということは悲劇なのかもしれない。言うなれば、ここは思い出を閉じ込めておく宝箱みたいな物で、それが失われた時、私たちはどうなってしまうんだろう。こんな風に、お母さんのことを思い出せるんだろうか。こんな風に、今まで通り姉妹としていられるんだろうか。蝉が鳴いている。軒先に吊るされた風鈴がゆらゆらと揺れる。私たちは、ただ黙って庭を眺めている。
「ねえ」
長い沈黙の後に姉が口を開いた。
「何?」
「隠れ鬼でもしよっか」
唐突な姉の提案。
「昔みたいに」
「いつまでも続けてお母さんに怒られて?」
「そうそう」
私たちは顔を見合わせて、くくくと笑う。まるで、幼い子供が悪戯を思いついた時の様に。
隠れ鬼が始まる。姉が隠れ、私が見つける。でも、決して姉は見つかりなんてしないし、私だって見つけようとはしない。隠れ鬼はずっと続く。永遠に続く。五時のチャイムが鳴る。辺りが暗くなる。不安な気持ちが襲ってくる。でも、大丈夫。何も怖いことはない。
――なぜなら、ここは私たちの家だから。
私たちは待っている。ただ待っている。台所からいずれ聞こえてくるであろう、母のあの優しい声を。