第112期 #10
少女は夜道を歩いていた。雪が降っている。だんだん勢いを増し、道は埋もれ、視界が白く染まる。陰影が失われて上下左右の区別すらつかない、平面的な白。
しばらくして、平面にうっすら三本の線が浮き出した。一点に収束して部屋の角になる。そこから板を敷き詰めた天井が、青い影の落ちた壁が、朝の光を透かすガラス窓が現れる。続いてアルミのカーテンレール、垂れ下がるカーテンのひだ、吊るされた点滴の袋、落ちる雫、伸びた管。
少女は目覚めた。
ドアが開き、白衣を着た女が入ってくる。目にも留まらぬ速さで少女に近寄りボタンを押してベッドを起こし点滴を交換して体温を測る。少女はその様子を目で追う。女が一言二言声をかけてくるが速すぎて聞き取れない。そのまま出て行く。
少女は瞼を閉じた。
ゆっくりと目を開く。窓から午後の光が差し込んでいる。
ドアの傍に、黒服に身を包んだ背の高い少年が立っていた。彼は少女に向かって囁く。
「どうしてこんなところにいるの」
「病気なの」
「違うよ。入出力が合ってないんだ」
少年がそう言うあいだにも、清掃員が高速で部屋を片付け去っていく。日の光はずるずると傾いて室内が橙色に染まりだす。
「どうすればいいの」
「ここから出よう。どうやって来たか思い出せる?」
少女が首を横に振るのを見て、少年は長い舌を出した。先っぽに絵の具のチューブがのっている。
「これ、あげる」
彼は少女の手にそれを握らせ、瞼にそっと触れた。幕が下ろされる。
少女は目を開いた。ベッドが倒され、暗くなった天井が見える。
握ったままの手を目の前に持ってくる。蓋を外し、チューブの腹を指で押す。白濁した絵の具が溢れ出て頬に垂れた。焼けつくような熱と痛みに慌てて掌で拭う。すると、パキッと音を立てて頬が剥がれた。それはまるで卵の殻のように薄く丸みを帯びており、縁から亀裂が入って粉々に崩れると、シーツの上に積もった。雪だ。
恐る恐る顔に触れる。頬にあいた黒い穴に指をさしこむ。中は空っぽなのに指先が熱い。いつの間にか手首まで沈み込んでいて、抜くこともできなかった。肘から肩、胸から腰。顔の破片がぽろぽろと落ちて溶ける。
全身が吸い込まれると球状の黒い穴だけが残った。それも縮んで点になり、やがて跡形もなく消えた。
少女は夜道を歩いていた。向こうから太陽が昇る。光あれ。彼女は産声を上げて爆発的に膨張する。その熱がいつか冷めてしまうまで。