第110期 #2

予感

拓水の姿を見たとき、有稀は気が狂うかと思った。 大袈裟な言い方だが、それほどその瞬間の有稀の心情を表す言葉は、ない。

別れた当初は心の中で何度も会いたいと願った相手なのに、実際にその姿を目の当たりにして有稀はその場から逃げ出したい衝動に駆られ、ひどく戸惑っていた。

しかも、よりによってこんなところで会うなんて!

二人の、二年ぶりの再会の場は産婦人科クリニックだった。
どうしてこんなところに拓水が?
有稀の胸はざわついた。

有稀と拓水は三年と少し、付き合った。お互いに結婚を視野に入れての付き合いではあったのだが、あるとき些細なことから二人の間に亀裂が入った。
末っ子気質同士の二人だったから、互いに譲ることを知らずに最終的には別れを選んだ。
本当に有稀は拓水を愛していたのに。

いや、愛していたのだろうか?

恋愛の終わり、というのは痛みを伴うものである。苦しくて堪らない日々が続く。そんなとき有稀は思ったものだ。

私は拓水の知らない私になる為に、赤ん坊が生まれるが如く新しく生まれ変わっていく…新しい自分を生み出すからこその痛みなのだ。生々しい傷も癒される日まで耐えなければならないのだと。

不意に目の前の診察室の扉が開いて、有稀は全てを悟った…いや、そうであろうという予感は拓水に気付いた時点であったのだが、認めるのが怖かった。

小柄なその女性は拓水に駈け寄るとそっと耳打ちをした。横顔は嬉しさからか上気しているようだった。

「谷川有稀さん」
看護師に名前を呼ばれ、有稀は長椅子から立ち上がった。
反射的に拓水がこちらへ顔を向ける。
有稀は二人に向けて深々と頭を下げた。

子宮頸がんの治療はまだまだ続いていく。



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